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ORFEOトーンというのか、ORFEO D'ORは独特のマスタリングである。高域が良く伸びており、低域は幾分薄めながら、けっこうしっかりと収録されている。ORFEOの歴史的録音の特徴でもある。
そのため、聞き始めると最初はスケール感に乏しいと感じてしまうが、聞き進んでゆくとあまり気にならなくなる。特に、ドイツ系指揮者のピラミッドバランスでは幾分不利な面は否めないが、そのよく伸びる高域に、たとえばこの「神々の黄昏」でブリュンヒルデを歌うビルギット・ニルソンなど、気持ちがいいほどである。
クナはバイロイトでの「ニーベルングの指環」チクルスや毎年の「パルジファル」が有名だが、バイエルン州立歌劇場がその活躍の大きな場だった。1922年にクナはバイエルン歌劇場の音楽監督に就任、途中、1935年からドイツ敗戦までの約10年間、ナチによってバイエルン州内での演奏活動を禁止されたが、クナとバイエルン州立歌劇場との関係は長く、その最晩年まで続く。もっとも、第二次大戦後は音楽監督の地位には就かず、「無冠の帝王」と呼ばれたりした。
クナは実に多くの公演をバイエルン州立歌劇場で指揮しているが、その録音が公になっているものは、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」、「トリスタンとイゾルデ」、「ばらの騎士」と、今回取り上げる「神々の黄昏」だけである。数多くのバイエルン州立歌劇場でのライヴ録音が発掘されないものかと、期待は大きい。
序幕
バイロイトでの「神々の黄昏」と同じように、ゆったりとした中にも血の通った管弦楽が聞ける。テンポは少し早めに感じるが、CDの音のせいもあるのか美しい序幕の前奏曲である。「神々の黄昏」の悲劇が、ゆったりとした悲しみを持って開始される。
オーケストラのアンサンブルは幾分荒いものの、バイロイトでの演奏に比べてメリハリがしっかり利いており、3人のノルンのそれぞれの歌の劇的な内容が実にしっかりと表現される。第1のノルンをイルマガース・バース(読み方合っているのか自信なし^^;)、第2のノルンをヘルタ・テッパー、第3のノルンをマリアンヌ・シェッヒが歌っているが、それぞれのノルンが実に立派な歌唱を聴かせてくれる。特に第1のノルンを歌うバースが堂々とした歌いっぷりで、ヴィヴラートは気になるものの、物語に否応なく聞き手を引き込む。
第2のノルンのテッパーも安定した第2のノルンを聞かせてくれる。しっかり者の次女である。第2のノルンでは、なかなかピッタリくる歌唱に出会えないだけに、テッパーは良いと感じる。第3のノルンのシェッヒは、バイロイトでのヴァルナイやニルソン、ゴールに比べると可哀想だが、最も軽い声質での第3のノルンをしっかりと歌っている。このシェッヒも声量は不足気味かなと感じるが、清々しくてなかなか良い。
各ノルンたちの歌は、"Weißt du,wie das ward?(どうして、そうなったのか、あなたは知っているの?)"で次のノルンに問いかける形になっているが、そのテーマが実に魅力的で、ヴォータンやローゲの運命を語ってゆく。
小生、恥ずかしながら第3幕でブリュンヒルデが鳥たちに命じ、岩山でくすぶるローゲをヴァルハルに連れてゆき、ローゲがヴァルハルに火を点けると思っていたら、第3のノルンの歌で、ヴォータンの自滅する様子が予言される。ヴォ−タンは自分でヴァルハラに周りに積み上げられた世界樹の薪に火を投ずるのだ。ヴォータンは神々の世界の破滅を、ブリュンヒルデに宣告される前に知っていたことになる。
