1950年ライヴ
URANIAのクナ=ワーグナー管弦楽曲集に入っている録音は、1950/7/23にミュンヘン・プリンツレゲント・テアターでライヴ収録された全曲盤の抜粋である。モノラル。これは、前回までに取り上げた演奏と同じである。ただ、ORFEO D'OR、GALA、ARKADIAのCDと異なり、かなり埃っぽい。さらに、ステレオで聞くと浮遊するような音場で、音圧レベルもかなり高い。音質はあまり、いいとは言えない。
1959年スタジオ録音
ウィーンフィルとのDECCAによる正規スタジオ録音である。ステレオ。ほぼ、同じような時期に第1幕前奏曲、第1幕第3場から"Weh,ach wehe!Dies zu dulden!(ああ悲しい、こんな屈辱を受けて!〜イゾルデの呪い)"、第3幕"Mild und Ieose(愛の死)"が録音されたようで、各CDもその3曲の順列組み合わせになっている。すべてが収録されているのは、DECCA/452 896-2だけである。前奏曲と「愛の死」は1959年9月録音となっていて、"Weh,ach wehe!Dies zu dulden!"は同年11月録音となっているCDもあるが、9月にすべてが集中して録音されたと考える方が妥当だと思う。
国内のDECCA発売会社であったキング・レコードから、もっと多くの同一録音のCDが出ていたかも知れない。その全てをチョイスしていないので分からない。
音は大同小異だが、POLYDOR、UNIVERSAL盤はホワイトノイズが少し被っているものの、高域のリアリティはキング盤よりもあるようだ。
DECCA/452 896-2と国内廉価盤が最も状態がいい。まず、国内廉価盤をリファレンスにして聞いた。
ステレオでこの演奏が残されていることに感謝しよう!
出だしから、クナの魔術にはまりこむような、それでいて落ち着いた演奏になっている。暗い黄泉の世界から聞こえてくるようなピアニシモのチェロから、これは魔術としか言いようがない。スタジオ録音のためか、1963年ライヴのような、生き身をさらすような凄絶な表現では無論ないが、この響きの美しい、それでいて、重い砂袋がゆったりと落ちるような質感は、もしかするとスタジオ録音でしか味わえないものかも知れない。16小節直前の足を踏み鳴らす音は残念ながら聞こえないが、そのすぐ後のゆったりとしたチェロでメロディを奏でるところの、コントラバスのゆったりしたリズムは見事である。さらに、23小節途中からの第1ヴァイオリンの小刻みなフレーズの確かさは、スコアを見ていると、まさにそこに書かれているとおりにクナは演奏させていることが実感として理解できる。
クライマックスでは、クナはやはりアッチェランドをかけるが、ライヴのように手綱を手放すかのようにギリギリと持っているのではなく、ゆったりと握って制御しているかのようである。切実さはライヴ録音にあるのは仕方のない面はあるが(あのカラヤンでさえ)、この豊かな時間感覚とスケールの巨大さは素晴らしい。前奏曲最後の不気味さもなかなか凄い。
「愛の死」は、通常の選曲盤にはない冒頭が少し加えられている。テンポはかなりゆったりとしていて、全曲盤でも抜粋盤でも言えることだが、ライヴとは異なる余裕を持った響きだ。ニルソンが可憐に感ずるくらい、オーケストラの響きは広大無辺の世界を感じさせる。
1962年5月31日ライヴ
これは、元々ドイツのテレビで放映されたものが元になっている。モノラル。もしかすると、ラジオでも同一プログラムが放送されたのかも知れないが、それは分からない。映像も見てみたが、クナはニルソンの後をトコトコとついて歩いてきて、客席は一顧だにせず、椅子に腰をかけていきなり演奏を始める。胃潰瘍を患って手術をした後で体力はどうだったのだろうか?前奏曲の盛り上がる箇所では立ち上がったり、クナのワーグナー演奏の他の映像でも顕著だが、身体全体を使ってオーケストラに呼吸感を与えてゆく。ニルソンは、こんなに丸顔だったっけと思うが、非常な名唱で緊張感とスケールの大きさに溢れたライヴだった。
演奏が終わっても、ついにクナは客席を振り返ることもせず、そそくさと楽屋に帰ってゆく。カーテンコールがあったのどうか分からない。もしかすると、カーテンコールにはニルソンだけが出てきた可能性もある(^^;。
DISQUES REFRAIN盤とHOSANNA盤は、同じソースからの海賊盤化だと思うが、HOSANNA盤の方が音圧レベルが若干高く、聴き応えがある。音そのものは水準で、1962年のライヴとしては決していい方ではない。ただ、ビデオテープからの収録であれば、音の暴れは少なく、その分聞き易いと言える。
16小節直前の足を踏み鳴らす音と、オーケストラがフォルテで悲劇の幕を切って落とす音のタメは凄い(^^;。こんな、歌舞伎の千両役者の所作のような音楽作りは、クナだからツボにはまっているのだろうか?
