クナを聞く 第37回
ワーグナー編その3−1

ワーグナー:歌劇「タンホイザー」Vol.1
序曲とヴェヌスベルクの音楽

2001/5/6


Richard Wagner
Tannhäuser

Overture & Venusberg-Baccanale


 「タンホイザー」から、ワーグナーの世界はいよいよ深化し始める。「タンホイザー」のドラマ自体、人間の深奥から出た「原罪」に打ちのめされている主人公(あるいは主要人物)の救済がテーマとなり、精液にまみれたようなドロドロとしたその「原罪」への悩みが吹き出してくる。恐らく、ボードレールが「タンホイザー」を観て激しいショックを受けたのは、その辺りの、男女という性が分かれた人間が存在する以上、避けて通れない「悪癖」と「罪」に対するテーマの重さと、当時のワーグナーの持つ音楽の革新性だったと想像できる。
 すなわち、禁断の果実をかじってため神からもたらされた官能と悦楽の罰に対して(もうひとつ、産みの苦しみが女性には与えられるが)、その麻薬的な快楽から抜け出し救済されなければ、自分は破滅するという、アンヴィヴァレンツな苦悩だろう。この苦悩は、「タンホイザー」以降も、ワーグナー作品の重要な主題になってゆく。

 「タンホイザー」はまずドレスデンで初演され、その時のスコアと、後にパリでの成功を狙って改訂したパリ版スコアが存在し、バイロイトではその折衷型スコアを敷衍して使用するなど、決定稿として「これが一番正しい」というものは存在しない。パリで公演する際、パリでは当たり前だった序曲後の後のバレエの挿入を実行し(第2幕でのバレエの挿入をワーグナーが拒否したことから、パリで大騒動になり、「タンホイザー」の公演は早めに終了した)、その序曲の後に演奏されるよう作曲したバレエ音楽であるヴェヌスベルクの音楽を元に、さらにオペラ全体をも改訂したため、現在に至るまで混乱を招く結果になった。ドレスデン版の方が、物語に即した音楽の展開ではふさわしいが、当の作曲者が改訂をして、後の版の方を気に入ったということでは、どちらを支持するか、なかなか難しい問題を孕んでいる。
 そのため、さまざまな指揮者によるワーグナー序曲集や管弦楽曲集では、ドレスデン版で演奏されたものと、パリ版で演奏されたもの2種類のどちらかが演奏される。バイロイトの伝統に則した演奏ということでは、ヴェヌスベルクの音楽を含むパリ版の方が正しいとも言える。
 クナには残念ながら「タンホイザー」全曲録音は今のところリリースされていない。もともと録音自体が存在しないのか、存在しているとしても発売できるだけのクオリティを持っていないのか分からないが、Hans Knappertsbusch Concert Registerでは、クナは何回か全曲を演奏しているという記録は残っている。クナのCDでは、序曲を含めて断片が少し残されているが、序曲ではドレスデン版とパリ版ふたつとも演奏録音が残されている。また、ヴェヌスベルクの音楽だけを演奏している記録もある。ただ、クナにはそれほど「タンホイザー」で残されている演奏録音は多くはない。
 ではどのような録音が残っているのか探してみると、

  • ヴェヌスベルクの音楽(rec.1928)
  • 賓客の入場(rec.1928)
  • ウィーン国立歌劇場での断片(rec.1937/11/20)
  • タンホイザーのローマ語り(rec.1942/1/31)
  • チューリッヒでの断片(rec.1949/6/23)
  • 序曲とヴェヌスベルクの音楽(rec.1953/5/6)
  • 序曲(rec.1962/11)
だった。1950年代の録音とされるイタリアORIGINALSのCDがあるが、これは確認すると1962年WESTMINSTER盤と同じ演奏である(このCDも、ブレーメン・フィルとの「エロイカ」の時に都志見さんから譲っていただいたものだ^^;)。
 今回は、まず序曲とヴェヌスベルクの音楽を取り上げようと思う。

POCG-2128
90286
AB 78678
IN 1330
Tannhäuser
Venusberg-Baccanale
Berliner Philharmoniker
(rec.1928 S)

DEUTSCHE GRAMMOPHON/POCD-2128(Japan)
PREISER/90286(Ausrtria)
GORAMMOFONO2000/AB 78678(Italy)
IRON NEEDLE/IN 1330(Italy)

 ヴェヌスベルクの音楽(バッカナール)だけ収録されたCDは手元に4種類あった。ドイツ・グラモフォンの国内盤は小生持っていなかったのだが、見かねてある方が中古盤を調達してくれた(ありがっとミ〜〜〜ン!←だれだか、すぐバレる?(^^;)。