アルベルヒの運命を語っているところで縄がもつれ、切れてしまう。その縄の切れる場面のど迫力!音楽は縄が切れると脱力し、ノルン達はエルダの元に帰ってゆく。
脱力した音楽は徐々に上昇を始め、ジークフリートとブリュンヒルデの住む岩山へと場面転換してゆく。
クナ1955年盤もこの場面転換が巧みで、なおむせ返るような「森のささやき」の音楽が高揚し、岩山に到達する。岩山に到達してから、テンポは早めである。
そして、ビルギット・ニルソンの素晴らしい声のブリュンヒルデが"Zu neuen Taten,teu'rer Helde(新たに武勲へ向かう、大事な勇士よ)"と歌い始める。見事なブリュンヒルデである。ニルソンの声はまだ若々しく、低域での声は出し切れていないが、実に美しいブリュンヒルデだ。
ジークフリートはアルデンホフで、何も知らない無垢の若者というより、どこかブリュンヒルデの兄のような安定した歌を聞かせてくれる。
このジークフリートとブリュンヒルデのダイアローグの途中、原テープの劣化からか、低域でボツボツというノイズが入るが、それほど気になるレヴェルではない。清々しいとも言えるニルソンの高域に陶然となってしまう。
ニルソンは、ヴァルナイのような全てを包み込むような柔らかで豊かなブリュンヒルデというより、一途なブリュンヒルデだ。"Ihn geiz'ich als einziges Gut!(このかけがえのない宝を大事にしましょう!)"で素晴らしい歌を聞かせてくれる。
さらに「ジークフリートのラインへの旅」の始まり、"O!heilige Götter!(ああ、気高い神々よ!)"の突きぬけた歌は、アルデンホフを圧倒している。
クナの管弦楽はメリハリが利いており、なお弦の高域が特徴的で、ジークフリートとブリュンヒルデの愛の場面を豊かに描いてゆく。「ラインへの旅」では金管楽器の響きがラフでイマイチだが、弦楽器の情感が素晴らしい。
クナは、バイエルンでもゴリゴリと管弦楽を進めるが、録音の関係からか、巨大なスケール感には乏しい。グロッケンシュピールの合っているのか合っていないのか、その不思議な効果が面白い(^^;。
どうも、このORFEO D'OR盤のマスタリングに問題があるらしく、管弦楽だけの箇所で顕著だが、中域から低域にかけてと、高域で分離したように聞こえてしまう。音がリニアにつながっていないので、どうしてもスケール感に問題が出てしまう。イコライジングの問題だと思う。
第1幕
グンターをヘルマン・ウーデ、ハーゲンをゴットロブ・フリックが歌っている。ウーデの安定ぶりはここでも聞けるが、見事なのはフリックのハーゲンである。フリックは、ア・プリオリな悪党ぶりで、そのセリフひとつひとつがハーゲンという役柄の上で生きている。歌手が少し遠目の録音なのは残念だが、立体感はある。
ギービヒ家での第1に企みは、意外と明るい響きだ。陽光の中での陰謀の場面のようで、これはバイエルン州立歌劇場での演出を関係があるのかも知れない。クナの管弦楽では木管楽器が素晴らしく、それがバイロイトでの記録よりも明るい彩りを添えているのかも知れない。
グートルーネは、レオニー・リザネクで高貴で美しい、豪族の少し年増になったような娘を演ずる。
第1幕を聞き進んでゆくと、クナのバイロイトの記録で登場するグラインドルのハーゲンは素晴らしかったが、このフリックのハーゲンも際立ってくる。"Gedenk'des Trankes im Schrein(戸棚の薬を思い出すがいい)"からの陰にこもったような陰謀を持ちかける迫力は凄い。