映像を見てしまったからか、音楽だけを聞いているとクナのどこまでも膨らんでゆくかのような音楽作りは、CDの音のせいもあってリミッターがかかっているようで、今ひとつ伝わりにくい。映像では、その音の貧弱さを補って余りある迫力があった。
それでも、クナの粘りながらうねるような音楽は充分伝わってくる。陸に上がった巨大なウナギがひとしきり大暴れして、それが終息してイゾルデの歌に入って行くようだ。
ニルソンの歌は、その声量、情感とも素晴らしい。希代のイゾルデの歌い手である安定感を感ずることができる。ベームの全曲盤では管弦楽に感心できず、迫力はかなりのものながら今ひとつ音楽にのめり込めなかったのだが、ここでは違和感なく、浸りこむことができる。
全体的に、ファンタジーの豊かさを感ずることできる出来映えである。
1962年スタジオ録音
WESTMINTERによるスタジオ録音。ステレオ。「愛の死」では歌手を起用せず、オーケストラだけで演奏している。WESTMINSTERは発売元のレコード会社を変え、幾たびか出ているが、日本ビクター(なぜ、ヴィクターと書かないんだろう?^^;)の復刻が最も満足のできるものだろう。最初の復刻であったパイオニア盤は、ブルックナー:交響曲第8番とカップリングされていた。
ドイツ・グラモフォンからは、ワーグナーではブルックナー:交響曲第8番の余白に収録された曲目(ローエングリン第1幕前奏曲、ジークフリート牧歌、パルジファル第1幕前奏曲)はあるが、まだ、まとまった形ではワーグナー曲集は出ていない。
なお、パイオニアの最初の復刻盤は、LPもそうなっていたとの理由で、ブルックナー:交響曲第8番の音場の左右が逆だ。右側から第1ヴァイオリンが聞こえてきた。収録時にどちらが正しかったのか分からない。ワーグナーでは、ノーマルな配置になっている。そのため、元はどうなっていたのか、余計分からない(^^;。
イタリアのTHEOREMAから出ているものは、WESTMINSTER盤をモノラルにして収録している。
パイオニア盤はLPからの板起こしで、LPの状態が決して良くなかったのかブツブツした音が聞こえるし、少しモヤがかかっているようでもある。イアスピーカーで最後まで聞き通すのはかなりつらい。ここはビクター盤をリファレンスのするのが妥当だろう。
スタジオ録音としては、1959年のウィーンフィルとの録音より、よりクナに近寄った演奏だと言える。ここでも、16小節直前の足を踏み鳴らす音は聞こえないが、ゆったりとした中にも、オーケストラの音がよりナマに聞こえるためか、スタジオ録音にしては、クナの演奏の持つ寂寥感がより際だつ演奏録音になっている。演奏は端正とも言えるほどで、丁寧にワーグナーのスコアを浚ってゆく。1962年、1963年ライヴのような、巨大な生物がのたうち回っているような凄みは後退しているが、冷静になったクナの「トリスタンとイゾルデ」はひじょうに格調が高く、インテンポであったとしても、それほど遅くはない。深々とした呼吸を感ずることができる。クライマックスにいたる箇所のティンパニーはポコポコした音だな(^^;。
94小節で、ヴィオラ以外の楽器でいきなり音が落ちる箇所があり、編集の跡があるのかなと思ったが、どうも違うようだ。原音源の劣化か何かだろう。
スコアを見ながらこの演奏を聞いていると、その再現の徹底に驚かされる。豊かでふくよかな響きだが、クナは徹底してワーグナーのスコアを読んでいるようだ。
「愛の死」も、ソプラノがあった方がいいに決まっているが、このような管弦楽版をかなり聞き慣れているためか、それほど違和感はない。クナのこの演奏では、大きな波のような効果は後退しているものの、弦楽器のさざ波にような効果が美しい。
なお、このミュヘンフィルとのスタジオ録音は、ヴァイオリンの配置が両翼配置で、その効果的な管弦楽法からも聞く価値は高い。ウィーンフィルとのスタジオ録音はストコフスキー配置だった。
1963年ライヴ
NDRとのライヴ録音。モノラル。メゾソプラノのクリスタ・ルードウィッヒがイゾルデを歌う。クリスタ・ルードウィッヒは声域が広いとは聞いているが、このように通常のソプラノではない歌手がイゾルデを歌った例が他にあるのか、小生は残念ながら知らない。
CDではかなりの種類のレーベルから出ている。小生も4種類を確認している。ここに出ていない物では、他にイタリアのNOUVA ERA盤があったはずだ。
TAHRA盤をリファレンスにして聞いたが、TAHRA盤は原音源が劣化しているのか、少し聞きずらい。他のCDは聞き易いのだが、迫力でTAHRA盤に大きく劣る。
素晴らしく粘りのある演奏で、悲劇味が強調された前奏曲である。まさに呼吸をしているかのような各フレーズを聞いていると、クナの表現が徹底していることが分かる。波のように引いては返す自然の力学が働いているかのようで、その一つひとつの波が重く、相当の高さを保っているかのようだ。
例えば、4小節から5小節目の危険な緊張感をはらんだ休符、9小節のヴァイオリンが豊に切実に膨らんでゆく様子。16小節でフォルテに突入するのだが、その直前に決然と踏みしめられるクナの足音!などなど、クナは本気である。クライマックスの巨大な音楽は息を呑むしかない。音楽は正に生きているようで、切ればそこから血が溢れ出そうだと言っても過言ではない。
クナの「トリスタンとイゾルデ」の解釈は、我々が聞ける録音では1950年から一貫して変わらないが、その巨大なスケールと切実さという点では、このルードウィッヒ、NDRとの協演は群を抜いている。そのフレージングの丁寧でいて思い切りの良い見事さ、ダイナミックレンジの振幅の大きさは素晴らしいの一言に尽きる。
クリスタ・ルードウィッヒの歌も、高域はさすがにヌケは悪いものの、低域でソプラノよりも余裕があり、スケール感を増すことに一役買っている。全曲盤のヘレナ・ブラウンのような切実さはないが、ノーブルな気品を持った歌である。
全体を通しても希有の演奏記録である。
|