クナを聞く 第65回
ワーグナー編その7−10

ワーグナー:「ニーベルングの指環」
第2夜「ジークフリート」
バイロイト1956年
2003/3/2
2005/10/16 Update

Richard Wagner
Siegfried


C 660 513 Y
GM 1.001
KICC-2274-6
CD-1009-1-5
CD-4009
Siegfried...Wolfgang Windgassen
Mime...Paul Kuën
Wanderer...Hans Hotter
Alberich...Gusutav Neidlinger
Fafner...Arnord van Mill
Brünnhilde...Astrid Varnay
Erda...Jean Madeira
Waldvogel...Ilse hollweg

Chor und Orchester der Bayreuther Festspiele-1956
(rec.1956/8 L)

Orfeo D'or/C 660 513 Y(Germany)13CDs
GOLDEN MELODRAM/GM 1.001(Italy)14CDs
KING SEVEN SEAS/KICC-2274/88(Japan)15CDs
MUSIC & ARTS/CD-1009(U.S.A)13CDs & CD-4009(U.S.A)13CDs

 まず、白状することがある。1958年「ワルキューレ」から、1956年「ジークフリート」ログ作成まで、かなりのインターバルが空いてしまったが、実は何をどう書こうかと悪戦苦闘していたのだ。
 お気づきの方もおられると思うが、1956年盤を扱うとき、小生はストーリーを追いかけてしまっている。演奏の特徴などがなかなか書けないのだ。なぜだろう?と散々悩んだ。
 で、今回の「ジークフリート」を何回も聞き直しながら、あることに気が付いた。小生にとって、クナ1956年の「ニーベルングの指環」が小生にとっての「ニーベルングの指環」の原点であり、リファレンスなのだということだ。
 クナ1956年盤を聞いてからクナの他の録音、フルトヴェングラー盤2種、クレメンス・クラウス盤、ショルティ盤、カラヤン盤、ベーム盤、ケンペ盤、ブーレーズの映像、レヴァインの映像、古いメトのスティドリー盤などを聞くのだが、各演奏、録音のプラスマイナスや特徴がよく分かる。
 むろん、生まれて初めて聞いた「ニーベルングの指環」はカラヤン盤で、ショルティ盤、クナ1958年盤と続いて、クナ1956年盤を最初に聞いたのはかなり後だ。
 それでも現在では、小生はクナ1956年盤を「ニーベルングの指環」を聞く上で、全ての出発点としているらしい。
 そのため、小生にとって当たり前の演奏になってしまっていて、特徴などがなかなか書けない結果になってしまっているのではないか、と思う。
 クナ1956年盤はリファレンスと言っても、ライヴ特有のオーケストラのアンサンブルの傷はあるし、今回の「ジークフリート」のように、歌手が走り気味の例もある。歌手中心に録られているため、オーケストラの音は幾分遠目ということを差し引いても、この録音が小生の「ニーベルングの指環」のリファレンスであることは間違いがない。
 これで気が楽になった。今回のクナ1956年「ジークフリート」も、ストーリー展開が中心になってしまうが、それでよいと思う(←自分で納得してどうする)。


 いよいよジークフリートの登場である。ところが、小生にはジークフリートのイメージがいまいちよくつかめない。舞台では、よく獣の皮を身につけたジークフリートが登場するが、そのような姿形のジークフリートではなく、なぜヴェルズンク族の近親相姦によって生まれたジークフリートが無双の力を持つ希代の英雄なのか、ヴォータンの祈りから生まれ出たようなジークフリートだが、その実像のようなものがつかめないでいる。
 もっとも、白状すれば小生は「ニーベルングの指環」では、「神々の黄昏」「ワルキューレ」はよく聞くのに、「ジークフリート」はあまり聞いてこなかった。そのツケが今回ってきてしまったのかな?(*^^*)
 もっとも、カラヤンの「ニーベルングの指環」LPを最初買った頃は、まず聞き始めたのは「ジークフリート」からだった(^^;。
 クナ3種類の「ジークフリート」を聞きながら、ジークフリートの実像に思いをはせてみたいとは思う。

