クナを聞く 第113回
ブルックナー編その3−2 交響曲第5番


K30Y 1028
KICC-9367-8
POCL-9703
448 581-2
UCCD-7109
UCCD-9201
NR-2023
PD 4114
ANR 2517
Wiener Philharmoniker
(rec.1956/6 S)

King Record/K30Y 1028(Japan)
King Record/KICC-9367-8(Japan)
Polydor/POCL-9703(Japan)
DECCA/448 581-2(England)
Universal/UCCD-7109(Japan)
Universal/UCCD-9201(Japan)...Refarence
Mythos/NR-2023(USA)
Enterprise-Palladio/PD 4114(Italy)
Andromeda/ANR 2517(Italy)
 音楽についてあれこれ云々するとき、その取りあげようとしている音楽がそもそもどういう音楽であるのか、自分の認識がないと言葉にするのは難しい。
 さまざまな演奏家の録音を、これは良かった、あれは悪かったなどと、そもそもその前提となるべきその音楽に対するイメージがなければ、演奏の可否など云々しょうがない。言葉にしにくい音楽も多々あるのは事実だし、音楽は言葉で語ることの不可能性が常につきまという。これは、絵画や彫刻などの視覚作品にも言えることだし、映画などの映像、演劇など、直覚として感覚に及ぼす作用のある作品と、一度脳の中に入れ、その認識作用によって理解しうる言葉で語り得るものの巨大な差異の壁だ。すなわち、目で見たもの、耳で聞いたもの、あるいは身体で触れたもの、臭覚などの一次的な感覚と、言葉という二次的な認識作用との間に大きな溝があるということだ。
 それでも、自分が得た感動を、言葉にして相手に伝えたくて、表現したくなるのが人間だ。本屋に行けば、名曲の名盤に関した書籍がズラズラと並べられているし、雑誌もけっこう多い。「書かれた音楽」は数多いが、例えばベートーヴェン:交響曲第3番がどのようなイメージを持つ音楽なのか、書かれているものは案外少ないという印象だ。そのイメージは十人十色であるのは仕方ないことだ。
 しかし、自分がその音楽を聞いてどのようなイメージを持ったのか、そこから始めないと、本当の意味での「音楽の感想」「音楽の評論」「演奏の評価」には至りにくいのではないか?ということを、ブルックナー:交響曲第5番を聞きながらつくづく思った。

 取りあえず(^^;、各CDの音について。クナのブルックナー:交響曲第5番がステレオで残されていると言うだけでも、ありがたい録音だ。
 King Rcordの2種類。他にも国内でリリースされていたかも知れない。キングは再発の嵐だったので、どれくらい同一音源によるCDがあったのか分からない。これは、Polydor系列でも同じで、見逃しているものあるかも知れない。
 King Record/K30Y 1028は安定している音だ。少しレンジが狭いような気もするし、ところどころマスターの劣化を感じさせるボツボツと音が抜けるところもある(後述するが、これは劣化と言うより、元々のマスターテープに起因しているようである)。強奏で多少混濁が見られる。KICC-9367/8は、第4番とカップリングされた廉価版だ。CD化の技術が進んだためか、廉価版とは言え、音はこちらの方が良い。
 Polydor系列の4枚。国内でリリースされたPOCL-9703は、音のレンジ感や粒立ちではKing Rdecord盤よりも良い。ドイツプレスの448 581-2は、POCL-9703を骨太にしたような音。目くじらを立てるような差ではないが、ドイツプレスの方が好ましかった。国内でUniversalから廉価版としてリリースされたUCCD-7109、POCL-9703と同じような音だが、ダイナミックレンジがより広くなっており、かなり聞き応えがする。多少、加工してあるのか。国内ユニヴァーサルから紙ジャケット盤でリリースされたUCCD-9201、廉価版よりも厚みのある音で、素直にクナのブルックナー:交響曲第5番を楽しめる。どれも同じようなものだが、紙ジャケットのUCCD-9201が一番良かったか。
 初期盤LPから復刻されたMythos盤。音の粒立ちやダイナミックレンジは申し分ない。左右の拡がりも広大だ。復刻されたLPの番号は、LXT 5255-6ではなく、CSA-2205となっている。小生は初期盤LPを持っていないが、ところどころ音のヌケがあるところは、King Record、Polydor、Universal盤と同じで、マスターの劣化と言うより、源音源に問題があったようだ。素晴らしい音だが、LP特有のサーフェスノイズやLPの劣化にによるノイズが耳につき、リファレンスにはしにくい音。
 イタリアでリリースされていたAndromeda盤とPalladio盤。何じゃこれは・・・、極めてナローレンジで、安物のラジカセで聞いてももうちょっとマシだぜ、というような音。Andromeda盤とPalladio盤の元のマスターは同じもののようである。Palladio盤の方がノイズは押さえてあるが、ひどい音ということに関しては差がない。「買ってはいけないクナのCD」である。はっきり言って、ゴミである。
 ドイツプレスの448 581-2と紙ジャケットのUCCD-9201どちらにしようか悩んだが、一応、リファレンスにはUniversalの紙ジャケット盤を選ぶことにした。音の粒立ちやFレンジは紙ジャケット盤の方が良さそうである。

