クナを聞く 第19回
ベートーヴェン編その8 ピアノ協奏曲第3番を聞く

2000/6/18

ベートーヴェン
ピアノ協奏曲第3番ハ短調 op.37

TAH 132-135
アンドール・フォルデス(p)
北ドイツ放送交響楽団
(rec.1962/1/15 LIVE)

TAHRA/TAH 132-135(輸)4CDs
KICC-2159
ゲザ・アンダ(p)
西部ドイツ放送交響楽団(ケルン放送交響楽団)
(rec.1962/5/14 LIVE)

KING SEVEN SEAS/KICC-2159(日)廃盤
他に、同じKING SEVEN SEASから、KICC-2373あり。


 クナの伴奏指揮によるベートーヴェン;ピアノ協奏曲第3番は、現在2種類の録音がCDで残されている。2種類とも、クナ最晩年1962年の録音であるということは興味深い。恐らく、クナはそれ以前にもベートーヴェン;ピアノ協奏曲第3番の伴奏指揮をしていると思うが、残念ながら、現在CDで残されている録音は2種類だけだ。GOLDEN MELODRAM盤にも、第3番が残されていると思っていたが、小生の勘違いだった。
 また、KING SEVEN SEAS/KICC-2169は、KICC-2373として発売され直しているようだが、小生KICC-2373は持っていないので、本当に同じ録音だったのかどうかは、確認できなかった。ただ、吉田光司著『Hans Knappertsbusch Discography』(キング・インターナショナル刊)によると、KICC-2169とKICC-2373は同じ演奏の録音ながら、KICC-2373はずいぶんと音質が落ちるのだそうだ。また、北ドイツ放送交響楽団とケルン放送交響楽団の演奏は同じものではないかと言う議論があり、吉田氏は別物だと書かれているが、小生が聞いた限りでも管弦楽の伸縮の違い、フォルデスとアンダのアゴーギグやピアノタッチの違いなどから、これは明らかに別の演奏録音だ。

 ベートーヴェン;ピアノ協奏曲第3番は、ベートーヴェンの作曲区分上、第1期の最後に分類されるそうだ。ハイドン、モーツァルトの影響下にあったものの、ハイドン、モーツァルトの様式感や音楽世界からはかなりの部分で逸脱している。オラトリオ『かんらん山上のイエス・キリスト(op.85)』と共に初演されたが、モーツァルト『魔笛』の仕掛け人でもあったシカネーダーの勧めで、アン・デア・ウィーン劇場に居住し、そこで初演された。シカネーダーは、ベートーヴェンにオペラを書かせたかったし、ベートーヴェンもオペラの作曲には意欲的だった。そのためかどうか、ピアノ協奏曲第3番はその最初から非常に劇的で、歌謡性に富んでいるように感じられる。
 ただ、このころはベートーヴェンの耳の疾患が進んでいた時期で、『ハイリゲンシュタットの遺書』が書かれた頃と前後する。


第1楽章
 KING盤はしっかりしたモノラル、TAHRA盤は疑似ステレオとまでは行かないが、緩やかに左右に音が広がる。このTAHRA 132-135は他の楽曲の録音ではかなり音をいじっているような印象を受けるが、ピアノ協奏曲第3番ではそれほど気にならなかった。むしろ、モノラルで録られた音を、ステレオヘッドのついたテープデッキで再生したらこうなった、と言うような音。
 TAHRA盤は指揮者、ピアニストの登場の拍手から収録されている。管弦楽だけによる序奏部の劇的な感情の表出は、両盤とも極めてよく似ている。同じ演奏だと言われても分からないくらいにそっくりだ。ところが、ピアノが出てきてから音楽の伸縮はかなり異なり、フォルデスのピアノに比べてアンダのピアノは繊細で、そのことの違いによる差が、管弦楽にも大きく影響しているようだ。
 TAHRA盤では20小節で音がいきなり欠落したり、138小節で管弦楽とピアノが合わなかったりする箇所があるが、前者は古い放送録音の復刻にまといつくリスクだし、後者はライヴ録音での特有な演奏の傷で(本当はそれで当たり前だと思うが)鑑賞の大きな妨げにはならない。231小節からや296の木管の素晴らしい情感が聞けるが、なによりフォルデスのピアノが雄弁で素晴らしく、クナは少し表現様式の違うこのピアニストに最大敬意を払ったようなバックを付けている。フォルデスはナポレオン・ピアニストと呼んでも差し支えのないほど、明るめの表情でバリバリと弾ききる。カデンツァもスコアに正確だ。
 KING盤の音は大変聞きやすい。TAHRA盤を聞いた後に聞くと少し迫力不足のように感じるが、実はこちらの方が放送音源に近い音だ。序奏部はTAHRA盤とほぼ同じ解釈ながら、より表現は深みを増しており(これはCDの音の差でもあるが)、しっとりとした情感を感じさせる。アンダのピアノも、ソロ開始の111小節は、バリバリと駆け上るが、その後の展開は、フォルデスに比較してより湿ったピアノの音で、一音一音ニュアンスを込めて弾いたような情感がたっぷりの音だ。258小節からの情感は管弦楽、ピアノ共々なかなかのものだが、少し緩い気もする。フォルデスとアンダの大きな違いはカデンツァでよりその差が際だつ。ピアニシモを多用したアンダのピアノは、正にニュアンスと情感の塊のような演奏で、カデンツァの早いパッセージから、その中に隠されている旋律線をより聞き手にアピールするように弾いている。アンダによるカデンツァはかなり音楽が伸縮し、旋律線を際だたせたいところで、テンポを遅くしている。そのピアノのテンポの差が、TAHRA盤とKING盤のタイミングの差そのままのようだ。