第1幕
 ショルティ盤の後に聞いたからか、クナ1956年盤のオーケストラの音は実に貧弱である。歌手が前面に出た録音だからだが、前奏が終わって、ミーメがカナトコで剣を叩く音がいやにリアルに聞こえる。そのカナトコも、どこかブリキ製のような音で、鉄の塊には聞こえにくいが(^^;。ショルティ盤は、鉄パイプを叩いているような音だったが。
 前奏はそれほど遅いテンポではない。よく中庸をえたテンポであると思う。ニーベルハイムの音楽がこだまするように、そして徐々に大きくなり深い森の中でのミーメの小屋で幕は上がる。ミーメのパウル・クーエンは、当たり役とはいえ、声だけ聞いているとかなりハンサムなミーメである。
 ミーメのセリフによってテンポの収縮はあるが、第1幕はかなり好調に進んでゆく。クーエンのミーメはそのオーケストラへの乗り方が素晴らしく、熊をけしかけながらやってくるヴィントガッセンのジークフリートの、走り気味で多少オーケストラに乗りずらそうな歌いっぷりと好対照をなしている。
 ミーメは、ジークフリートが自分を嫌っていること、ジークフリートに言われて作った剣がどれもジークフリートにへし折られてしまったことを嘆く。第1幕前半は、ミーメとジークフリートのやりとりだ。そのユーモアのあるやりとりを喜劇的に、そしてエネルギッシュに描いてゆく。ただ、ヤマ場のようなものはない。
 ジークフリートは、自分のアイデンティティの確立に悩んでいる。自分の本当の親は誰なのか?、自分は何者なのか?、ナルシスのように泉に映った自分の姿に、醜いこびとのニーベルンク族であるミーメとの大きな差異を知り、自分がミーメとは同族ではない他の何者かであることに気づく。
 ジークフリートは何度もミーメに「自分は誰の子か?何者なのか?」を尋ねる。ミーメは事実を小出しにしかせず、ジークフリートは大きくいらだっている。
 ミーメはミーメで、第2幕で明らかになるように、ジークフリートを使っての深慮遠謀を持っている。
 「ラインの黄金」で兄ファーゾルトを殺し、ラインの黄金で作った呪われた指環と、何にでも姿を変えられる隠れ頭巾、財宝をもってファーフナーは森の奥深くに隠れてしまった。ファーフナーは、指環の持つ力を利用して権力者になることをせず(指環を持った者は死ぬ、というアルベリヒの呪いがかけられている。あるいは、指環の力を行使した者は死ぬ、か?)、大蛇の姿に変身し、森の奥深くの洞窟の中で指環や財宝を守りながら惰眠をむさぼっている。
 ミーメは無双の力を持ったジークフリートにファーフナーを殺させ、その指環や財宝を我が物にしようと企んでいるのだ。恐らく、ミーメは、ジークリンデからジークフリートの養育を引き継いだときから、そのジークフリートの資質を見抜いていたのだろう。
 しかし、ジークフリートはミーメの望むような従順な若者には成長せず、激しく育ての親たるミーメを嫌い、呪うようになってしまった。ミーメは「ゆりかごの時代からお前を手塩にかけて育てた」ということを再三ジークフリートに吹き込み、同情をかって自分の意のままにしようとするが、ことごとく失敗する。
 ジークフリートは、母ジークリンデの残してくれた折れた剣(ノートゥング)をミーメに作り直させ、それを持ってミーメの元を去ろうと考えている。
 ところが、残念ながらミーメには折れた剣を元に戻すことができない。
 クナ1956年盤では、ヴィントガッセンが終始走り気味で、いつオーケストラの響きと離れていってしまうのか?と気になってしまうが、幸い、アンサンブルが崩壊してしまうことはない。クーエンは見事である。
 言い争いの末、ジークフリートはミーメの元から森の中へ駆け込んでゆく。この場面の"Wie der Fisch froh in der Flut schwimmt,(肴が楽しく流れ泳ぐように)"のヴィントガッセンのズレ方は相当な物だ。まるでクナの管弦楽の方が慌ててヴィントガッセンに追いつこうとしているかのようだ。
 ミーメが嘆きの淵にいると、さすらい人の姿でヴォータンがミーメの前に姿を現す。ミーメはヴォータンだと気づかない。ヴォータンは、自分は世界の隅々まで歩き回り、優れた叡智を得ているとうそぶく。ホッターの威厳があり、それでいてこの1956年盤は若々しい艶のある声が楽しめる。ゆったりとしたホッターのヴィヴラートが心地よい。ヴォータンはお互い3回ずつ質問を出し合い、答えられなかった方が首を差しだそうと冗談めかして提案する。まず3度の質問をミーメに許す。クナは追い込むようなテンポを取っており、劇性に富む音楽を形作る。低弦域の意志を持つかのような渦の巻き方が凄く、他の指揮者の演奏とクナの演奏とを分ける部分か。