ジークフリートの角笛が聞こえ、遠景としてジークフリートの小舟が姿を現し、ハーゲンがその姿を見てその腕力に驚嘆する。そのジークフリートが徐々に近づいてくる描写は、まるでその場面が脳裏に浮かんでくるかのようだ。CDの音には不満があるが、見事な描写だ。
ジークフリートの"Wer ist Gibichs Sohn?(ギービヒのご子息とは、どの方か?)"の問いかけから、ジークフリート、グンター、ハーゲンのやりとりが始まるが、アルデンホフの落ち着いた安定したジークフリート、威厳のあるウーデ、内に悪辣な陰謀を秘めたハーゲンがそれぞれの役所を声だけでも聞かせてくれ、演劇的にも満足のできる配役になっている。
注意深くクナの管弦楽を聞いていると、何気なく聞き過ごしてしまうところでも、各フレーズの表情付けがしっかりしているのに驚いてしまう。それでいて、各動機がこれ見よがしに出しゃばってくることはなく、ごく自然にドラマの中に組み込まれている。
3人のやりとりが一段落して、グートルーネが"Willkommen,Gast(ごきげんよう、客人よ)"とジークフリートの前に現れるが、リザネクの素晴らしい歌声が聞こえ、管弦楽は一気に夢幻的になり、ジークフリートの戸惑いと、忘れ薬を飲まされ、記憶を失ってしまう背後での朦朧とした管弦楽が実に美しく響き始める。
記憶を失ったジークフリートのグートルーネに激しく恋慕する音楽で、その夢幻的な音楽に陰が含まれるようになるが、見事な効果だ。
ただ、やはりCDの音色が明るく、木管楽器や弦の高域は魅力的だが、本来はジークフリートの悲劇の始まりなのが、どこかのどかで平和な場面に感じてしまう。これは、幾分早めのクナのテンポにも関係しているのかも知れない。
グンターからブリュンヒルデとの結婚の望みを聞かされたジークフリートは、夢から覚めたように勇壮になり、グンターの願いを聞き届けることを誓い、義兄弟になろうと申し出る。ジークフリートとグンターの義兄弟の杯をお互いに飲む干す場面は、所々不吉なフレーズが挟み込まれるものの、明るく進行する。
そして、その明るさと対比するかのようなハーゲンの"Mein Blut verdürb'euch den Trank(わしの血はお前方の酒を台無しにしただろう)"は、もう少し迫力があってもと思うが、録音の関係もあり、それほど暗くは響かない。
ジークフリートとグンターは急いで出かけてしまい、残されたグートルーネはジークフリートへの思慕を強くするが、1955年盤でのグートルーネとジークフリートへの思慕の音楽は、実に魅力的である。
そして、暗い情念のハーゲンの独白が始まる。"Heir sitz'ich zu Wacht(ここに腰掛けて、見張り役を務め)"から、その引き延ばされたようなテンポとフリックの見事なハーゲンの悪役ぶりが聞ける。グラインドルのハーゲンも迫力があったが、フリックはその悪辣ぶりがもの凄い説得力を持って迫ってくる。
クナの管弦楽での金管楽器の大きな息をはき出すような効果が面白い。ハーゲンの悪辣ぶりをより凄みを持って表現する。
場面は再びブリュンヒルデの岩山へと転換する。
クナの1955年盤では、ブリュンヒルデとグートルーネの愛の音楽や、ジークフリートの夢に中にさまよい込んだような音楽が実に魅力的で、ここでもブリュンヒルデの愛の深さと、ジークフリートがそこにいない一抹の寂しさを的確に描いてゆく。弦楽器のテーマが美しく、ブリュンヒルデの心情を描いてゆく。
ドロドロした響きが徐々に聞こえ始め、ワルキューレの到来を暗示する。バイロイトでの演出とは違っていたようで、それほど派手ではないが、低域で効果的にゴロゴロとした響きが聞こえる。
ニルソンは鮮やかに、今理解できたヴォータンの愛を高らかに歌い上げる。見事なものだ。フラグスタートやヴァルナイとはまた異なる、ブリュンヒルデの理想型だろう。
