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【正誤表】

1626、1927、1929、1930年のレニングラード客演の全貌がほぼつかめました。
本文に追加、他の修正を含めて第3版とします。

ソヴィエト連邦、レニングラードに客演
1926/11/17 ウェーバー:歌劇「オベロン」序曲、シューベルト:交響曲第6番、R.シュトラウス:交響詩「ドン・キホーテ」 レニングラード 
1926/11/20 ブラームス:悲劇的序曲、ハイドンの主題による変奏曲、交響曲第3番 レニングラード
1926/11/24 シニガーリャ:ピエモンテ舞曲第1番 作品31 レニングラード初演、モーツァルト:セレナード第13番「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」、ドヴォザーク:交響曲第9番「新世界より」 レニングラード
1926/11/26 チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」、シューベルト:交響曲第6番、ヨハン・シュトラウス2世/「ドナウの乙女」 レニングラード
1926/11/27 レーガー:モーツァルトの主題による変奏曲とフーガ、カゼッラ:ピアノと管弦楽のためのパルティータ アルフレート・カゼッラ(Pf) レニングラート初演、ハイドン:交響曲第6番、R.シュトラウス:交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」 レニングラード
(サンクトぺテルブルク・フィルハーモニー交響楽団 ARCHIVES)

ソヴィエト連邦、レニングラードに客演
1927/4/27 ベート-ヴェン:交響曲第2番、ヴァイオリン協奏曲(vn:シゲティ・ヨージェフ(ヨーゼフ・シゲティ)(Vn)、交響曲第5番 レニングラード
1927/4/30 ベートーヴェン:交響曲第4番、ヴァイオリン協奏曲(vn:シゲティ・ヨージェフ(Vn)、交響曲第3番「エロイカ」 レニングラード
1927/05/04 ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」、交響曲第7番 レニングラード
1927/05/06 ベートーヴェン:交響曲第5番、交響曲第9番 レニングラード(GRAND SLAMのCD、GS-2269にはこの日の記載はない)
1927/05/07,08 ベートーヴェン:交響曲第8番、交響曲第9番 レニングラード
(サンクトぺテルブルク・フィルハーモニー交響楽団 ARCHIVES)

年初、レニングラードに客演
1929/01/02 シューベルト/イタリア風序曲第1番、第2番、モーツァルト/交響曲第41番「ジュピター」、フランケンシュタイン/「マイヤベーアの主題による変奏曲」(レニングラード初演)、R.シュトラウス/「英雄の生涯」 レニングラード
1929/01/05 チャイコフスキー/「ロミオとジュリエット」序曲、ピアノ協奏曲第1番(P:ハインリッヒ・ノイハウス)、交響曲第5番 レニングラード
1929/01/06 ベートーヴェン/交響曲第8番、シューベルト/イタリア風序曲 ニ長調、チャイコフスキー/交響曲第5番 レニングラード
1929/01/09 ベートーヴェン/「エグモント」序曲、「レオノーレ」序曲第3番、交響曲第9番 レニングラード
1929/01/11 ヨハン・シュトラウス2世/「こうもり」序曲、クス・ワルツ、「芸術家の生活」、「加速度」、「浮気心」、「ドナウの乙女」、「人生を楽しめ」、「ウィーンの森の物語」、「ジプシー男爵」序曲、「南国のバラ」、「酒、女、歌」、「美しく青きドナウ」 レニングラード
1929/01/12 ヨハン・シュトラウス2世/「”こうもり」序曲、クス・ワルツ、「芸術家の生活」、「加速度」、「浮気心」、「ドナウの乙女」、「春の声」(ロザリア・ゴルスカヤ)、「ウィーンの森の物語」、「ジプシー男爵」序曲、「南国のバラ」、「酒、女、歌」、「”美しく青きドナウ」 レニングラード
1929/01/13 ワーグナー/「ニュルンベルクのマイスタージンガー」序曲、「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死、「タンホイザー」序曲、ヨハン・シュトラウス2世/「こうもり」序曲、「人生を楽しめ」、「ウィーンの森の物語」、「美しく青きドナウ」、「酒、女、歌」 レニングラード(サンクト(サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団 ARCHIVES)