 ミーメは、ヴォータンを試そうとしたのか、この世界に住む3種類の世界と種族についての質問をする。ニーベルング族、巨人族、神々のことを聞くのだが、ヴォータンは他に聞くことがあるだろう?つまらない質問をしたな、とうそぶく。ヴォータンが神々の世界の説明のところで"ewig gehorchen sie alle des Speeres starkem Herrn.(彼ら全ては永遠に槍の強い主君に服従している)"と語り、槍を地面に突くと雷鳴がとどろき渡る録音もあるが、クナ1956年盤ではそのような効果はない。
 ヴォータンが答え終わると、今度はヴォータンがミーメに質問をする。
 ヴォータンは、愛するヴェルズンク族、ジークフリートが持つべき剣(ノートゥング)、その剣をどうして治して仕上げるのか?と質問をする。ミーメはヴェルズンク族、ノートゥングについては答えられるが、最後のノートゥングの仕上げ方法については答えられない。ミーメにとっては一番切実で、その実答えが得られない最後の質問にうろたえる。
 ヴォータンはそのことについては答えず"Nur wer das Fürchten nie erfuhr,schmiedet Notung neu(怖れを覚えなかった者だけがノートゥングを鍛えなおすのだ)"と不気味にヒントだけを与え、高笑いをして去ってしまう。
 知恵比べに負けたミーメは度を失い、大蛇のファーフナーが自分を襲う幻覚を見る。クナのこの辺りの追い込み方はシリアスでなかなか凄い。
 そこへ、ジークフリートが明るい声で帰ってくる。度を失ったミーメは、ヴォータンの"Nur wer das Fürchten nie erfuhr,schmiedet Notung neu(怖れを覚えなかった者だけがノートゥングを鍛えなおすのだ)"と言う言葉を繰り返し、自分には作れないと絶望している。ミーメはその「怖れを知らない者」がジークフリートだと気づかない。逆に、この若者に怖れを教えれば、自分を愛するようになり、言いなりになるのではないか、と逆の発想をしてしまう。
 怖れがどのようなものであるのか、その概念すらつかめないジークフリートはいらだつ。ミーメは森の恐ろしさを説くが、ジークフリートにはまったくピンと来ない。この辺りのクナの管弦楽は凄い盛り上がりを見せる。もう少し管弦楽が迫力のある音であったなら、と思える部分だ。ジークフリートは「怖れ」という状態に憧れすら持ってしまう。
 ミーメはその具体的な「怖れ」はナイトヘーレの洞窟にある、そこへ一緒に行こうと誘うが、ジークフリートは自分の独立の道具である剣(ノートゥング)のことが気にかかる。ジークフリートは自分でノートゥングを鍛えなおすことを思いつき実行に移す。鍛冶屋のミーメの助言をまったく無視し、ジークフリートはノートゥングをヤスリで粉々にし、それを叩き直そうとする。
 ミーメはようやく「怖れを知らぬ者」がジークフリートであることに気づき始めるが、それでは指環も財宝もジークフリートのものになってしまう。ミーメは考えた末、ジークフリートがファーフナーを倒した後、毒を飲ませて殺すことを思いつく。
 これは、第1幕の見せ場で、ジークフリートがノートゥングを鍛えなおす場面では、まるでスペイン風の下降音型が出てきたりして(溶解の歌)、実にエネルギッシュで楽しめる場面だ。ヴィントガッセンはかなり管弦楽からはずれる部分があり、はらはらしながら聞くことになるが、「これはわざとじゃねぇか?(そんなはずはない^^:)」と思えるぐらい楽しい。そして、ついにジークフリートはノートゥングを粉々にしてしまう。そして、カナトコの上でノートゥングを鍛え直し始める。
 ジークフリート役者は剣を打ちながら歌うという(鍛冶の歌)、実に難しい場面だ。一心不乱にジークフリートはノートゥングを鍛え始める。この辺りも、管弦楽とヴィントガッセンは齟齬を起こしているが、あまり気にならない。クナはもっとゆったりとやりたかったようだが、ヴィントガッセンに煽られて、推進力とエネルギーに満ちた音楽作りになっている。
 ところで、熱く熱した金属を鍛える音として、多くの録音は金属を打つキンキンした音か、カーンカーンという音を響かせるが、本当はそのような音は残念ながらしない。どちらかというと、ボコボコとした音だ。その点で、クナ1956年盤の音は多少リアリティがある(^^)。中には鉄パイプを叩いているとしか思えない効果音の録音もあるのだ。
 ジークフリートがノートゥングを鍛えなおしている脇で、ミーメは毒薬を完成する。ミーメは自分の策略が功を奏し、ニーベルハイムに君臨する自分を想像する。ジークフリートは完成したノートゥングを一閃、カナトコをたたき割ってしまう。音楽はエネルギッシュに盛り上がったまま第1幕は終結する。