 ブルックナー:交響曲第5番は、第3番や第4番と異なり、その冒頭から峻厳なイメージが喚起される。だいたい、ブルックナーの交響曲の第1楽章では、原始霧と呼ばれる(誰が言ったか知らないが、神秘的に過ぎる)開始から、最初のクライマックスが襲いかかってくるのだが、第5番ではトボトボと歩いているような音型の後に、いきなり眼前に巨大な岸壁がそそり立ってゆくようなクライマックスを迎える。第3番や第4番の最初のクライマックスでは、なだれ落ちるような下降音型であったものが、第5番では上昇音型で吹き上げるかのようだ。目の前に光に包まれたような巨大な壁が勢いを持ってせり上がってゆくような印象だ。人によっては、暗い闇の中から光芒に充たされた空間が目の間に開けるような感覚というかもしれない。
 さまざまな指揮者、オーケストラによるブルックナー:交響曲第5番の録音を聞いてみたが、クナのDECCA盤のテンポはそのどれよりもテンポが速い。テンポは速いのに、疾風怒濤の演奏とか、さわやかな演奏というのとは異なり、その音楽は実に重い。ひとつひとつのフレージングを大切にして、その解決の仕方が他の指揮者と大きく異なるからだが、テンポに関しては、クナの演奏はDECCA盤後の1959年のミュンヘン・フィルとのライヴもかなり早い。1962年以降なら、クナのテンポは遅くなっていたかも知れないが、1959年までのクナのブルックナー:交響曲第5番のテンポはその「遅い」といわれるイメージとは大きく異なる。
 なお、クナの使用したシャルク初版によるスコアも手元にあるが、今回はノーヴァク版を見ながら、シャルク初版スコアを参考にしようと思う。第1楽章から第3楽章までは、楽器の移動はあっても、それほど小節に差があるわけではない。

