クナを聞く 第121回
ブルックナー編その5−4 ブルックナー:交響曲第8番
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(rec.1961/10/29 L)
Golden Melodram/GM 4.0008(Italy)7CDs
King Seven Seas/KICC-2378(Japan)2CDs
Memories/HR 4171(Italy)3CDs
Nuova Era/2370(Italy)3CDs
Rare Moth/RM 411/2-M(Japan)2CDR...Refarence
なお、海賊CDRの再発盤に関しては確認していない。
ABC順にGolden Melodram盤から。ミュンヘン・ハンス・クナッパーツブッシュ協会盤としてリリースされた。Golden Melodramは、後年クナの既出録音の新たな音源が見つかったのか、いくつかのCDではめざましい音でリリースしているが、このブルックナー交響曲選集あたりの音は、ワーグナー「ニーベルンクの指環」「パルジファル」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」辺りのオペラ全曲盤を除くと、あまりたいした音ではない。ホワイトノイズが盛大で、帯域も狭い。全体的に少しフワフワしたこもり気味の音で、源音源の劣化からか、音抜けもある。
King Seven Seas盤。ミュンヘン・ハンス・クナッパーツブッシュ協会からテープ提供を受けてCD化された。Golden Melodram盤と似たようなものだが、こちらの方が幾分落ち着いている。ただ、ホワイトノイズは盛大で音抜けもあり、元はGolden Melodram盤と同じだ。
イタリアで制作されたMemories盤とNuova Era盤。レーベルは異なっても出所は同じだろう。同じ音である。LPからの板起こしのようなノイズが確認できる。ミュンヘン・ハンス・クナッパーブッシュ協会がらみのCDとは別の音源を使っているようだ。もしかしたら、ミュンヘン・ハンス・クナッパーツブッシュ協会からリリースされたLPからの板起こしかも知れない。Golden Melodram盤やKing Seven Seas盤とは音の傾向はかなり異なり、イタリアで制作されたCDは低域はかなり不足しているが、全体的にはオーケストラに適度な距離感があり、聞きやすい。第3楽章で、フェードイン気味に楽章が始まる。
海賊CDRのRare Moth盤。音の傾向はGolden MelodramやKing Seven Seas盤とそっくりだが、どういう訳か、この海賊CDRの音が一番しっかりしている。楽章間のノイズもしっかりと入っていて、ドイツで放送された録音からのエアチェックかも知れない。第1次音源に近い音だ。
総じて、1961年の録音の割にはどのCDも今ひとつの音で、あまりいいとは言えない。その音の悪さを我慢して、今回はRare Moth盤をリファレンスにして聞くことにした。それでも、決して満足のできる音ではない。
クナを聞く第119回で、1951年盤を取りあげたとき、第3楽章が「キリストの受難と死、そしてそれを幻視している光景」ではないかと書いたが、実はそのように感じたのは1951年盤を聞いたときだけで、1955年盤や今回の1961年盤で、そのような激しいイメージの展開を想起することはなかった。1951年盤を取りあげてログを作成中は、いかに小生でも書きすぎかなあ、とも思ったが、再度聞き直してみて、その時に得たイメージを撤回するつもりはない。
1961年盤では、響きやフレージングがより純化され、抽象的とも言える音だけによる悲しみや、その悲しみのからの救済が聞こえてくる。
小生にとって、それだけ1951年盤の音による切迫したドラマが聞こえ、それ以降の録音からは、また別なベクトルを持つ音楽へと軸足を変えて行っているような気がしてならない。今回取りあげる1961年盤の第3楽章も、後述するように感涙ものの凄い演奏で、クナにしか成し得ない演奏の記録だが、一度騙されたと思って1951年盤を「キリストの受難と死、そしてそれを幻視している光景」を頭に思い浮かべながら、音楽に身を浸らせてみればいい。1951年盤の持つ、リアリティのある情景と巨大な感情の推移が感じ取れるはずだ。
そして、1955年盤以降の、また別の音楽的な深度を聞いてゆけばいい。
今回取りあげる1961年盤は、録音されCD化された音の不備、ウィーン・フィルのミスや破綻をものともせず、ギリギリとした音を紡ぎ出してゆく凄まじくも寂寥感と自然体を併せ持つ、不思議な音響体験をさせてくれる。