  第2幕
 巨人族の重々しい足音の動機が響き、管弦楽が不気味にファーフナーの棲むナイトヘーレの洞窟を暗示する中で、第2幕は幕を開ける。
 「ラインの黄金」でヴォータンに指環を強奪されたアルベリヒがナイトヘーレの洞窟を見張っている。アルベリヒにはファーフナーを倒す力はない。誰がファーフナーを倒し、指環を奪うのか、アルベリヒは気が気ではない。ナイトリンガーのアルベリヒは恨みがこもっていて、なかなか聞かせる。「ラインの黄金」では、その表現に今ひとつと思えたナイトリンガーだが、ここでは凋落し、ナイトヘーレの洞窟を見張るしかすべのないアルベリヒをリアリティを持って歌っている。
 そこへ、さすらい人たるヴォータンが現れる。アルベリヒはすぐにさすらい人の正体を見破る。ヴォータンも自分の巨人族にはたした契約に縛られ、自らがファーフナーを倒すことができない。もし、倒してしまうと、ヴォータンは神ではなくなってしまう。アルベリヒは、もし自分の手に指環が戻れば、ニーベルハイムの軍勢(地獄の軍勢)を率いて神々の世界を滅ぼしてしまうぞ!とうそぶき、"der Welt walte dann ich!(そして、世界を支配するのはこのわしだ!)"と宣言する。この辺りに管弦楽の爆発は凄い。
 ヴォータンは、ある勇者がファーフナーを倒しにやってくる。その時、アルベリヒと指環を争うのはミーメだろう、と予告する。そして、惰眠をむさぼっているファーフナーを起し、勇者がやってくるぞと警告しようとアルベリヒに持ちかける。アルベリヒは激しく恐れるが、ヴォータンはお構いなくファーフナーを起こしてしまう。アルベリヒは、ヴォータンの言うままファーフナーに警告する。ファーフナーは、自分を倒しにやってくるやつを食ってみたい、と言い「もっと寝かせてくれ」と惰眠の中に戻ってしまう。ミルが演じるファーフナーの拡声器を通した声は漫画的だが、なかなか威力がある(^^)。
 アルベリヒに不安を残したまま、ヴォータンは白馬に乗って去ってしまう。残されたアルベリヒは見張りを続けることを決意する。
 ナイトリンガーが立派だ。アルベリヒの不安と焦燥と、凋落した自分の姿へのいらだちを的確に描いている。
 アルベリヒが隠れると、ミーメに導かれてジークフリートがナイトヘーレの洞窟の前にやってくる。ミーメは盛んにファーフナーのはき出す毒や、その締め付ける異様な力に言及しながら、言葉巧みにジークフリートをファーフナーにけしかける。ジークフリートは、ファーフナーにも心臓があるのか?と聞き、その心臓にノートゥングを突き立ててやると、いっかな怖じ気を見せない。ミーメはジークフリートに「怖れ」を知ることができるぞ、と言いながらその実相打ちで双方が死ぬことを願っている。泉の方に避難しようと言うミーメに、ジークフリートはそっちのファーフナーをおびき出し、ミーメを食わしてしまうぞ、と脅す。この辺りは活劇風で、素直にその物語を楽しめばよい。
 そして、「森のささやき」が始まる。管弦楽曲版とはかなり異なる編曲だが、その本質はオペラを聞かなくては分からない。「森のささやき」でのヴィントガッセンは、少しはずれかけるものの、かなりの好調さだ。クナの管弦楽も、ゆったりと森の神秘とその模糊とした雰囲気を描き出して余すところがない。鳥の声を模す木管楽器のフレージングも魅力的だ。素晴らしい部分だ。