 まずDEUTSCHE GRAMMOPHONから聞いてみたが、1928年という録音年代を考えるなら、さすがドイツ・グラモフォン盤の正規録音だけあって、音にはまるで不満がない。
 PREISER盤は、DEUTSCHE GRAMMOPHON盤よりもノイズは盛大だが、音の細部までしっかりと追いかけられていて、これもなかなか素晴らしい復刻だった。
 GRAMMOFONO2000盤は、ノイズがステレオで聞こえてきて、音も少し引っ込んだ感じだ。弦楽器は極めて自然に聞こえるだけに少し残念か。少し帯域が狭い。IRON NEEDLE盤は曲目も配列もGAMMOFONO2000盤と同じで、音も一緒だ。
 せっかくだからDEUTSCHE GRAMMOPHON盤をリファレンスにして聞いた。

 バッカナールでは、序曲からのつながりでカラヤンのEMI盤をよく聞いたが、最近トスカニーニの録音を聞いてその迫力に唸ってしまったが、クナのこの28年盤はどこかおっとりしている中にも(シンバルがずれたりする)、大迫力の脅迫的なバッカナールではない分、ヴェヌスの園の色香に迷わせる官能的なバレエ音楽がそこはかとなくただよう。カスタネットが登場する前の、かなり盛り上がり迫力満点の部分からクナはこの1928年の段階で、スピード感だけではない奥行きを感じさせ、後半のヴァイオリンによる憧れに充ちた表情から夢見るような場面では、極めて優れた再現性を獲得している。また、各楽器が弾いている音符の価値が明確で、透明感をも引き出している。そのフォルテシモからピアニシモまでの振幅は、この年代で既に呼吸感を聞き手にもたらす。最初こそ幾分頼りない響きだが、その展開は凄まじく、その押し寄せる波と静かに引いててゆく波のような演奏は傾聴に値する。ロマンが漂う演奏である。ベルリン・フィルの威力もさすがだ。クナは若い頃からワーグナーの管弦楽法の妙味を細部まで知り尽くしていたのではないか、とも思える。ただ、現代のハイファイ録音ではないので、その辺りを割り引いて聞く必要があるが・・・。DEUTSCHE GRAMMOPHON盤のあとにPREISER盤をもう一度聞いてみた。DEUTSCHE GRAMMOPHON盤よりも響きがこちらの方が立派で、最後の余韻にも浸ることができた。DEUTSCHE GRAMMOPHON盤は既に入手しにくいが、PREISER盤で充分以上だろう、という気になった。


440 062-2
POCL-4304
KICC-2313
Tannhäuser
Overture-Venusberg-Baccanale
Weiner Philharmoniker
(rec.1953/5/6-7 S)

DECCA/440 062-2(England)
DECCA(POLYDOR)/POCL-4304(Japan)
DECCA/KICC-2313(Japan)

 手前のディスコグラフィを見ていて、DECCA/440 062-2の「タンホイザー」序曲とヴェヌスベルクの音楽の録音データが間違っていた。正しくは1953/5/6-7に録音されたものである。まだ、訂正後のソートなどはかけていないが、他のデータ共々見直さなければと思う(^^;。
 また、国内盤では吉田光司著「Hans Knappertsbusch Discography」(キング・インターナショナル刊)によるともう1枚、250E1183というのが出ていたようだ。
 音の方は、DECCA/440 062-2は37小節からのトロンボーンの強奏でディストーションをかけたように音がかなり歪む。恐らく、最も原テープに近いと思われるだけに残念だ。同じ音源からと思われる日本盤のPOCL-4304もかなり歪む。POCL-4304はホワイトノイズもDECCA/440 062-2に比べて盛大に聞こえる。キング・レコードのKICC-2313も音は歪むが、全体に帯域が狭く、どこかオーケストラが奥まって鳴っているようで、ディストーションは他の2枚に比べるとそれほど気にならない(それでもディストーションはあるが)、という皮肉な結果になった(^^;。
 まぁ、とりあえずは440 062-2をリファレンスにして聞くことにした。

