クナを聞く 第74回
ワーグナー編その7−19

ワーグナー:「ニーベルングの指環」
「ワルキューレ」第1幕
1963年ウィーン・ライヴ
2003/6/29

Richard Wagner
Die Walküre
1 Akt


TDBA-0017
KICC-2406
DR-620026
LS 347.18
Sieglinde...Cleire Watson
Siegmund...Fritz Uhl
Hunding...Josef Greindl

Wiener Philharmoniker
(rec.1963/5/21 L)

TDK/TDBA-0017(Japan)DVD
KING SEVEN SEAS/KICC-2406(Japan)
Dsques Refrain/DR-620026(Pirate)
Living Stage/"LS 347.18(Slovenia)

 TDKコアから、奇跡のようにウィーン芸術週間でのクナ1962年と1963年の映像が発売されたことは記憶に新しい。まさか、これらの映像がDVDでリリースされようとは思わなかった。クナ・ファンにとって、近年で最も嬉しい出来事のひとつだった。
 クナ1963年5月21日の「ワルキューレ」第1幕のライヴは、TDKコアのDVDによってそのコンサート・スタイルの映像を楽しむことができる。キャスト紹介の字幕で、SiegmundがSiegfreidになっていたり、クナよりも歌手主体のカメラワークであることは仕方のないことだが、実に楽しめるDVDだ。オーストリア放送協会(ORF)の映像である。
 この「ワルキューレ」第1幕のライヴは、以前から音だけによるCDが数種類発売されていた。第1幕全曲が収録されていたのは、KING SEVEN SEAS盤とLIVING STAGE盤で、Disques Refrain盤は後半の抜粋である。KING SEVEN SEAS盤の箱裏には「Licensed from Affetio.Italy」となっている。
 DVDディスクはCDプレーヤーでは再生できない。が、DVDプレーヤーでCDは再生できる。DVDプレーヤーに接続してあるアンプにヘッドフォンを繋ぎ、それでまず聞き比べを行ってみた。
 ただし、録音年代は1963年だが、ステレオではなくモノラルだ。
 DVDに収録されている音はノイズもなく、実にきれいな再生音である。DVDの映像を消して、音だけでも充分楽しめるクオリティだ。
 KING SEVEN SEAS盤はホワイト・ノイズは被るものの、DVDよりも音圧が高く、かなり迫力がある。これは、ヴィデオ・テープか、あるいはテレビの音をしっかりしたテープデッキで録音したものだろう。この、KING SEVEN SEAS盤はなかなかよかった。ただ、ところどころバチ、ブツという放電ノイズかスイッチング・ノイズが入る。もしかすると、音声だけラジオで放送され、そのエアチェックかも知れないが、分からない。
LIVING STAGE盤は最悪である。放送局からかなり遠いところでエアチェックされたテープの、さらにひ孫テープくらいの貧弱な音だ。収録もとのメディアはテレビかFMか、普通のラジオ放送か分からないが、電波の変調ノイズが混入し、かなりひどいレヴェルでのCD化だ。2枚組のもう1枚にフィルアップされている1964年のブルックナー:「ロマンティック」もひどい音で、これは「買ってはいけないクナのCD」だろう。おまけに、「ワルキューレ」第1幕は1964年ライヴと書かれていたりする(^^;。
 Disques Refrain盤は、フンディングがジークムントに決闘を宣告し、引っ込んだ後の第3場、"Ein Weib sah ich,(わしのみたこの女は)"の直前のチェロから最後までが収録されている。音は幾分丸っこいがノイズのないクリアな音だ。音の生々しさではKING SEVEN SEAS盤の方が圧倒的だが、ノイズのないDisques Refrain盤も悪い音ではない。元の音源が何だったのかは、分からない。あるいは、ビデオ・テープからの収録であったとも感じられる。
 DVDの映像をずっと見ていたいところだが、DVDプレーヤーとパソコンの置いてある部屋が違う(^^;。今回は、KING SEVEN SEAS盤をリファレンスにして聞くことにした。