 ジークフリートは森に抱かれながら、見たことのない母ジークリンデに思いをはせる。小鳥はさかんにジークフリートに話しかけるが、ジークフリートにはその意味が分からない。ジークフリートは葦で笛を作り、小鳥と同じ言葉を使おうとするがうまく行かない(イングリッシュ・ホルンの下手さ加減が面白い。本当はうまくないとこのようには吹けない)。へたくそな自分の葦笛に幻滅したジークフリートは、角笛を吹くことを思いつく。
 ジークフリートは、自分の角笛を高らかに吹き鳴らす(ジークフリートの角笛の動機)。その角笛の音に重なるように、ファーフナーがのたくりながら出てくる。ファーフナーに気が付いたジークフリートはファーフナーに戦いを挑む。
 大活劇が始まる。ジークフリートとファーフナーは熾烈に戦う。ミルの拡声器を通した「ア〜!ア〜!」と動き回る声が一段と大きくなり、ノートゥングがファーフナーの心臓に突き刺さったことが分かる。ファーフナーは死に際に、自分が誰であるかをジークフリートに告げ、この戦いを企てたものがジークフリートの死を望んでいるぞ、と警告する。そして、ジークフリートは自分の名前をファーフナーに告げ、自分が何者なのかを知ろうとする。
 しかし、ファーフナーは「ジークフリートか・・・!」とつぶやいたまま、事切れる。ジークフリートは、ファーフナーに突き刺さったノートゥングを引き抜くとき、その血の熱さに驚き、指についたファーフナーの血を舐める。すると、いきなり小鳥の鳴き声が何を意味するのか、言葉として理解できるようになる。小鳥はファーフナーの洞窟から宝物を持ってきたらいいのに、とジークフリートに告げ、ジークフリートは小鳥に感謝しながら、ナイトヘーレの洞窟に入ってゆく。
 ジークフリートとファーフナーの死闘を、アルベリヒとミーメは別の場所から見守っていた。ミーメはファーフナーが死に、それを確認してジークフリートの元に行こうとするが、アルベリヒがそれを阻止する。アルベリヒとミーメは、指環と隠れ頭巾の取り分のことで醜く争う。どちらも、指環と隠れ頭巾を独占したい。
 そこへ、ナイトヘーレの洞窟からジークフリートが指環と隠れ頭巾を手にして出てくる。森がざわめきを強くし、ジークフリートの注意を誘う。そして、小鳥は「ミーメを信用してはならない」と警告する。
 策略を巡らせたミーメはジークフリートの前に現れ、ジークフリートをねぎらうが、ファーフナーの血を舐めたジークフリートはミーメの心の底を読めるようになったのか、ミーメの発する言葉の裏の意味が全て理解できるようになる。ミーメは、ジークフリートを哀れんで育てたのではないこと、ジークフリートに死をもたらす毒薬を、疲労回復の薬と偽って飲ませようとしていることを、自分では知らずに「ヒヒヒヒ」という不気味な含み笑いをしながら白状してしまう。
 ミーメが自分を殺そうとしていることを知ったジークフリートは、ノートゥングの一撃でミーメを殺してしまう。それを見たアルベリヒは哄笑する。
 ジークフリートは殺したミーメをナイトヘーレの洞窟に放り投げ、ファーフナーの巨大な蛇の死骸で洞窟の入り口を塞いでしまう。体がほてるジークフリートはリンデの木陰で休む。ミーメを殺して孤独になったジークフリートは、その天涯孤独な自分の寂しさが身に滲みてきたのか、だれかミーメに変わって、愛情の持てる自分の相手はいないか?と小鳥に話しかける。
 小鳥は、炎がその周りを取り囲む岩山に、あなたにふさわしい相手がいると教える。ジークフリートは激しく高揚しながら、その岩山に眠る相手がブリュンヒルデという名前だと言うことを知り、小鳥の導く道をブリュンヒルデめざして進んでゆく。
 ヴィントガッセンも、ようやくここに来て本領を発揮したようで、素晴らしい歌声を聞かせ、「森のささやき」の音楽が高揚する。見事に第2幕は終結する。