ヴァルトラウテはおなじみのイーラ・マラニウクで、録音や役柄によっては不調な歌もあったが、ここでのヴァルトラウテは歌い方やセリフ回しに齟齬がなく、優れたヴァルトラウテを聞かせてくれる。ヴィヴラートのコントロールも文句がない。ニルソンとのブリュンヒルデとでは、どちらが年長か、声だけ聞いていると分からなくなってしまうが(^^;、ヴァルトラウテが急いでブリュンヒルデの元に来た理由、ヴァルハルの暗鬱な様子がリアリティをもって歌われる。
破滅と死を現すティンパニーがしつこく静かに叩かれるが、音の分離がよい分、しっかりとそのティンパーニーの音の意味するところが伝わってくる。そのティンパニーを合図にするかのように、ヴァルトラウテの語りは、鬱状態で破滅を待つヴォータンの打ちひしがれた様子を描き出してゆく。
"er gedachte,Brünnhilde dein!(父は、ブリュンヒルデ、あなたを思いだしていたの!) "の深々とした管弦楽も見事なら、マラニウクも見事だ。ヴァルトラウテの語りの中での、静かだがクライマックスを築くこの場面を、かなり満足しながら聞くことができた。
ヴァルトラウテの"Ende der Ewigen Qual!(永遠の神々の苦難を終わらせて!)"がかなりの迫力で、ブリュンヒルデの前に身を投げ出すが、ブリュンヒルデの"Welch banger Träume Mären(何という不安げな夢物語を)"も静かな戸惑いを現すかのようで、ニルソンもまた素晴らしい。ヴァルナイのような演技力では一歩を譲るが、ニルソンのストレートで情感の豊かなブリュンヒルデも素晴らしいと思う。
ブリュンヒルデの、指環にかける想いは突きぬけるかのような素晴らしいニルソンの歌声が聞ける。管弦楽も、ようやくエンジンがかかってきたかのように、畳み込むようなクナ独特の進行を聞かせ始める。ヴァルトラウテはもの凄い"Weh'!”という叫び声を残して去っていってしまうが、凄い迫力だった。
その後のニルソンのブリュンヒルデは、愛する男を待つ普通の女性に戻ってしまう(^^;。
やがて、岩山を登ってくる松明を認め、それがジークフリートだと期待を込めるが、"Verrat!(裏切りだ!)"の一声でジークフリートではない何者かがブリュンヒルデの岩山に登ってきたことを理解する。
ジークフリートの"Brünnhild'Ein Freier kam(ブリュンヒルト!、求婚に来たぞ)"の前の音楽がとぼけた味を出している。鉄面皮のグンターに化けたジークフリートと、取り乱すブリュンヒルデの対比が面白い。叫び声を上げるニルソンの凄まじい金切り声が聞ける。ここでのニルソンの演技力は今ひとつで、熱演が少し空回りして聞こえる。
ジークフリートが指環をブリュンヒルデから奪い、音楽は一気に沈み込むが、そのブリュンヒルデの落胆と陰鬱さを表現する静けさが素晴らしい。ブリュンヒルデの"Was könntest du wehren,elendes Weib!(何を守れと言うの、この哀れな女に!)"のつぶやきは良かった。
ジークフリートのノートゥングにかける誓いで管弦楽は輝かしくなり、"Die Treue wahrend dem Bruder,trenne mich von seiner Braut!(義兄弟の誠を尽くしつつ、その花嫁から、おれを隔ててくれ!)"のジークフリートのセリフで、ジークフリートの真面目な近いが歌われる。音楽は波乱を含みながら盛り上がり、第1幕は終結する。
この、第1幕最の後土壇場は、1955年盤がもっとも良かったような気がする(^^)。
