クナを聞く 第18回
ベートーヴェン編その7 レオノーレ序曲第3番を聞く

2000/5/28

ベートーヴェン
レオノーレ序曲第3番 op.72a

MONO 90260
MONO 90389
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(rec.1938/8/8 LIVE)

PREISER/MONO 90260(輸)
PREISER/MONO 90389(輸)


GM 4.0040
バイエルン国立管弦楽団
(rec.1959)

GOLDEN MELODRAM/GM 4.0040(輸)3CDs


KICC-2158
DR920030
HOS-01
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(rec.1962/5/31 LIVE)

KING SEVEN SEAS/KICC-2158(日)廃盤
DISQUES REFRAIN/DR920030(輸)入手困難
HOSANNA/HOS-01(Private)


 ベートーヴェンは歌劇『フィデリオ』に4曲の序曲を作曲したが(『レオノーレ序曲第1番』〜『第3番』、それに最初に作曲した『フィデリオ序曲』)、これはベートーヴェンが『フィデリオ』上演の度に序曲を作曲した結果なのだそうだ。この『レオノーレ序曲第3番』はコンサートや録音でも、単独でよく取り上げられる。また、『フィデリオ』上演の時に、第2幕第2場の前に演奏されるのが慣例になっている。
 クナには4曲の序曲の内、この『レオノーレ序曲第3番』しか、単独録音は残されていない。

 1938年録音のものは、同じPREISERから2回出された。なぜ、同じ録音が2回収録されたのかは分からない。2回ともクナの古い録音(1925年〜1947年)の集成ということでのコンセプトは統一されているのかも知れないが。
 1962年録音は3種類を確認しているが、DISQUES REFRAIN盤とHOSANNA盤が同じ音源を使用し(前回の『コリオラン序曲』同様デジタルコピーであることも考えられる)、KING盤は別の音源を使用しているようだ。音質は圧倒的にKING盤がよく、DISQUES REFRAIN盤とHOSANNA盤はピッチが少し高く、音もこもり気味である。
 1959年録音と明記されているGOLDEN MELODRAM盤は、疑いながらKING盤とオーディエンスノイズや演奏の傷を聞き比べてみたが(音の傾向はよく似ている)、1962年盤とは異なるようだ。GOLDEN MELODRAM盤は金管の音が盛大で、トロンボーンが勇壮に鳴り渡る・・・と書いたら、KNA'S NEW CDで取り上げたときにそのことは確認できていたのだった(^^;。
 と言うことで、1938年録音のPREISER盤ではどちらの盤を聞いても同じで、1962年録音はKING盤、1959年録音はGOLDEN MELODRAM盤しかないのだから、これは選択の余地はないわけだ。そして、KING盤とGOLDEN MELODRAM盤の音はクオリティが高く、価値が高い。
 実は、1962年録音にはもう1種、『ラルゴ』(神戸のレコード屋さんです)から出たプライヴェートLPがあり、吉岡伊予守さんのご厚意で聞くことができた。同じ演奏の録音ながら(オーディエンスノイズ、クナの足音1発、120小節のホルンのよろけ方などなど)、これはマイクの位置の違う録音なのか、KING盤と比較しても少しオーケストラのバランスが異なるし、なにより272小節からの大臣到来を告げるバンダで鳴るトランペットのB管の音がはっきりと聞こえる。気になる方はINFORMATION 『ラルゴ』のLPをご覧の上、直接『ラルゴ』にお問い合わせください。想像するに、KING盤はラジオ放送からの録音、ラルゴ盤LPはTVの録画の音ではないかと思う。ラジオとTVでマイクセッティングの位置が異なっていたのではないかと想像できる。『ラルゴ』のLPには、クナの登場時の長大な拍手もそのまま収録されている。すでに売り切れだったらごめんなさい(^^;;;;。


 実は、小生はこの『レオノーレ序曲第3番』が苦手である。序曲の割にやたらと長く、楽想が細切れで、少し冗長なような気もする。よく解説書に、それまでの第1番、第2番に比較すると、ベートーヴェンの書法はより緊密になり、名作であると書いてあるが、それは同じ『レオノーレ序曲』を比較した上でのことかいなと思えてしまう。
 また、いかにも緊張感に充ちた、ベートーヴェン的そのものの響きのするクレンペラー盤を聞いていると(これは堂々たる素晴らしい演奏です。EMI盤)、クナの演奏の方が少し緩めに感じられるが、両者のスケールの描き方が異なり、大指揮者の個性の違いが聞けて、何か得した気分になる。

1938年盤
 堂々とした出だし、いかにも暗い音楽から始まるが、残念ながら27小節の第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリンの64分音符で演奏される恐ろしく早い駆け上り、駆け下りる箇所はほとんど聞こえない。37小節、アレグロに入ってからのリズムもどこか素朴に聞こえる。大臣到着のトランペットの後、301小節からのメロディは魅力的だ。後半、ティンパニが幾分ドタドタした音で、録音のせいも多分にあるが、プレストからはアクセントをきつめにしながら、かなりアッチェランドをしながら締めくくる。