 出だし、木管楽器による巡礼の音楽から、その表情は真摯で高貴である。「タンホイザー」序曲で特徴的な32小節からの第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリンの音の刻み方も流れるようにではなく、しっかりと演奏させる。幾分テンポは速い。112小節からも、思いの外テンポを速め、ヴェヌスの官能的でめくるめくような曲想をよく生かしている。タンホイザーを誘惑するような淫楽的なヴァイオリンソロの絡みつくような情感は、「タンホイザー」はただ単に荘重に演奏されなければならない、というような演奏とは1線も2線も画す。
 289小節から、この1953年録音盤はパリ版のヴェヌスベルクの音楽へと突入するのだが、つなぎ目が不自然で、もしかしたら編集の後かも知れない。1953年盤のヴェヌスベルクの音楽−バッカナールは1928年盤よりも一皮もふた皮もむけた印象を受ける。トスカニーニ盤(RCA)、カラヤン盤(EMI盤、晩年のDG盤があるが、EMI盤が元気のいいカラヤンで圧倒的だ)、ミュンシュ盤(RCA)でパリ版序曲は聞くことができ、ミュンシュ盤はイマイチながら、前2者はさすがの演奏を聞かせる。その他ドレスデン版での演奏を含め、かなりの数の演奏録音を聞いてみたが、クナの演奏はそのドラマの深淵を覗かせるようで、凡百の指揮者と表現が幾分異なる。特にバッカナールは、このとろけるような官能的な表現が必要なのだと思う。スポーツ選手の色気のない襲来や、ケバイお姉ちゃんのキャバレー的な攻勢ではなく、そのバッカナールの後半の音楽の表情は、うっとりするような母性に抱かれたような、それでいて悦楽的で官能的な表現になっている。げに、ワーグナーの表現とは聖と俗の大きな振幅、官能的とはどういうことなのかを知っていて、さらにそれを適切に表現できる演奏家でないと無理だろう。その表現のためには、スコアを恣意的に表現するだけではダメで、各フレーズ、あるいは音符のひとつひとつの意味を開陳できなければならない。
 その意味で、クナの表現は圧倒的であり、この1953年盤は早めのテンポながら、クナのワーグナー演奏の特徴がしっかりと出ていると言える。クナの大きな呼吸は、トスカニーニのビシバシと平面的に畳み込むのとは少し異なり(テンポは以外やクナの方が速い)、重めに折り重ねるような畳み込み方は、なるほどと納得せざるを得ない。
 しかし、以外にトスカニーニとクナでは、その表現方法と響きは大きく異なるものの、ワーグナーの表現者として、濁りのない透明な音の獲得、ということでは親近性があるのではないかと感じてしまった。
 ただ、欲を言えばバッカナールの最後は、やはり全曲盤のように女性コーラスが欲しい(^^)。聞いていて何かが足りない、と感じさせられる。そして最後は満たされないようにして終わる。


32XK-12
MCAD2-9811-B
MVCW-18001
UCCW-9001
URN 22-127
TH 121.125
SH 833
Tannhäuser
Overture
Münchener Philharmoniker
(rec.1962/11 S)

WESTMINSTER(PIONEER)/32XK-12(Japan)
WESTMINSTER(MCA)/MCAD2-9811-B(U.S.A)
WSTMINSTER(VICTOR)/MVCW-18001(Japan)
WSTMINSTER(VICTOR)/UCCW-9001(Japan)

URANIA/URN 22-127(Italy)2CDs
THEOREMA/TH 121.125(Italy)mono
ORIGINALS/SH 833(Italy)
 まずWESTMINSTER以外でリリースされたものは解説が必要だが、URANIA盤はジャケットでは1949/11録音となっているが、WESTMINSTERと同じ演奏録音である。1949年盤にしてはステレオで聞こえてくる(^^)音がかなり違うので、最初、もしや未発見録音かと期待したが、しつこく比較試聴した結果、な〜んだ・・・、の結果に終わってしまった。ただ、このCDの音圧はものすごく、一聴の価値はある(^^)。
 THEOREMA盤はジャケット表記など間違いはないが、WESTMINSTER盤をモノラルにしてCD化してある。うがった見方をすれば、ステレオに今なお抵抗感のある古いヨーロッパのリスナーのために、わざわざモノラルで発売したのかも知れない。そんなアホな。ただ、モノラルながら音は比較的聞きやすくCD化されていて好感は持てる。こちらの方がリアリティを感じるファンがいてもおかしくない(^^;。
 ORIGINALS盤は、WESTMINSTER盤の出来の悪いコピーで、ブレーメン・フィルとの「エロイカ」が驚愕的な音の聞きやすさでたまげたが、「タンホイザー」序曲は別になくても構わなかったのにと思う・・・が、もしかしたらイタリアではWESTMINSTER盤は入手できないのかも知れない。
 一応今回も日本ビクターによる復刻版をリファレンスにした。