レニングラードに客演
1930/04/20 モーツァルト/交響曲第39番、「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」、ベートーヴェン/交響曲第3番 変ホ長調 「エロイカ」 レニングラード
1930/04/23 シューベルト/2つのドイツ舞曲、交響曲第8番「未完成」、R.シュトラウス/「英雄の生涯」 レニングラード
1930/04/26 ニコライ/「ウィンザーの陽気な女房たち」、バウスネルン/管弦楽組曲4楽章(「子供の時にすごした国」?)、ウェーバー=ワインガルトナー/「舞踏への勧誘」、ヨハン・シュトラウス2世/シトロンの咲くところ」、「人生を楽しめ」 レニングラード
1930/04/30 ワーグナー/「タンホイザー」序曲、「パルジファル」より「聖金曜日の音楽」、「パルジファル」の紹介(第1幕への前奏曲?)、「神々の黄昏」より葬送行進曲、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」序曲、「ワルキューレの騎行」、「神々の黄昏」より “暁とジークフリートのラインへの旅」、「リエンツィ」序曲 レニングラード
1930/05/02 チャイコフスキー/交響曲第6番「悲愴」、ニコライ/「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲、ヨハン・シュトラウス2世/「人生を楽しめ」、クス・ワルツ、「観光列車」? レニングラード
1930/05/03 チャイコフスキー/交響曲第6「悲愴」、交響曲第5番 レニングラード
1930/05/04 シューベルト/交響曲第8番「未完成」、ワーグナー/「ローエングリン」より(ニコライ・ペチュコフスキー)、シューベルト/3つのドイツ舞曲、ウェーバー=ワインガルトナー/「舞踏への勧誘」、ヨハン・シュトラウス2世/「シトロンの咲くところ」、「人生を楽しめ」「ウィーンの森の物語」、「浮気心」 レニングラード
1930/05/06 ヨハン・シュトラウス2世/「トリッチ・トラッチ・ポルカ」、「人生を楽しめ」、「シトロンの咲くところ」、「ピツィカート・ポルカ」、「ドナウの乙女」、「我が家で」、クス・ワルツ、「さらば戦争へ」、「朝の新聞」、「加速度」、 「ウィーンの森の物語」、「浮気心」 レニングラード
(サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団 ARCHIVES)

P.7
1988年という年は、 → 1888年という年は

P.21
ヴィオラニスト → ヴィオラ奏者

P.258
10月5日、リヒャルト・シュトラウスのオペラ「ダフネ」が
→ 10月15日 リヒャルト・シュトラウスのオペラ「ダフネ」が、(Guenter Lesnig DATAで確認)

P.315
イベリア半島にコンサートツアーに出書けていることになっている
→ イベリア半島のコンサートツアーに出かけていることになっている

以下は、2022年4月29日現在、amazonで買えるペーパーバック、電子書籍とも下記は修正済みです。
奥付は「校正ミスバグ取版」になっています。

シューベルトの交響曲の番号で混乱してしまっています。
D759、あるいはD.759とあるのが「未完成」で、D944、あるいはD.944とあるのが「ザ・グレート」です。
第7番、第8番、第9番というナンバリングでは混乱してしまうため、愛称のみにした方がいいかも知れません。

P.161
突撃隊を統率する時間と指揮官としての仕事に忙殺されるされることを嫌ったヒトラーは、
→ 突撃隊を統率する時間と指揮官としての仕事に忙殺されることを嫌ったヒトラーは、

P.167
最初はよそよしかった有力者たちはしだいにヒトラーの演説に引き込まれていった。
→ 最初はよそよそしかった有力者たちはしだいにヒトラーの演説に引き込まれていった。

P.217
ヒトラーがミュンヘン市に「ナチ運動の首都」の呼称を授けたたためである。
→ ヒトラーがミュンヘン市に「ナチ運動の首都」の呼称を授けたためである。

P.247
ヒトラーの動きとクナッパーツブッシュの活動は時系列を並べないと訳が分からなくなる。
→ ヒトラーの動きとクナッパーツブッシュの活動は時系列に並べないと訳が分からなくなる。

P.267
日本ではドイツに対し「日独防共協定」違反だと抗議し、
→ 日本ではドイツに対し「日独伊防共協定」違反だと抗議し、(間違いではないが一応)

P.282
ヨハンシュトラウス2世&ヨーゼフ・シュトラウス
→ ヨハン・シュトラウス2世&ヨーゼフ・シュトラウス

P.300
ヒトラー自身は強制収容所に足を踏み入れたこともなかったきほのではないかということだ。
→ ヒトラー自身は強制収容所に足を踏み入れたこともなかったのではないかということだ。

P.302
シニガーリャ → シネガーリャ(シニガーリャとなっている資料もあるが呼称統一のため)

P.304
また、この頃からフランス、オーストリア、オランダ、ノルウェーなどからも絶滅収容所へのユダヤ人を輸送が激しさを増している。 
→ また、この頃からフランス、オーストリア、オランダ、ノルウェーなどからも絶滅収容所へのユダヤ人の輸送が激しさを増している。

P.347
同年晩秋 → 「同年晩秋

P.379
「マタイ受難曲は」楽友協会合唱団の → 「マタイ受難曲」は楽友協会合唱団の

P.400
私が去ることを承認してくれうよう、切にお願いする。
→ 私が去ることを承認してくれるよう、切にお願いする。

P.413
『ここであのケツの穴野郎がクソをたれる』」。 → 『ここであのケツの穴野郎がクソをたれる』。

P.448
1962/12/3 ミュンヘン、ンドイツ博物館コングレス・ザール
→ 1962/12/3 ミュンヘン、ドイツ博物館コングレス・ザール

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