シューマンはその生涯に4曲の交響曲を作曲したが、第1番から第4番まで年代順に並んでいるわけではない。実際の作曲順は、第1番、第4番、第2番、第3番となる。第4番は、「春」と通称される交響曲第1番の次に作曲され、交響曲第2番となるはずだった。ところが、その交響曲の初演時(「交響的幻想曲」と言う題名でライプツィヒで初演された)、同じステージに乗っていたリストの名技の方に聴衆の関心が行ってしまい、あまり良い評判が得られなかった。落胆したシューマンは、その交響曲をいったんお蔵入りさせたが、「ライン」と通称される交響曲第3番の後、改訂補筆させて交響曲第4番として発表した。音楽は4楽章から成立しているが、単一楽章の交響曲のように、続けて演奏される。第1楽章、第4楽章が循環形式の交響曲で、極めて充実した響きで、全編息せき切るように進行する。
シューマンの管弦楽曲は、分厚く塗り込められ、細部が聞き取りにくいオーケストレーションのため評判が悪かった。シューマンはワーグナーやその一派から、その下手だと思われていたオーケストレーションをこっぴどく批判された。ピアノ作曲家のシューマンに、複雑なオーケストラのスコアは書けないと言うわけだ。そのため、しばらくの間、ワーグナー信奉者から、シューマンは1段も2段も下の作曲家と見られ続けた。この辺りの状況に関しては、後述するBISのマーラー版シューマン交響曲全集のライナーノートを書かれた、金子建志氏の文章に詳しい。
シューマンを愛する音楽家により、スコアを改変する作業も行われている。まず、マーラーがそのスコアをすっきりした形で整理し、演奏も行った。そのマーラー版スコアは、今も残されている。ジョージ・セルも、シューマンのスコアを整理し、演奏を行っている。シューマンに関しては他にも版があると思う。さらに、指揮者の中には、シューマンのオリジナルスコアとマーラー盤スコアを折衷型で使用している場合もあるようだ。マーラー版の演奏は、チェッカート指揮ベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団(BIS)の演奏があり、セル版はセル指揮クリーヴランド管弦楽団の録音が残されている(SONY CLASSICAL)。ただ、マーラーやセルの編曲は音楽の進行は損ねないように行われているため、際物ではなく、一聴する価値のある編曲だと思う。マーラー版第1楽章で聞き慣れないホルンや木管のフレーズが聞こえてきたり、オリジナル版では聞こえてこないリズムが強調されたりするが、シューマンとは別物には聞こえない。スケルツォやフィナーレも非常にすっきりした響きだ。
ただ、最近ではその分厚く塗り込めるようなオーケストレーションが、シューマンの真情を吐露するためには必要不可欠だ、という意見が主流を占めつつある。特に、シューマンのその生涯を見渡したとき、進行麻痺(梅毒の進行した形ですな。いわゆる神経性梅毒-Robert Schumann Page by n'Guinにファンの立場から書かれた非常に美しくも悲しい文章がある)を視野に入れながらの心情的議論の中では、シューマンのオーケストレーションはそのまま、シューマンそのひとと不可分だ、という意見が多くなって来ていると思う。
シューマンの交響曲録音の数は非常に多い。全集だけでも、何種類出ているのか分からない。小生の棚にも、クレンペラーを始め、コンビチュニー、クーベリック、ハイティンク、パレー、セル、チェッカート盤などが全集の形であるし、各交響曲単体でもけっこうな数にのぼる。
その中から、交響曲第4番で印象に残っているのは、フルトヴェングラーのDGへのスタジオ録音、クレンペラーの全集盤、チェリビダッケのEMIライヴ正規盤、ノリントン盤などだろうか。特にフルトヴェングラー盤は破格の名演で、スタジオ録音が嫌いだったフルトヴェングラーが「えい、やっ!」と一発で収録を終えた演奏なのだそうだ。その気合いの入り方は尋常ではない。恐るべき超絶的演奏である。クレンペラー盤は、この指揮者には珍しく第1楽章から異常にハイテンションの演奏で、最終楽章では早めのテンポでグイグイと畳み込んで行く。ぶっきらぼうな印象を持たれる方もあるかも知れないが、クレンペラーのスタジオ録音にしては、珍しく息が苦しくなるような入れ込みの激しい演奏録音である。ただ、最終楽章はカットがあるのかそそくさとしていて幾分物足りないか(^^;。チェリ盤は堂々たるスケールの演奏で、その細やかに各フレーズを大切にする演奏はロマンに溢れている。チェリにはMETEOR(海賊盤ですな^^)から、恐らくEMI盤よりも後のライブ録音がリリースされたことがあるが、テンポがさらに遅く、第2楽章は絶美と言えるぐらいにはかなく、悲しくなるような演奏だった。ノリントン盤は、ピリオド楽器を使用したすっきりとした響きで、シューマンのメトロノーム速度を最大限守った演奏。フルトヴェングラー盤を聞いてしまうとあまりに軽やかで頼りない響きだが、その演奏は真面目で真摯でさえある。ノリントンは日本では人気がないが、もっと評価されるべき指揮者ではないかと思う。