 重く、うねるような第1幕前奏曲である。ゆったりとした出だしで枯れた演奏なのだが、アクセントも効いており、そのスケールは巨大だ。聞き応えのある前奏曲が進行してゆく。恐らくリハーサルはそれほどしていなっかったと思われるが、管弦楽のうねるさまは尋常ではないし、クナ独特の透明感と木管楽器の質朴とした味わいが感じ取れる。
 映像を離れて音だけを聞いていると、ウールのジークムントの若々しさ、ジークリンデのワトソンの誠実さに、1957年盤のフラグスタートとスヴァンホルムのコンビよりも、小生には1963年盤の方がよりしっくりと違和感なく聞ける。さらに、ウィーン・フィルのチェロの音が実にシミジミと悲哀の音色を湛えていて、抒情味あふれる「ワルキューレ」第1幕になっている。ジークリンデが疲れ切ったジークムントに水を差しだし、ジークムントがそれを飲み干す場面でのチェロの美しさ!何度聞いても、抒情がこぼれ落ちるようなチェロだ。それ以降も、管弦楽の立派さは1957年のスタジオ録音以上だ。なにより、管弦楽に愛情がこもり、お互いに惹かれ合うジークムントとジークリンデの感情の襞を見事に描いてゆく。映像を見ているとワトソンは地味で華やかさはないが、哀しくなるほどそのジークリンデの表現は素晴らしい。声質はフラグスタートやニルソンのように突出した魅力のない歌手だが、誠実にジークリンデを歌って行く。小生、さまざまなジークリンデを聞いてきたが、ワトソンのジークリンデは最も好きなジークリンデのひとつだ。
 ウールもジークムントを好演してゆく。映像を見ると、その立派な体躯にジークムントは想像できにくいが、音だけ聞いていると、若々しく猪突型のジークムントでジークムントのイメージを損なうことはない。
 第2場でグラインドルのフンディングが登場する前の管弦楽の迫力は相当なものだ。いよいよグラインドルが登場、実際の楽劇よりも多少ハンサムだが、その朗々とした迫力のある低音はやはり魅力的だ。フンディングにしては貫禄がありすぎるのかも知れないが、ジークムントを倒す敵役としては、これだけの迫力があった方が、と思う。それに、やはり声だけでもその演技力はずば抜けている。
 この、フンディング、ジークムント、ジークリンデの背後での管弦楽が実に意味深く見事な背景音楽を聞かせる。特に、チェロと木管楽器は素晴らしい。木管楽器は質朴とした味で陰鬱な物語に色を添え、チェロはジークリンデの哀しい愛を感じさせて余すところがない。オーボエの哀しい響き。
 ジークムントの戦語りでのウールの張りのある声と、緊迫感を感じさせる管弦楽も立派だ。ウールはこの戦語り辺りから、すこしセリフ回しが早くなり、走り始める。ジークムントの感情に入り込んでいるのがよく分かる。その切迫感や切実な表情は素晴らしい聞き物だ。ジークムントがくぐり抜けてきた修羅場がリアリティを持って感じられる。そして、その修羅場が悲劇に変わり、見知らぬ少女の死へと至る語りの、管弦楽の表情の沈み込むような音楽は真に素晴らしい。
 フンディングがジークムントに「探していた敵はお前だった。今夜はおれが守ってやるから、この館で一夜を過ごすがいい。ただ、明日はおれと決闘するのだ」と告げるグラインドルの迫力と緊張した管弦楽も見事だ。
 さまざな「ワルキューレ」や、クナによる1957年第1幕のスタジオ録音よりも、切実なドラマを聞くことができる。圧倒的に感情移入が成功した音楽だと言えるだろう。フンディングの宣告の後の、ジークムントの孤独感と勇壮な回想が管弦楽だけで演奏されるが、ゆったりとしたなかにも悲哀とそれとはうらはらな勇壮さを聞くことができる。
 フンディングはジークリンデを部屋に行くように命令し、退場する。
 ホルンが変な音を出している中で第3場が始まる。ウールは走り気味だが、ジークムントに成りきっているようで、むしろ好感が持てる。この辺りから映像ではクナがウールに「早すぎるぞ」と出の合図を送るようになる。管弦楽もウールに煽られるように、さらに素晴らしくなって行く。
 ジークムントの「ヴェルゼ!ヴェルゼ!」と呼びかける歌声も迫力があるが、さっきまで見ていたジークリンデへの思慕と、明日の決闘への想いが交互に訪れる表現も見事だ。
 ジークリンデが忍んできて、"Eime Waffe Lassmich dir weisen(武器のあるところを教えましょう)"と、ノートゥングがトネリコの幹に突き立てられた顛末で、ワトソンと管弦楽がかなりずれる。それでも、ワトソンは自信を持って歌っているようで、そのズレがまた楽しい。自分が好きになった録音はあばたもえくぼだ(^^)。ワトソンの誠実な歌唱にそんなことを感じてしまった。
 ジークリンデの申し出に喜んだジークムントは喜びの歌を歌い、何者かがやってきた気配にジークリンデはおののく。ジークムントは「それは春だ」と、愛の歌が始まる。ウールの「春の歌」は聞き物である。ウールの明るい歌声と若々しさは、息が切れるところはあっても、かなりの名唱である。愛を得たジークムントの喜びがストレートに伝わってくる。管弦楽も魅力的だ。テンポはかなりゆったりとしているが、愛に目覚めてゆくふたりの心の高まりを、愛情を持ってサポートしてゆく。そのうねるような弦楽器は実に魅力的に物語を描いてゆく。ワトソンの少し暗めの声質は、それまで不幸だったジークリンデの身の上の哀しさまで感じさせ、魅力的な「ワルキューレ」第1幕の終幕だ。ジークムントとジークリンデの邂逅が、いずれ悲劇につながっては行くものの、青春の物語だと認識させてくれる(KING SEVEN SEAS盤はこの辺りでノイズが多くなるのは残念だ)。
 ジークリンデにジークムントいう名前を与えられ、よりヴェルズング族としての輝きが増し始める。ジークムントがノートゥングをトネリコの幹から引き抜くあたりから、ウールはもう熱唱としか言えないほどで、その感情の嵐は実にスリリングで凄い。ジークムントとジークリンデは手をたずさえ、恐ろしいほどの盛り上がりで、コンサート形式の「ワルキューレ」第1幕は終わる。映像でも、ウールとワトソンの感極まった表情を見ることができる。

 クナ「ワルキューレ」第1幕の1957年スタジオ録音と1963年ライヴ録音とでは、1957年盤は「世紀の名盤」のひとつだと確信しているが、小生は1963年盤の方が好きだ。クナの老獪な指揮の上に、大スターではないが、ジークムントとジークリンデにふさわしいウールとワトソンの熱唱を聴くことができるし、グラインドルがしっかりと物語を引き締めている。管弦楽も、その感情的表現の表出においては、やはりスタジオ録音よりもライヴ録音の方が勝っているようだ。映像では、クナの老いた姿は痛々しさを感じさせたが、ジークムントとジークリンデの新鮮な青春の音楽を感じさせる実に見事な「ワルキューレ」第1幕だった。
 次回は、何種類あるのかまだ数えていない「ニーベルングの指環」管弦楽盤を取り上げる。


参考文献
スタンダード・オペラ鑑賞ブック 4 「ドイツ・オペラ」下「ニーベルングの指環」 吉田 真著 音楽之友社
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