 WESTMINSTER盤「タンホイザー」序曲はドレスデン版を使用しているが、クナの音楽を聞く上で踏み絵のような役目を果たしているかも知れない。クナが好きになるのも嫌いになるのも、これ1曲で決まってしまうクラシックファンも多いに違いない。
 この「タンホイザー」序曲の演奏録音は巷間でも評判が高く、クラシック解説本などにも載っているので、「そんなに凄いんなら聞いてみようか」と思うファンがいてもおかしくはない(小生もそうだった^^;)。ところが実際に聞いてみると、冒頭巡礼の音楽から、合っているのか合っていないのか分からない木管楽器、まるでテンポが無風状態のようで、普通の煽りまくった演奏ではないし、リズムもギクシャクと弾まない。そして、ゆったりと口に入れたものを咀嚼するかのような、ジジくさく丁寧すぎるとも言えるフレージング、盛り上がらないダイナミックレンジなどなど、まるで抽象画のような「タンホイザー」序曲なのだ。「なんじゃ、これ」と思われても仕方がない。おそらく、この演奏はある時、「あ、そうか!」といきなり理解ができる性質の演奏なのかも知れない。テンポが遅いと言っても、無論遅ければいいというものではない。事実クナの1953年盤のテンポは早めだ。白状するならば、小生もLPでこの演奏を初めて聞いたとき、その凄さがさっぱり理解できなかった。これを素晴らしい演奏だと言う輩は、何かまやかしではないか、あるいは逆に、自分では到達できない、非常に高度なファンではないかと思ったりした。
 実は今でも思うのだが、この演奏は聞き手によっては非常な駄演だということだ。ところが、何回も聞くうちに特に巡礼の音楽が再現される辺りから、その引き延ばされたテンポ、朗々と歌うメロディなど、なるほど「年老いたクナはこういうことを言いたかったのか」と理解できると、これは正にかけがえのない演奏録音になる。
 恐らく、クナは実際のオペラの全曲演奏では、最晩年でもこのようなテンポは取らない、と思う(いやぁ、「魔笛」の例があるしなぁ・・・^^)。ところが、これはクナ最晩年のスタジオ録音である。クナは「タンホイザー」序曲で何事か遺言のようなものを残したかったのかも知れない。
 「タンホイザー」序曲は完全な3部形式で、ヴェヌス山の官能的で悦楽への欲望を追求した部分を巡礼の音楽がはさみこむような形を取っている。ヴェヌス山の場面は、クナの1962年以前の演奏やその他の演奏からも明らかなように、惑溺するような音楽作りが可能だが、クナはここでは既に枯れてしまったようなヴェヌス山を表現する。そのため、前後の巡礼の音楽との対比があまり鮮明ではないが、クナはその辺りにはまるで関心がないかのように、後半の巡礼の音楽が巨大なスケールで正に大きな幸福感と祝福に充ちて立ち上ってくる。この長大なクレッシェンドと呼吸に一体化できれば、これは凄い体験ができると感じる。もっとも、16小節のどこか諦観に伴う悲しい表情が付けられたような弦楽器によるメロディから伏線が張られているわけだが、息が長く、そのメロディの演奏は魅力的である。
 81小節からバッカナールとなり、それを賛美するタンホイザーのメロディと交錯しながら音楽は淫楽の宴を繰り広げてゆくのだが、クナの演奏この演奏からは淫楽さはあまり聞こえてこない。むしろ、どこか愛情がこもっていて、それほど阿鼻叫喚のシーンは想像できない。クナのこの演奏では、バッカナールの寂しげな終結ともに徐々にクレッシェンドしてゆく巡礼の音楽が非常な聞き物だ。この悠々としたテンポ、何ものをも呑み込んでしまうような巨大で重い波は、音楽のもつ圧倒的な至福感を聞き手にもたらす。それは、クナの宗教告白のようにも聞こえるし、ワーグナーが「タンホイザー」で最も言いたかったことの(ボードレールが「タンホイザー」に惑溺したのとは違う意味での)最大限の表現と聞くことも可能だろう。


 クナの「タンホイザー」序曲では、最もオーソドックスかつ刺激的な演奏は、音は悪いが1953年盤だと思う。1962年のWESTMINSTER盤はもしかしたらクナを誤解してしまう大きな要因をはらんでいる。それでも、その凄さを感じ取れれば、これは素晴らしい演奏録音なのだが、その静的な抽象画のようなたたずまいは、少し聞いて理解ができるような代物ではない。
 今回も「タンホイザー」序曲をいろいろと漁ってみた。その中でトスカニーニ盤の真摯な表現に驚いてしまった。これはパリ版での演奏で、1952年NBC交響楽団との収録だ(RCA/09026-60306-2)。歯切れのいいリズム、低域の少し薄い録音(これを聞いている限りではそんなことはないが)、独特のフレージングはワーグナーファンから嫌われそうだが、これを聞いているとそんなことは言ってられない。カラヤンの宙を飛ぶようなEMI盤(これも好き嫌いありそう^^;)共々、さすがに凄いと感じた。テンポも適切で、その音楽の性質共々恐るべきヴェヌスベルクの音楽だ。トスカニーニのテンポは速いとよく言われるが、クナの1953年盤より2分半も長いのだ。一度、クナの1953年盤とトスカニーニの1952年盤を比較試聴されることをお薦めする。

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