最近では、テンシュテット 禁断の部屋 第18回で聞くことのできた、テンシュテットとフィラデルフィア管弦楽団の不可思議な時間感覚の体験にも匹敵する。あるいは、クナの表現はそれ以上の演奏記録であるのかも知れない。
第1楽章
Rare Moth盤でも、かなり貧弱な音だ(^^;。スカスカした印象の音で、少しハイ上がり。最初、他のレーベルのCDでもそうだが、ヴァイオリン群のプルトが少ないように聞こえてしまう。段々と耳が慣れ、ボリュームを上げて聞いていると、その違和感は少なくなるが、響きもデッドだ。強奏で多少混濁する。
1955年盤で、なんでこんなに速いんだろう?と思えたテンポが、1951年当時に戻り、さらに各フレーズから寂寥感が聞き取れる。クナは1961年1月に胃潰瘍の手術を受けており、体重が激減した。3ヶ月ほど休養のためのブランクがあり、5月23日に復帰しているが、その後はかなり仕事を減らしたようだ。オットー・シュトラッサー著「栄光のウィーン・フィル」(芹澤ユリア訳音楽之友社刊)によると、クナの手術以降、コンサートでは常に別れの雰囲気が漂っていたと書かれている。確かに、少し枯れた味わいがこの頃の録音以降で聞かれるようになる。
音の物理的な特性は我慢しなければならないが、この録音をボリュームを上げて無心に聞いていると、もの凄いオーケストラの歌、集中力が聞ける。CD(CDR)の音としてはあまり良くないので、最近の録音を聞き慣れている耳には大きな不満が出そうだが、この演奏録音はそのような不満を越えて、凄い内容の演奏を聞くことができる。
オーケストラは荒っぽいようにも聞こえるが、現代では想像もできないほど弦楽器が歌っている。その低弦域のうねるようなフレージングも聞き物だが、第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラまで、じつに情感を込めて弾いているのが分かる。
この演奏の特徴は、18小節からの、クライマックスの前哨でもあるなだれ落ちるようなフレーズ、49小節で木管の音がなくなり、チェロとコントラバスのもの凄いリタルダンドから、51小節の第1ヴァイオリンによる魅力的な上昇音階のメロディを際立たせるところで、すでにかなり明らかになる。18小節からのフレーズは、1955年盤ではそれこそ急激に下ってゆくかのようだったが、1961年盤ではかなりゆったりとしており、1951年盤よりさらにその流れは緩やかだ。3連符も、1951年のベルリン・フィルでは刻み込むように演奏させていたが、オーケストラの特性もあるのか、比較的なだらかな刻み方になっている。その部分を含め、例えば40小節のクライマックスも、迫力はあるがゆったりとしている。フォルテシモやフォルテ3つでは確かに華々しく、素晴らしいクライマックスを築いてゆくのだが、クナの目はより穏やかな部分へと神経が注がれているかのようだ。
51小節からの第1ヴァイオリンのもの凄いヴィヴラートは、不安定なようでいてそのメロディの情感をしっかりと表現してゆく。58小節でも大きくフェルマータし、木管楽器のメロディやヴァイオリン群のピツィカートを豊かな音楽にしてゆく。
70小節以降のゆったりと感興にあふれた音楽は、第1楽章に通常とは別の光を与えているかのようだ。77小節で、第1ヴァイオリンがソロ・ヴァイオリンのように聞こえる。そして、85小節からの第1ヴァイオリンによるメロディから、もの凄い寂寥感を引きだしてゆく。
89小節からは、木管楽器の音色に寂寞とした色を残し、夜の帳が降りるような静けさから、弦楽器群のピツィカートに乗って、ホルンと木管楽器による寂しさの中にも意志の強い音楽が聞こえ始め、第1ヴァイオリンからヴィオラに至るまでの弦楽器群が、よりその意志の強さを増してゆくようなフレーズへと進行する。
109小節からの、何かを訴求しているかのような音楽も、この1961年盤では柔らかく、哀しく迫ってくる。その寂しさが輝かしさに変質し始め、125小節で華々しいクライマックスを築く。ただ、そのクライマックスも127小節のトランペットの途切れ途切れのようなフレーズが奏でられ、長続きしない。音楽は、冒頭の暗い雰囲気に戻る。
その暗い雰囲気から、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンによる神秘的な明るさを持った音楽へと変化する。クナは139小節のその音を、かなりのアクセントを付け、強調する。
神秘的な霞のようなヴァイオリン群の音の中、第1楽章の動機が、ホルンとオーボエによって繰り返される。しかし、単に繰り返されるのではなく、どこか明るい響きだ。
150小節から、オーボエがかなりリタルダンドし、続くホルンの音型からゆったりとした平和な音楽に変わり、音楽は絡み合いながら193小節のなだらかな音楽へとつながってゆく。その弦楽器の音の何と鄙びて魅力的なこと!