1959年盤
 思いの外音が良く、録音年が正しいなら、クナ壮年期最後の方の精気に富んだ頃の演奏。1938年盤とは比べるべきもないが、1962年盤と比較すると、後半凄い推進力で聞かせてくれ、トロンボーンのバリバリと言う音色は、ベートーヴェンよりもチャイコフスキーやドヴォルザークの交響曲の方が似合うような響きである(^^)。
 最初、5小節からの弦のクレッシェンド、デクレッシェンドのふくらみはそれだけでも美しい。27小節は幾分ティンパニがやかましくて、弦楽器の動きが聞き取れないが、それでも序奏部のクライマックスで凄まじい響きだ。そのあと、37小節からがいよいよメロディらしいメロディが登場するが、客席の咳がうるさく、寒い頃の録音だろうか?
 ここからは1938年盤と異なり、素朴さと言うより、堂々とした響きを引き出している。オーケストラの引きずるようにクレッシェンドして爆発するさまなど、なるほど凄いし、目がくらむような効果だ。ただ、惜しむらくはベートーヴェンのこの楽曲自体、メロディ要素は比較的短めの楽句の集積のようで、クナ独特の長い旋律線を際だたせるような楽器間のバランスや、長大なクレッシェンドは聞けない。大臣登場のファンファーレの後、300小節からのイタリア的とも言えるメロディは、どこか歌いきらないまま終わってしまう。ファンファーレ前にも、短いながら魅力的なメロディがあちこちにちりばめられていて、クナの演奏を聞いていると、身を切られるような魅力的で切ない響きが感じ取れるが、やはりあっという間に終わってしまう。
 それでも、全体の響きは立派で、、プレストの弦楽器が噴水のように噴きあがるような演奏効果や、後拍に入るトロンボーンの音はいいですねぇ(^^)。

1962年盤
 1962年盤の歩みは極めて堂々としていて、ゆったりと進んでゆく。最初のアインザッツが揃っていなくて、ジャードン!という響きだが、クナはいつもの如く、いきなり指揮を始めたのだろうか。ティンパニの音が、1938年盤や1959年盤のようにドタドタした音ではないので聞きやすい。序奏部は、どこかコラール風に和声を構築され、暗くて悲痛な音楽が荘厳に響く。27小節の序奏部のクライマックスも、ゆっくり目ながらしっかりと決まっている。
 70小節からのメロディのゆったりとした歌わせ方やオーケストラ全体に響きはクナならでは。緊密性はほどよいところで保っているが、オーケストラの合奏精度ギリギリのテンポで縦の線を厚みを持たせながら、しかもメロディを際だたせる音楽作りは非常にふところが深い。
 大臣到着のファンファーレは、2回ともかすかにしか聞こえない。ファンファーレの後、最初は木管合奏で、2回目は弦とフルートで歌われるメロディの高貴なこと。
 106小節でクナの足音1発が聞こえたり、120小節でホルンがよろけるのは、いかにもクナのライヴ録音を聞いている醍醐味か(^^;190小節でもう1発クナの足音が入り、そこからオーケストラの厚みがガラリと変わる。そこからは、まるでクナのマジックにかけられたように、プレストまでベートーヴェンの楽曲の深い森に入ったような錯覚にとらわれる。メロディやリズムの断片のような静かな音楽から、恐ろしく深くて長いクレッシェンドが聞けたり、豊かなメロディがほとばしり出たりと、千変万化の演奏を聞ける。
 プレストに入って、ゆったりとしたテンポをクナは足音でアッチェランドをかけるように指示を出しているのだろうか。アッチェランドがかかっても、それほどテンポが速くなるわけではないが、堂々と進行し大団円を迎える。


 1959年盤は極めて充実した音楽で、多いに聞き手を満足させることができるだろう。ただ、1962年盤は前述したとおり、これはもうクナのマジックだ。小生がリファレンスにしているクレンペラー盤は大きな森を描こうとして木を丹念に描いている風情なら、クナの1962年盤は、木をしっかりと描きながら、より大きな森に発展してゆくような描き方だ。同じ巨大なスケールを感じさせる演奏でも、その中身はかなり違う、ということを遅まきながら感じ取ることができた。
 しかし、1962年盤はKING盤の出来がいいだけに、廃盤であるのは残念だ。どこかディストリビュートして出さないものか。いつもの願いだが・・・、と書くと『お前はもう、持ってるじゃないか』と言われそうだが、CDだって経年変化でどのように変わってしまうか分かったものじゃないのだ。中のアルミが腐食した例もあるそうだし、致命的な傷がつくおそれだってある。それに、『こいつは良かったよ、あなたにプレゼント!』てなことができないではないか!(^^)理想は、いつでもどこでも、安くクナのCDが入手できることだ。クナのCDは希少盤とかで、中古屋で値段をつり上げて売っているということもあるらしいが、これは悲しむべきことだ。小生の夢は、いい音源で『クナ文庫』を作ることだ。これは『フルトヴェングラー文庫』や『トスカニーニ文庫(BMGさん、がんばってますね^^。拍手です)』や『ワルター文庫』も大賛成!DGが『カラヤン文庫』を作った時、小生は心の中で拍手を送った。あとは、如何に同じ体裁で市場に定着させ、カタログから消さないかだ。もう死んじゃって何十年も経った指揮者の演奏記録(カラヤンはそうでもないけど)を、著作隣接権や発売権でしばり、優れた演奏が陽の目を見ないことの方が損失だ。今生きている演奏者の演奏を聞くこととは、スタンスが異なることを、理解しなければいけない。これは、誰にでも安く提供することが可能な『文化遺産』なのだ。なぜだって?だって、全部コピーなんだもん(^^)。

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