その他に何かないかと探したら、ワルターの1938年ロンドン交響楽団との録音(ARLECCHINO盤-DANNOさんのBruno Walter Home Pageによると1939/4/26の演奏らしい)が見つかった。ワルター盤は全編これ歌に溢れたような演奏で、そのたゆたうようなフレージングが独特。全楽章迫力も充分だが、第2楽章のはかなげな情感は素晴らしい。第3楽章スケルツォも優しい。ただこの録音からはオーディエンスノイズが聞こえず、ライヴではないと思う。
クナには3種類のシューマン、交響曲第4番の録音が残されている。小生は一応その3種、8枚のCDが手元にある。
1956/11/04盤
小生の持っているのは、KING SEVEN SEAS盤、ARKADIA盤、FONOTEAM盤の3種である。KING SEVEN SEAS盤は好調。録音年代を考えるとかなり鮮明な音だ。ノイズもそれほど気にならない。「Licensed by Music & Arts Programs of America,Inc.」となっているが、MUSIC & ARTSからCDで出た記憶はない。第2楽章冒頭でパリパリ、カサカサというノイズがかなり入る。
ARKADIA盤の冒頭、ステレオのような響きで、KING SEVEN SEAS盤よりも少しこもり気味には聞こえるが、スケールが大きくも聞こえる。これはテープデッキのヘッド差によるもののように聞こえる。KING SEVEN SEAS盤よりもこちらの方が素直な音と言った方がいいかも知れない。抵抗感なく聞ける。第2楽章のパリパリ、カサカサノイズはこのARKADIA盤からも聞こえるので、元の元は同じテープなのかも知れない。ちなみにこの拍手はARKADIA拍手ではないだろう(^^)。
FONOTEAM盤は、イコライジングとエコー操作によって疑似ステレオ化されているようだ。最初、左右が逆のステレオかと思ったが、強奏では全ての音が真ん中に寄り、全編盛大なリバーヴ音(エコーのひとつです)が特に右チャンネルから聞こえる。ギミックと言えばギミックだが、音はなかなか聞き易く仕上げられていて、クナの疑似ステレオはほとんどお耳にかかれないだけに、こんなのもありかと思う。第1楽章でクナが足を踏みならすところがあるのだが、そこだけ突出していてなかなか生々しい(^^)。ただ、リバーヴ音が長く、強奏ではゴチャゴチャになる。第2楽章のパリパリ、カサカサノイズは、FONOTEAM盤からは聞こえない。
なにはともあれ、ARKADIA盤をリファレンスにして聞くことにした。物理特性ではKING SEVEN SEAS盤の方が、とも思うが、ARKADIA盤は聞き疲れしないためでもある。
1962/01/06盤
このミュンヘン・フィルとの録音は、ミュンヘン・ハンス・クナッパーツブッシュ協会名義で出された唯一のものだが(その他は日本のKING SEVEN SEAS、最近ではGOLDEN MELODRAMから出ることになる)、CDではKING SEVEN SEASからKICC-2374で出ている。そのKING SEVEN SEAS盤は、小生東京の中古屋で中古盤を発見しながら持っているかどうか判然とせず、結局買わなかった。帰宅して棚を見たら持っていなかった、という恨めしいCDである(^^;。
ミュンヘン・ハンス・クナッパーツブッシュ協会のCDの音は、1962年盤ということが信じられないくらいに悪い。弦楽器のうねる様は凄いが、録音としてはヒステリックで、強奏で音がダンゴになり、細かなニュアンスは全くと言っていいくらい聞き取れない。演奏としては大名演なのだが・・・。
1962/12/16盤
ENTERPRISEのDOCUMENTシリーズのCDも、MEMORIES盤も同じ音である。恐らく、MEMORIES盤もENTERPRISEのひとつのシリーズなのだろう。第1楽章冒頭の音のかすれ方も同じだ。原テープの劣化によるものなのか、音が抜けてかすれてしまうところは残念だが、ミュンヘン・ハンス・クナッパーツブッシュ協会の1962/01/06盤とは異なり、こちらの方はちゃんと1962年録音と言われて納得できるだけの音はしている。