第3幕
 音楽之友社編スタンダード・オペラ鑑賞ブック下巻(吉田真著)によると、第2幕と第3幕の間には10年間の作曲のインターバルがあり、その間に「トリスタンとイゾルデ」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」が作曲されたのだそうだ。
 そのため、オーケストラに響きに豊かさとスケールの大きさが増したと感じられないだろうか?と書かれていて、なるほどと思う。
 激しく渦を幕前奏曲に続いて、嵐の中、ヴォータンは自分が永遠の眠りにつかせたヴァーラ(エルダ)を起こしている。ホッターの迫力が凄まじい。何かに憑かれたようにヴァーラに尋ねようとするが、ヴァーラはノルンに聞けとか、ブリュンヒルデに聞け、と取り合わない。まどろみから醒めないヴァーラは厭世的になり、眠りの淵に落ちようとする。ヴォータンは、自分の目論見でこの世に禁じられた子ジークフリートを生み出し、そのジークフリートがブリュンヒルデを見出そうとする中で、神々の世界は本当に終わるのか、我が策謀は成功したのか、とヴァーラに聞きたいのだが、ヴァーラはまったく取り合わない。ヴォータンは、自分の策謀が成り、ヴァーラがヴォータンに突き刺した神々の世界の終焉という心配が回避されたのか、それを聞きたいのだが、ヴァーラから答えを得ることができず、ジークフリートに全てを譲る決心をして、ヴァーラを再び眠りの淵に追いやる。
 すでに、ヴォータンは神性を失い、ヴァーラは叡智を失ってしまっている。ヴォータンはそのことが信じられず、まだ世界に自分の力が及ぶと言う幻想を持っている。すでに神々の没落は始まっているのだ。
 ホッターが俄然凄みがあり、押しまくられるようなド迫力だ。管弦楽と一体になり、聞き手に押し寄せてくる。
 ヴァーラと悲しい対話をしていたヴォータンの近くに、小鳥に導かれたジークフリートがやってくる。ところが、小鳥は自分を見失ったかのように、どこかに飛び去ってしまう。この小鳥の正体について議論があるが、小生は単純にヴォータンに操られた小鳥だととらえている。ヴォータンはジークフリートをブリュンヒルデの元に導きたかったのだ。ただ、ヴォータンの思惑は大きくはずれ、「神々の黄昏」を迎えてしまうが。
 小鳥に去られたジークフリートは、仕方なくその向かおうとしていた方向に歩みを進める。
 そこへ、ヴォータンがジークフリートの行く手を遮る。ヴォータンは何とかジークフリートに自分を誰か知らせ、恐れ敬わせたいのだが、ジークフリートはまったく取り合わない。ジークフリートには、ヴォータンはただのお喋りの老いぼれ爺にしか見えない。
 ヴォータンはいらだち、何とかこの生意気な小僧に自分のことを知らしめたいのだが、ジークフリートはさらにヴォータンを邪魔者扱いする。"Kenntest du mich(わしのことを知っていたなら)"からのホッターの声は、そのいらだちと、なんとか神の体面を保とうとするヴォータンの心情がよく出ている。
 ついに根負けしたヴォータンは、ブリュンヒルデの眠る岩山をジークフリートに教える。
 クナは、どのオペラでもそうだが、前半不調でも後半になると俄然熱を持つかのような凄みを発揮してゆく。この1956年盤は前半が不調だったわけではないが、ワーグナーのオーケストレーションの円熟さもあるのか、凄い響きの「ジークフリート」第3幕を奏でてゆく。ホッターの凄さもその効果に輪をかけているようだ。
 ヴォータンは試しに槍でジークフリートの行く手を遮ろうとするが、父を殺したのはヴォータンだと気づき、敵討ちもできる!とばかりに、ジークフリートはヴォータンの槍を砕いてしまう。ヴォータンは、「ゆけ!わしにはお前を停められない」と寂しく退場する。
 ジークフリートは、勇んでブリュンヒルデの眠る岩山に到着する。その場面転換の音楽の凄さ!クナはまるで水を得た魚のようだ。自在なテンポ変化とダイナミックスの変化で深い呼吸感をもたらし、ブリュンヒルデの眠る岩山の愛と神秘に満ちた世界に到達する。岩山での、静けさと憧れに満ちた響きの素晴らしさ!
 ブリュンヒルデの愛馬、グラーネが眠っている様子、長い楯に覆われ、美しい武具で着飾ったブリュンヒルデを見て、ジークフリートは感動する。ジークフリートは、眠っているブリュンヒルデを男だと思っているが、甲冑を壊すとその豊かな胸に女だと分かり、ジークフリートはショックを受ける。思わず、「母さん!母さん!」と呼んだりする。その間の音楽は美しく、激しく憧れを誘う。