第1楽章
 シャルク初版とノーヴァク版とでは、既に3小節目から異なる(^^;。ノーヴァク版ではヴィオラだけで楽器指定されているメロディが、シャルク初版ではファゴットが重ねられる。このような差異は全曲に見られるのでいちいち書き出さないが、先が思いやられる出だしではある(^^;;;;。
 ブルックナー特有の、霧がたなびくような弦楽器のさざめきからではなく、はっきりとした行進曲風のリズムがチェロとコントラバスで奏でられる。
 この最初のテンポからして、クナは他の指揮者と異なる。クナのテンポはかなり速い。メトロノーム速度でいうと、クナは♪=100とするなら、他の多くの指揮者の録音(特に後年になればなるほど)は、♪=60以下なのだ。速度指示はアダージョだが、クナはアンダンテくらいの速度で演奏させている。そのため、悲劇的ではいずり回るような暗い出だしではなく、しっかりと意志を持った歩みに聞こえる。その開始のテンポの影響から、15小節からの最初の吹き上げるような音型のクライマックスのイメージにも差が出る。クナの指揮した演奏の表情は明るい。運命的な衝撃と言うより、どこか意志を持って歩いてきて、必然的にそそり立ち始める壁に出会うという感じだ。
 ここで特筆すべきは、その最初のクライマックスのエネルギーの解放の仕方だろう。第1楽章の最初では2回クライマックスがあり、クナによって見事に出し惜しみなくオーケストラのエネルギーは解放される。
 ゲネラルパウゼの後、31小節から主部にはいるが、他の指揮者の演奏と、クナの演奏はここからテンポは一致する。クライマックス後、かなりアッチェランドをかける指揮者もいる。クナの演奏は細部までしっかりとその音符が評価され、確実に演奏されているという感じだ。テンポはそれほど動かさない。そのため、当時のウィーン・フィルの響きで相殺されている面があるとは言え、その響きは高度に透明感を獲得している。その上で、43小節からの3回目のクライマックスが、かなりの明るさを獲得して聞こえてくるとき、クナがブルックナー:交響曲第5番でもたらそうとしていたヴィジョンは、確信を持っていたのだということが理解できる。
 58小節から、木管楽器による鳥の声の模倣とも呼べるフレーズが顔を覗かせるが、クナとウィーン・フィルのもたらす響きはおだやかな暖かみを感じさせる。しかも、その音符の価値を大切にしていることが分かるので、実に落ち着いた響きになっている。クライマックス後の91小節からのプルトを少なくしたヴァイオリンの響きも落ち着いていてる。109小節からのヴァイオリンによるメロディも魅力的だ。131小節からの静かな音楽も、ノーヴァク版とシャルク初版ではまるで使用楽器は異なるが、クナは魅力的な響きを引きだしてゆく。145小節からの弦楽器群の動きも素晴らしく、153小節からの第1ヴァイオリンが緩やかな坂を流れ落ちてゆくようなメロディも実に美しい。
 189小節から、クナの音楽はゴツゴツして、リズムはギクシャクして聞こえるが、何回も聞くうちにクナのこの表現が最も相応しいような気がしてきた。クナは小細工を弄せず、ブルックナーの木訥とも言えるリズムを的確に描いてゆく。
 237小節から冒頭に戻りクライマックスを築くが、そのクライマックスは1回だけで、木管楽器に魅力的な音色とともに静かな音楽を奏でてゆく。ウィーン・フィルのヴァイオリンの何と魅力的なこと!
 ノーヴァク版とシャルク初版では楽器の使い方はまるで異なるものの徐々に盛り上がってゆき、267小節から再びクライマックスを築く。295小節のティンパニーは、どの演奏録音よりも、小生はこのクナの演奏が好きだ(^^)。他の指揮者の演奏はモタモタしすぎだ。クナは思いっきりがいい。
 338小節から、ブルックナーでは特有の、何の脈略もない中から輝かしいファンファーレが聞こえる。346小節の暗い淵から聞こえるような短いコントラバスのフレーズに導かれて、音楽は白熱を始める。音楽が白熱し始めても、クナは必要以上にアッチェランドをかけない。スコア上でも音楽の白熱は雰囲気だけに終わり、381小節から音楽は沈静化する。
 459小節から、、音楽は第1楽章のフィナーレを準備するように開始される。クナの透明でいて、がっしりしたテンポとリズムは音楽を崩すことはない。むしろ、しっかりと煉瓦を積み重ねてゆくように、第1楽章の終焉を迎える。

第2楽章
 第2楽章冒頭も、かなり速いテンポで始められて行く。オーボエの質朴な響きの魅力的なこと。
 31小節から、ブルックナー・ファンなら堪らない魅力を湛えた弦楽器による魅力的なメロディが奏でられる。クナのフレージングは、ウィーン・フィルの音色と相まって、優しくチャーミングだ。音楽は、自然に微笑み、自然への感謝の気持ちが拡がってゆく。63小節から、その感謝が美しいクライマックスを迎える。クナの音楽は自然で、極めて美しい。
 第2楽章冒頭に戻り、音楽はクライマックスを迎え始める。81小節からの、弦楽器のの執拗な細かな刻みは、ギクシャクしているようでいて、ブルックナーの音楽を損なうまいと言う執念のようなものを感じ取れる。93小節かの金管楽器は、まるでシベリウス:交響曲第5番のようだ(^^)。
 音楽は一旦沈み込み、107小節から31小節からの魅力的なメロディが再現される。119小節から、胸が締め付けられるような魅力的な音楽を聞くことができる。それが延々と続いてゆき、163小節から、微細に動く弦楽器の上を、金管と木管によるもの悲しいメロディが被さってゆく。この辺りの緩やかに自然な音楽は、クナの独擅場とも言えるべき素晴らしさだ。
 173小節からは、天使の降臨か、あるいは十字架上からイエスが静かに下りてくる光景を目の当たりにしているような感覚にとらわれる。音楽は静かだが、ひじょうにドラマティックな情景を秘めているかのようだ。最後は、静かに信仰への新たな心構えと希望を見出したかのように終結する。