KING SEVEN SEAS盤は、ウィーン・フィルとの1962年12月26日のコンサート全曲収録と記されてあって、これは非常に嬉しいCDで、音も高域は満足できるレベルではないが、ENTERPRISE盤とは明らかに原テープは異なるようで、音のかすれなどはない。これも、MUSIC & ARTSのライセンスだとある。
DISQUES REFRAIN盤はジャケットに1953年録音と記されていて、最初それを信じていたのだが、1953年の割にはいやにいい音だなぁ、と感じていた。で、吉田光司著「Hans Knappertsbusch Discography」(キング・インターナショナル刊)をひもとくと、1962/12/16盤だと記されていた。早速、ENTERPRISE盤とDISQUES REFRAIN盤を2台のCDプレーヤーに入れて、手動で同期させながら聞いて行くと見事に繋がった。これは同じ録音だ(^^;。
吉田氏が書かれているように音の状態の最もいいのはDISQUES REFRAIN盤で、小生もそれをリファレンスにして聞くことにした。
クナのシュターツカペレ・ドレスデンとの演奏は、オーケストラの性質とも関連してか、非常に渋く、質実剛健の演奏。がっしりとまとまった感じがする。最終楽章、管楽器の猛烈な音は、なるほどクナだと思えるが、それは他の同曲の演奏でも一緒だ。
ミュンヘン・フィルとの1962/01/06盤は、その冒頭から恐ろしく悲劇味の強い演奏で、バスパートや弦楽器の動きを聞いていると、そのうねる様は本当に凄いと感じる。ただ、音の悪さが影響してか、オルガンの響きのようになる。おそらく、これは音が良ければ驚くべき統一感と緊張感を持った演奏だろう。ホールエコーも盛大で、何がどうなっているのかよく分からなくなってしまうが、音のマッスは海の荒波のようで、輪郭だけ聞いていてもその迫力に圧倒される。
ただ、シューマンの交響曲第4番の性質は、実はクナの演奏だけ聞いていてもよく分からない。
そこで、試しに、小生の交響曲第4番の最フェヴァリッツである、フルトヴェングラー盤とクナの1962/12/16盤を聞き比べてみることにした。本当ならミュンヘン・フィルとの1962/01/06盤を聞き比べに使いたいのだが、いかんせん音が悪すぎる。フルトヴェングラー盤はDG、クナ盤はDISQUES REFRAINである。
第1楽章
冒頭から、フルトヴェングラーの演奏は、切ったら血が出るような生命観に溢れた演奏である。2小節目の第2ヴァイオリンとヴィオラによるメロディから、激しい憧憬に充ちたような響きだ。18小節のコラールのような旋律も高貴さが漂う。21小節から22小節へのつなげ方も効果的だ。そして、25小節からアッチェランドがかかり、物語の主部へと突入してゆく。主部に入ってからも、フルトヴェングラー節は好調で、正に青春の息吹のように音楽は進行する。42小節から43小節にかけて、フルトヴェングラーはためにためて次のフレーズに入って行く。73小節から74小節にかけて、フルトヴェングラーはまるで揺れるようにそのフレーズを描く。フルトヴェングラーは29小節から86小節までをスコア通り繰りかえす。繰り返し後、87小節と90小節の二分音符は、フルトヴェングラー盤ではそれほど強調されず、どこか馴染んだように響く。103小節からは、まるで海の嵐のような箇所だが、フルトヴェングラーはイメージそのままに、海が荒れる様を描いているかのようだ。120小節からの音のうねる様は、フルトヴェングラーの真骨頂、凄い演奏だ。その他でも、191小節の流れ落ちるようなフレーズや、286小節からのアッチェランドなど、フルトヴェングラーはなるほどと思う、描写のうまさだ。