 初めて女を見たジークフリートは、その眠りをどうやって覚まさせることができるのか分からず、激しく怖れる。ジークフリートは初めて怖れを知り、美しいブリュンヒルデの寝姿に陶然となる。ヴィントガッセンはかなりの名唱を聞かせてくれる。なにより、クナの渦を巻く管弦楽も凄いが。
 そして、ついに堪らなくなったジークフリートはブリュンヒルデに口づけをする。
 ジークフリートの口づけによって、ブリュンヒルデは目覚める。ああ!その音楽の悩ましいこと!ヴァルナイのブリュンヒルデはゆったりと"Heil dir,Sonne!(太陽よ!ごきげんよう!)"と歌い出す。「ジークフリート」で、生きた女性の声が初めて聞ける衝撃的な瞬間だ(小鳥は女声で歌われることが多いが、ワーグナーの元の指示は少年の声だった)。
 可憐で美しいブリュンヒルデ、というよりヴァルナイは威厳のある女神のようだ。クナの管弦楽の息の長いクレッシェンドも見事だが、ヴァルナイも見事だ。
 「私を起こしたのはだれ?」と問いかけるブリュンヒルデに、ジークフリートが答え、ブリュンヒルデは、それがジークフリートであることをすでに悟っている。ジークフリートとブリュンヒルデの感謝の二重唱の威力のあること!
 ブリュンヒルデは、生まれる前からジークフリートを知っていたことを歌い、ジークフリートへの愛を歌う。ジークフリートは母のことを考えているが、ブリュンヒルデは自分が舐めてきた辛酸と、ジークフリートに無事眠りから覚まされたことに感動している。ブリュンヒルデは、母のような愛情を感じ、ジークフリートにその感動を伝えようとするが、ジークフリートにはブリュンヒルデはただのひとりの女で、欲情をそそられている。
 ブリュンヒルデは、グラーネも目覚めたことに感動するが、自分がいまや楯に守られず、ジークフリートの目にさらされている弱い存在であることに気が付く。
 そのようブリュンヒルデの恥じらいや戸惑いにお構いなく、ジークフリートはブリュンヒルデに激しく欲情し、抱きたくて堪らない。
 ブリュンヒルデはそのような自分の境遇を恥じ、神ではなくなった自分自身に不安を感じる。いきり立つジークフリートの欲情に危険を感じるブリュンヒルデは、自分の恥辱と不安をジークフリートに分かってもらいたいが、ジークフリートの想いは矢のようにブリュンヒルデに突き刺さってゆく。
 「ジークフリート牧歌」にもなった"Sonnenhell leuchet der Tag meiner Schmach!(太陽の真昼が私の恥辱に照りつけている)"からのヴァルナイは名唱だ。豊かに、ゆったりと自分から離れるようにジークフリートを諭す。
 しかし、ジークフリートはブリュンヒルデの言葉にめげない。自分の情熱を高らかにブリュンヒルデにぶつける。
 ブリュンヒルデは自分の境遇と未来を悟り、神性を奪ったヴォータンを激しく恨み、怒りを顕わにする。ブリュンヒルデは「笑いつつ、私はあなたを愛さねばならない。笑いつつ、私はめしいになりたい。笑いつつ、私たちは破滅し、笑いつつ、没落しましょう!」と未来を予言するかのようだが、ついにはジークフリートの愛を受け入れることを決心する。
 このラストは意味深い。ジークフリートは直情的にブリュンヒルデを抱きたいだけなのに対し、ブリュンヒルデは神の世界を激しく呪いながら愛の二重唱が歌われてゆく。
 そして音楽は高揚し、「ジークフリート」は幕となる。


 クナの燃焼度は、明らかに第2幕までと第3幕とでは違う。第3幕の凄さは、前述の通り、まるで水を得た魚のようだ。その音楽のドラマの組み立て方、聞き手に激しい燃焼度を体験させることでは、1956年盤はやはり素晴らしかった。
 次回、1957年盤「ジークフリート」を取り上げる。


参考文献
オペラ対訳ライブラリ「ワーグナー ニーベルングの指環」下 高辻知義訳 音楽之友社
スタンダード・オペラ鑑賞ブック 4 「ドイツ・オペラ」下「ニーベルングの指環」 吉田 真著 音楽之友社

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