第2幕
スコアが手元にないのでチューバだかトロンボーンだか分からないが、凄い迫力のえぐり込むような音で第2幕はスタートする。途中、巨大なおならのようなチューバが聞ける(^^;。それが大迫力で、思わず笑ってしまった(^^)。
1955年盤は抒情的な場面や夢幻的な場面での効果が絶大だが、第2幕第1場もアルベリヒが亡霊のように出現するシーンで、ここでもその効果的なクナの指揮は素晴らしい。
アルベリヒをオトカー・クラウスを歌っており、どこかおどおどした落ち着きのないアルベリヒを演じてゆく。フリックの剛胆で氷のように冷たいハーゲンとの対比で、面白い場面を聞くことができる。個人的には、ナイトリンガーとグラインドルの悪辣コンビの歌が好きだが、1951年盤でのプフランツルがアルベリヒを演じる、1955年盤と同じようなシチュエーションも好きだ。1951年盤は、ハーゲンのヴェーバーが今ひとつだったが、1955年盤のフリックが凄さまじくニヒルな分、父親よりも力を持ってしまったハーゲンの凄みを聞くことができる。
この焦りが前面に出たクラウスのアルベリヒもなかなか面白く、小生は楽しみながら聞くことができた。最後の"Treu!(誠だ!)"と、ハーゲンに希望を託しながら消えてゆくセリフも効果的だった。
アルベリヒが去っての夜明けの金管楽器は、何がどうなったのか分からなほどヘボに聞こえるが、演奏はそうとう難しいのだろう。
続く、ジークフリートの角笛は好調そのものだ。ジークフリートの"Hoiho!"に続いて、ハーゲンの表面をとりつくろった偽善者ぶりが、第1場のニヒルさとの落差で面白い。アルデンホフは、1951年盤でもその堅実な歌唱に好感が持てたが、この1955年盤でも実に堅実で、ヴィントガッセンのような輝くようなスター性には乏しいが、好演していると思う。「何ものをも怖れぬ若者」にしては分別くさいが、安心して聞いていられる安定性を感じる。
グートルーネのリザネクはその歌の内容でヴィヴラートを変えており、一本調子にヴィヴラートで歌い抜く歌手よりも数段実力は上だ。
ジークフリートはグートルーネの貞節への疑念を晴らし、グートルーネはグンターとブリュンヒルデを迎え入れる準備をハーゲンに指示する。
フリックの「グンターが危ない」という偽りの呼びかけは真面目だ。グラインドルのような腹に一物を持ったもの凄い迫力はないが、それでも優れた声を聞かせてくれる。
家臣団が集まり始めるモヴシーンでの、調子をはずしたチューバの物々しさ(間違って吹いているという意味ではない)は素晴らしいが、家臣団の合唱はバイロイトでの混乱よりも、録音のせいもあるのか幾分整理されたように聞こえ、目を見張るような迫力は後退している。ただ、家臣団が集まってくるこの場面に不足はない。
ハーゲンの歌は、徐々におどけた様子が加味されてゆき、いい味が出ている。これが、ハーゲンの偽善ではなく、「トリスタンとイゾルデ」のクルヴェナルのような善人だったらなるほどと思わせるような好漢ぶりを演じている。
家臣団の「一杯食わされた」と哄笑する場面でクライマックスを迎えるが、クナは相変わらず大迫力でグンターを迎えるため、大わらわの家臣団を描いてゆく。ただ、前述の通り録音が整理されていて、少し迫力不足だ。恐らく、実際の舞台では、このCDに収録された音の何倍も凄かったことと思う。
グンターが、"Bünnhikd',die hehrste Frau(こよなく貴いブリュンヒルトを)"からの前と、それの答えて家臣団が大迫力で"Heil,dir!(幸あれ!)"と合唱した後、ブリュンヒルデの暗い様子を現す音楽でクラリネットがワルキューレの動機を吹いているのがよく分かった(^^;。1955年盤の木管の音がなかなか分離が良いためだが、そのような「発見」がこの録音から随所にできる。