第3楽章
 どこかワルツを崩したようなリズムがさまざまなに変転し、かなり高圧的な音楽から、時計の刻みに似たリズムの音楽、愛らしくユーモアに充ちた音楽を聞くことができる。ブルックナーのスケルツォでも、出色の出来だろう。
 クナは、キビキビとしたテンポで、なだらかに演奏させることはなく、ギクシャクした部分はあくまでギクシャクと、愛らしいメロディは思いっきりチャーミングに演奏させてゆく。クナは見事な音楽を形作る。変に有機的につなごうなどとは思ってもいないようだが、音楽は自然に、何の無理もなくつながってゆく。何回も聞きいていると、クナのこのスケルツォの見事さにはまってしまう。ウィーン・フィルの質朴で人なつっこい音色やフレージングを、活き活きと聞くことができる。トリオの優しさ、懐かしさも極上だ。
 スケルツォ冒頭に戻り、再び透明で明るい音楽が奏でられてゆく。

第4楽章
 第1楽章や第2楽章のように、しっかりした行進曲風のリズムで始まる。第1楽章や第2楽章が想起されるが、どこかユーモアのあるトランペットや木管に裁ち切られるように進行し、27小節で別の音楽世界を立ち上げるようなユーモアのある小節を挟んで、29小節から意志の強い、明るいメロディが奏でられてゆく。
 第4楽章では、ノーヴァク版を見ていてはどこがどこやら分からなくなってしまうので(^^;、シャルク初版によるスコアを見て行くことにした。
 蛙が跳びはねているような音型の中、まるで輪唱のように弦楽器がフレーズを積み重ねてゆく。この辺りは、スコアを見ていると実に面白い。65小節からは、これもまたブルックナーではおなじみの、草原を散策するようなメロディを聞くことができる。その魅力的なこと!82小節から、うっとりするような優しい情感に支配された音楽が始まる。欲を言えば、ストコフスキー配置ではなく、両翼配置で聞きたい音楽だ。クナとウィーン・フィルは、優しくチャーミングにその魅力を描き出してゆく。127小節辺りの美しさは極上だ。
 そして、何の脈略もなく(^^;、135小節からいきなり強圧的な音楽に変わる。トランペットとホルンがこだまのようにそのフレーズを奏でる中、音楽は沈静化して行き、174小節から第4楽章の主要なテーマが、ここではまだ静かに金管楽器と木管楽器で吹き鳴らされる。194小節からは、夕景に煙がたなびくような美しい音楽を聞くことができる。
 弦楽器で174小節から吹かれていた、第4楽章のテーマが奏でられ、さまざまな楽器に受け渡されてゆく。このフレーズは極めて明るく、強圧的ではなく美に充ちていることが予感される。演奏によっては、極めて強圧的に響くテーマだ。ウィーン・フィルのアンサンブルが多少雑に聞こえる箇所がないではないが、音楽は執拗にテーマを繰り返しながら、浮沈を繰り返しながらも上昇してゆく。
 細切れのようにして動いていた音楽が、332小節で収斂するかのような動きを見せる。その動きが368小節から、さらに収斂の度合いを強めてゆく印象を持たせながらも、音楽はあちらこちらと寄り道をしながら、フィナーレへの道筋を形作ってゆく。木管楽器など、後年のフランス音楽のようで、なかなか面白い。
 436小節から、巨大な伽藍が積み重なって行くような終結部への驀進が始まる。ブルックナー:交響曲第5番で、小生がごく最近まで馴染めなかったけたたましい音楽が続いてゆくが、クナの演奏は実に面白い。迫力はあるのに、けたたましいとは感じないのだ。シャルク初版では、455小節からさらに金管楽器が補強され、輝かしく音楽は終結する。

 恐らく、クナとウィーン・フィルのこの録音は、ステレオでスタジオ収録された初めてのブルックナー:交響曲第5番だろう。アーベントロートの録音がクナの前、1949年にモノラルでスタジオ収録されているが、ヨッフムがバイエルン放送交響楽団で録音するまで、クナのDECCA盤はいわばスタンダードだった。
 クナのブルックナー:交響曲第5番は、小生には極めて自然体に聞こえた。むしろ、他に聞いたさまざまな指揮者による録音が、演出過多で不自然に聞こえるほどだった。
 現在は、使用している版の問題などもあり、スタンダードとは呼べなくなってしまったかも知れないが、シャルクによる初版ともども、ブルックナーを聞かれる方には是非盤と言えるだろう。クナを聞き、他の指揮者の演奏を聞いてゆくと、その差に唖然とされることもあるだろう。「これが一番正しい」といえるブルックナーの演奏などあり得ないが、クナは極めて自然に、ブルックナー:交響曲第5番の魅力を伝えてくれる。
 次回、1959年ミュンヘン・フィルとのライヴ録音を取りあげる。