第2楽章
 冒頭、TAHRA盤は少し原テープの劣化からか聞き難い音がするが、その管弦楽の情感はなかなか素晴らしい。フォルデスのピアノは録音のせいもあるが、幾分アッケラカンとした響きだ。推進力があり乾いた音だが、それでも瞑想的で幻想的なこの楽章の風味は逃していない。クナの伴奏も、それほどリズムの重さは感じさせないが、しっとりと優れた情感を引き出している。
 KING盤は、これはアンダのピアノが湿りまくった第2楽章だ。非常に落ち着いて情感たっぷりで、アンダのうなり声が聞こえる。面白いのはクナの伴奏がフォルデス盤に比べて乾き気味の情感で、狭い範囲でだが、TAHRA盤とピアノと管弦楽は逆のベクトルになっている。フォルデス盤はスコアに書かれたピアノパートをそのまま弾ききったという演奏なら、アンダのピアノはスコアの向こう側を表現しているような趣か。そのため、アンダのピアノは非常にムーディだ。クナの伴奏は、情感はたっぷりあるのだが、どこかその情感を抑制しているようにも聞こえる。瞑想的で幻想的と言うより、ムードたっぷりの音楽になっている。

第3楽章
 TAHRA盤はクナの伴奏指揮、フォルデスのピアノ共々充実した響きで、納得のフィナーレを形成する。フォルデスのピアノは素晴らしく動的で、クナの指揮はむしろフォルデスのピアノの迫力を生かすような演奏になっている。ステレオではないことが悔やまれる優れたライヴで、スケールも大きく、非常に華やかなピアノ協奏曲のフィナーレだ。随所に現れる管弦楽の人なつっこいメロディも、モーツァルトなら少しスケールが大きすぎて間尺に合わないような感じがなくもないが、ことベートーヴェンの楽曲ではそのことがプラスに作用しているようだ。非常に優れた演奏だと思う。
 KING盤は、第2楽章のムードからすると、その変化がかなりショッキングだ。アンダのピアノはそれほど大きなスケールではないが、ピアノパートのニュアンスを伝えようとする弾き方には共感を覚える。そのためか、第3楽章の性格がTAHRA盤に比べて、よりしっかりと聞こえるようだ。クナの伴奏もそのようなアンダのピアノをしっかりと支え、優れた演奏だと言える。ここでは、よりモーツァルトに近い世界が繰り広げられている。アンダのピアノはピアニシモとフォルテシモの振幅がより大きく、ピアニシモを大切にしているピアニストであることが分かる。


 クナの2種のベートーヴェン;ピアノ協奏曲第3番は、そのソリストによってかなり印象が異なる。この2種を同じ演奏だと思った人は、第1楽章の序奏部だけを聞いてそう思ったに違いない。序奏部はほとんどタイミングも一緒だ。
 しかし、その後のピアニストの明らかな個性の違いにより、聞いた後は両者の演奏はかなり異なった印象を与える。恐らく、使用しているピアノも異なるのだろう。両盤とも、クナの演奏というより、ピアニストの個性がより反映する楽曲なので、そのピアニストへの好みによって、両盤への共感度は変わるに違いない。
 小生はどちらも面白かった(^^)。

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