グンターの演説は立派で、続くブリュンヒルデの暗く沈み込んでいる場面は、ニルソンも立派で、虐げられたブリュンヒルデを実にうまく表現している。その金切り声も浮いていない。ニルソンのブリュンヒルデは、ジークフリートの指にはめられた指環への疑念を持ち、疑惑を生みだし、それを押し広げてゆく。素晴らしいニルソンの恨みの歌を聞くことができる。ジークフリートの鉄面皮な言い訳と、その疑惑に油を注ぐようにそそのかすハーゲンが緊迫感を持って描き出される。もの凄い迫力だ。
深刻にえぐり込む低弦域に反比例して、金管は幾分プカプカと無責任だが、その迫力のある管弦楽の威力はニルソンのブリュンヒルデに味方をする。"Heil'ge Götter,himmlische Rat?(真正なる神々よ、天上の導き手よ!)"から、ニルソンのもの凄い怒りの歌が聴ける。この鋼のような声は、やっぱりもの凄い威力だ。そして、「昨晩、ノートゥングは鞘に収まっていた」と疑惑を拡大してゆく箇所では、まるで小悪魔のように悪女ぶりを披露する。
ニルソンの気の強い悪女ぶりに手を焼いた・・・いや違った、ブリュンヒルデの反攻に手を焼いたジークフリートはハーゲンの申し出により、誠実を槍の穂先に誓うが、ニルソンはその反対の誓いを穂先にかける。クナは、それまでのどちらかというと平和に聞こえた1955年の舞台を、より大迫力で緊迫したドラマに導いてゆく。
家臣団のうろたえた"Hilf Donner!Tose dein Wetter(ドンナーよ、力を貸したまえ!嵐を起こしたまえ!)"の迫力は凄い!
ジークフリートは、「こんな女の世迷い言はほっておけ」とばかりに、グートルーネと意気揚々と退場し、ブリュンヒルデ、グンター、ハーゲンがその場に残る。ジークフリートとグートルーネの退場の場面の、渦を巻くような管弦楽の効果も、もの凄い迫力だ。
ブリュンヒルデ、グンター、ハーゲンの場面まで、追い込んでゆくかのような音楽が聞け、やがてブリュンヒルデの"Welches Unholds List liegt hier verhohlen?(どんな魔物の策略がここには潜んでいるのか?)"と、訳が分からないまま怒りが高ぶってゆくが、そのピアニシモからフォルテシモに至るゆったりとして、それでいて何者に求められそうにない巨大なクレッシェンドは聞き物だ。
ハーゲンにジークフリートの弱点を聞かれて、ブリュンヒルデは「あんたなんかに、敵う相手じゃないわよ」とにべもない場面では、ヴァルナイのように陰影を含んだ演技ではなく、気の強い直情的なブリュンヒルデを描き出す。この辺りの表現は、ニルソンはまだそのセリフ回しや、役柄での状況を練れていないようだ。少し、ストレートすぎるか。
ハーゲンはブリュンヒルデからジークフリートの弱点を聞き出し、グンターを励ますが、グンターの恥辱と落胆は大きく、ウーデは見事にグンターの落ち込みぶりとやり場のない怒りを表現する。ハーゲンの"dir hilft nur Siegfrieds Tod!(お前を救うのは、唯一、ジークフリートの死だ!)"という言葉と、グンターの鸚鵡返しのような"Siegfrieds Tod..."が実に意味深く響く。
緊迫したセリフが続き、ニルソンの"Gotrune heißt die Zauber,der den Gatten mir entzückt!Augst treffe sie!(グートルーネこそ魔法の正体だった、それが夫を引きさらってしまったのだ!不安に取り殺されるがいい!)"の、そら恐ろしい響き!