かたやクナの62/01/06盤は大病を患った後だからか、全体的に淡々と進む。冒頭2小節の響きも、どこか淡々としており、フルトヴェングラーのような激しい憧憬を含んだ音ではない。18小節辺りからも、クナはゆったりと慈しむように演奏させてゆく。21小節と22小節のフレーズの受け渡し方も、フルトヴェングラーほど大げさではない。22小節は、第1ヴァイオリンが拍を取れなかったのか、ずれてエコーみたいに響いているが、それもまた一興(^^)。25小節からも、クナは全くアッチェランドをかけず、そのままのテンポで押し通す。42小節から43小節にかけても、フルトヴェングラーのようには溜めず、強調されないで次のフレーズに移る。73小節から74小節にかけて、フルトヴェングラーは揺れるような効果を出していたが、クナの表情は淡々としている。86小節までの繰り返しは、クナは行っていない。87小節と90小節の二分音符は、クナはスコアそのままに表情をそれほど付けずにフォルテで鳴らす。147小節の第1ヴァイオリンで奏でられるメロディの美しいこと!クナはその後の149小節からのメロディも、慈しむように愛情を持った響きで演奏させる。191小節は、クナは岩が転がり落ちるような風情だ。そして、221小節からの美しいメロディ!最後はフルトヴェングラーのようにはアッチェランドはかからないが、金管のファンファーレも、少し情けない響きの箇所もあるものの、堂々とした進行で第1楽章を締めくくる。
第2楽章
フルトヴェングラー盤が、最大限第2楽章を演出したものなら、クナ盤はごく自然にその悲しげな音楽を開示してゆく。どちらも美しい演奏だが、クナ盤は表情が自然な分、感動的だ。例えば、その表情が明るく雲間から月の光が差すような16小節からの自然な情感など、クナ盤は聞き物だ。43小節から、クナはテンポをかなり落とし、ラメントのような切ない表情を付けながら第2楽章を終わる。
第3楽章
クナは第2楽章の続きからお馴染みの足音1発でテンポと表情を変える。フルトヴェングラー盤の方がテンポは遅め。フルトヴェングラー盤の迫力はなかなかに凄い。トランペットの音は、どこかクナ盤はのどかで美しい。フルトヴェングラー盤ではしっかりと他の楽器とブレンドされている。トリオに入ってから、クナ盤はしっかりしたリズムでゆったりと舞踏曲風に演奏してゆく。フルトヴェングラー盤は舞踏曲のイメージはクナ盤よりも希薄で、ゆったりと風に吹かれながら揺れているような雰囲気。トリオの2回目の繰り返しで、最後の方など、フルトヴェングラー盤は止まりそうなほどリタルダンドし、テンポを落とす。
第4楽章
冒頭から金管が活躍するが、クナは即物的に鳴らす。まるでワーグナーだ。フルトヴェングラーもワーグナーと言えばワーグナーだが、押さえ気味に高貴さを漂わせた響きだ。ただ、10小節辺りになると、その金管の音が、フルトヴェングラー盤では表情の付けすぎが災いして、少しもったりした響きになる。15小節からテンポの急激な変化があるが、傑作なのはクナ盤で何度も足が踏み鳴らされるところか(^^)。30小節からのメロディの美しさはクナならではだが、そのメロディがフルトヴェングラー盤では強調されない。63小節辺りから、フルトヴェングラー盤の威力はものすごく、音楽は正に生きているようだ。67小節から、フルトヴェングラーはかなりのアッチェランドをかけるが、クナはそのままのテンポで押し進んでゆく。これは157小節からも同じだ。フルトヴェングラー盤は、間然とすることなく音楽を進行させ、強烈なオーラを発しながら、終結部になだれ込んでゆく。クナ盤は、それほどアッチェランドせず、211小節で少し弦楽器がグチャグチャになるが、それでも堂々と終結する。
フルトヴェングラー盤の音楽の作り方は、極めて効果的だ。その推進力や各フレーズの表情など、少し演出過多に思える響きもあるが、素晴らしいシューマンの音楽になっている。クナ盤は、貧弱な音のミュンヘン・フィルとの録音では、フルトヴェングラー張りの表情付けが聞けるが、ウィーン・フィルとの1962/12/16盤は、どこかスコアに淡々と、しかし美しいメロディラインは際だたせるような音楽になっている。シューマンの交響曲第4番では、恐らくフルトヴェングラー盤の方が、高い演奏効果でまず聞かれるべきものだろう。その方がシューマンの情念のようなものを感じ取ることができるからだ。クナは、ワーグナーの演奏では、フルトヴェングラーを凌駕したような巨大なスケールを獲得しているが、このシューマンの交響曲第4番を聞いていると「なぜか?」がある程度分かるような気もする。クナはシューマンではメロディは大切にしているが、スコア以上の演奏効果をもたらそうとはしていないからだ。
ワーグナーにあってシューマンにないもの、逆にシューマンにあってワーグナーにないものが、フルトヴェングラーとクナという両巨匠の個性によってあからさまにされてゆくような気がしてならない。
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