第2幕は、恐ろしい盛り上がりで終結する。
この第2幕の終結部も凄かった(^^;。
第3幕
指揮者の入場に期待を込めて拍手と床を踏みならす音が聞こえる中、ジークフリートの角笛とライン河の自然を現すかのようにホルンが響き渡る。少し吹き間違えがあったっていいではないか。聴衆の期待を込めて第3幕の幕は上がる。
3人のラインの乙女達はかなり立派だ。1951年盤の遠いコーラスを聞いたからか、1955年盤ではライン乙女たちのコーラスが実によく聞こえる。その分、アラもよく聞こえるが。ラインの乙女たちにしては立派で大柄なコーラスだ。これなら、ジークフリートはいいように弄ばれてしまうはずだ。
声質はフロースヒルデが一番軽くコケティッシュだ。ヴェルグンデも似たような声で、ヴォークリンデは一番声が太く、ジークフリートをからかう。
ラインの乙女達は、明るく楽しげにジークフリートをからかっていたが、徐々に指環の持つ呪いを語り始め、音楽は不気味さを増して行く。ラインの乙女たちの"Siegfried!Siegfried!Siegfried!"と3回呼びかける場面では、ジークフリートに呪いをかけてしまいそうな、恐ろしげなヴィヴラートが聞ける(もう一度、2回呼びかける場面も同様だ)。
ラインの乙女たちの警告を脅しとうけとったジークフリートは、「指環を絶対に渡すものか」と意固地になる。ジークフリートの意固地さにあきれたラインの乙女達は、「今日にでも、彼女が指環の持ち主になる」と予言を残しながら、悠々とその場を泳ぎ去ってしまう。
ファンタジックな場面から、無粋な角笛が聞こえ、ハーゲンがジークフリートに追いついてくる。
ジークフリートの前では、ハーゲンは善良なグンターの臣下を演ずる。ライン河のほとりでハーゲンとグンターの家臣達は休憩をとることにし、ハーゲンはジークフリートに「鳥の言葉が分かるのか?」と問いかける。酒宴になり、落ち込んでいるグンターを尻目に、ジークフリートは思い出話を歌い始める。ハーゲンの"So singemHeld!(勇士よ、では歌え!)"の下心があり、迫力のある言葉にうながされて、ジークフリートは森でのミーメとの生活や、ノートゥングを鍛えたこと、ファーフナーを打ち倒し、鳥の言葉が分かるようになったことを歌う。アルデンホフのセリフ回しは、実に誠実だ。
鳥の警告によってミーメを殺したところまで歌い、ジークフリートはハーゲンに勧められて「記憶を取り戻す薬」の入った角盃を飲み、霧が晴れるように、鳥にブリュンヒルデの存在を教えられ、そこへ向かったことを次々と思いだして行く。弦楽器の高域での、ジークフリートが記憶を呼び戻して行く切ない響きは見事な描写を聞かせてくれる。
ブリュンヒルデとの甘い追憶を聞かされたグンターは"Was hö ich!(何ということを!)"といきり立ち、ハーゲンは「あの鳥たちの耳打ちが分かったか?」と聞くと、立ち上がって隙を見せたジークフリートの背中に槍を突き立てる。その間、バタバタっと事態が進行し、恐ろしげな管弦楽とジークフリートの悲鳴が聞こえる。
ハーゲンの仕打ちに驚いたグンターと家臣団は「何をした?」と問うが、ハーゲンは「偽誓のあだを討ったのだ」とうそぶきながら去ってしまう。
残されたジークフリートは死の淵で、ブリュンヒルデとの甘い追憶にふけるが、管弦楽のクレッシェンドして行く様子が見事だ。1955年盤では、ジークフリートは立ち上がるか上半身だけ起こしながら、甘い追憶にひったっていたようだが、バラっという音で崩れ落ちたことが分かる。
ティンパニーの凄い響きで、「ジークフリートの葬送行進曲」が始まる。クナの葬送行進曲はどれも見事だが、1955年盤も、見事な葬送行進曲を聞かせてくれる。ゆったりとしたテンポ、悲しげで湿ったような弦楽器、えぐるような低弦域やチューバの音が「ジークフリートの死」という悲劇を描き出してゆく。ピアノからフォルテシモまでの振幅が大きく、大迫力の葬送行進曲が展開して行く。途中、チューバが吹き間違えたってなんのその、叩きつけるようにシンバルが強打され、聞き手は否応なく悲劇の行進の中に巻き込まれる。もの凄い葬送行進曲である。
グートルーネが不安にさいなまれつつ、ジークフリートの帰りを待っているが、リザネクが見事で、さらに管弦楽が微に入った表現で、グートルーネの不安と、悲劇への予感を高めて行く。木管楽器がよく聞こえる録音のため、ワーグナーの魔法のような管弦楽法と、クナの魔術的な指揮がよく聞くことができる。
ハーゲンが戻り、勝ち誇ったようにグートルーネに謎をかけ、ジークフリートの死を宣告する。フリックの喜びを含んだ声が憎らしい(^^;。
それに対応するように、グンターはグートルーネをいたわるが、グートルーネは嘆き悲しみ、狂乱する。リザネクの素晴らしい演技が聞ける。もう、この辺りになると、物語の渦の中に飲み込まれそうで、めまいがしそうなほどの素晴らしさだ。
ハーゲンとグンターはジークフリートのはめている指環を激しく争い、ハーゲンはグンターを打ち殺してしまう。
その騒擾に、ブリュンヒルデが姿を現し、グートルーネは激しくブリュンヒルデにことばで噛みつく。ブリュンヒルデの、ジークフリートとは既に夫婦だったという言葉に、ハーゲンにだまされていた、と気づいたグートルーネは、ハーゲンの策略で忘れ薬をジークフリートに飲ませたことを告白する。
管弦楽だけで、ブリュンヒルデの全てを悟る場面は、クナの演奏ではどれも見事だが、ここでも見事にブリュンヒルデの変化を描き出す。
そして、「ブリュンヒルデの自己犠牲」が始まる。
管弦楽は凄まじい迫力でブリュンヒルデの歌を盛り上げて行くが、残念ながらニルソンはまだその表現が練れていず、その声の立派さとはうらはらに、表情が少しスポイルされ、表現が上滑りしてしまう。ブリュンヒルデの全てを悟り、自分も生きては行けないことと、神々の世界を破滅させるというスケールの大きさはあまり聞こえてこない。世界全体の悲劇としてではなく、ブリュンヒルデ個人の悲劇に聞こえてしまう。
管弦楽はもの凄く表情があり、ゆったりとうねるように進行して行く。ニルソンはその管弦楽に乗り切れていないようだ。
「帰って行きなさい、鳥たち」の前の管弦楽の迫力のあること!
管弦楽は、アンサンブルの揃っていない箇所も散見するが、クナはまったく気にかけないように、フレーズ毎につじつまを合わせて行く。それでも、そのつじつま合わせが見事に決まっていて、透明感を失わない。
大音響の中、ブリュンヒルデはグラーネと共にジークフリートを焼く炎の中に躍り込み、大火災と洪水が起こる。ヴァルハルにも火がつき、音楽はゆったりと終結に向かう。クナは音楽をまったく煽らず、がっしりした足取りで、最後はさらにテンポを落としながら終結する。
1955年、バイエルン州立歌劇場での「神々の黄昏」は、あちこちに不満はありつつも、実にクナらしい演奏だった。第3幕終結部のゆったりとした巨大なスケールの終わり方など、「なるほどクナだ」というもの凄さだ。
第2幕後半からの好調さは、さまざまな不満やオーケストラの演奏の不備を吹き飛ばしてしまう。
ただ、惜しむらくはブリュンヒルデのニルソンが、美しい声ながらその表現の上で、まだ練れていない頃の録音であることか。ヴァルナイのよく練れた表現力を聞き慣れてしまうと、他の歌手のアラがよく見えてしまう(^^;
次回は、2種類残されている「ワルキューレ」第1幕を取り上げる。
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