執拗な3連符を含む小節が延々と続いてゆくが、まだ平和な音楽は壊されない。やがて、216小節からティンパニーの音が次第に大きくなり、音楽は迫力を増し始める。そして225小節からの強力なクライマックスを築く。このクライマックスはかなり長く続く。そのクライマックスが静かになり始めてからも、木管楽器が執拗な下降音型を奏で、クライマックスからの雰囲気を維持する。そして、木管楽器のフレーズが形を変えて弦楽器に受け継がれ、弦楽器も執拗にその動きを続けながら盛り上がってゆく。
その弦楽器の動きが頂点に達し始めた辺りから、第1楽章後半部の水車が回るような音型がゆらゆらと落ちてくるように、何回も演奏させる。
そのゆらゆらと落ちてくるような音型は木管楽器に継承され、静かな中にも動きのある音楽になっている。トランペットに第1楽章の動機が現れ、298小節から第1ヴァイオリンがその動機を昇華するような響きを聞かせる。そして、うねるような弦楽器に群による魅力的なメロディが奏でられてゆくが、この美しさはクナならではのものか。けっして、なだらかでメロディを主体にした響きではないのだが、その魅力的な響きと、メロディに込められた情感をしっとりと聞くことができる。
317小節からの木管楽器と、ヴァイオリン群のピツィカートも実に魅力的だが、321小節からの弦楽器の歌の美しさには惚れ惚れと聞き入ってしまう。実に素晴らしい音楽を聞いている時間だ。
331小節から、第1ヴァイオリンがまたソロヴァイオリンのような響きになり、他の演奏では聞けないような魅惑的な響きを聞くことができる。340小節で長いフェルマータがあり、音楽は再び悲劇的な色合いを持ちながら、止められない進行を始める。368小節から執拗なクライマックスでトランペットが鳴り響く。
クライマックス後、音楽は静けさを取り戻し、ゆったりと回転する水車がやがては止まるような、静寂を迎える。
第2楽章
ゆったりとしたテンポだが、その表情は極めて自然で、ブルックナーの哄笑や自然の営みが質朴な響きで、小細工なしに演奏させたようなスケルツォが聞ける。CDの音はそれほど良くないので、必要以上に質朴さが感じられてしまうが、力を抜いてごく自然なスケルツォ前半部を聞ける。
風が静かに、あるいは自然や人間の営みを時には激しく包み込むように舞ってゆく。密やかになる部分では、実に神経が通っている演奏が聞ける。むしろ、派手な部分は手放しで演奏させているかのようだ。ブルックナーの哄笑は「あーははは、あーははは」と執拗に続いてゆく。
トリオの響きは意外と力強い。トリオ25小節からも、もっとゆっくりとやるのかと思ったら、かなりテンポは速めだ。6回繰り返されるハープによる上昇音型の後、音楽はじっくりとした響きに落ち着き、孤独な魂が何かに歓びを見出したかのようなフレーズに行き着く。やがて、その歓びが確固としたものとなり、確かな足取りで再び、祝福するようなハープが現れる。
スケルツォ冒頭に戻り、どこかもたついているような弦楽器の響きだが、やがてヴァイオリンによる風の音の模倣が聞こえ、静かに密やかな部分まで空気を行き渡らせるような音楽の後、ブルックナーの全ての事象に歓びを感じているような哄笑が繰り返される。トランペットのアクセントは、まるでふざけて羽目を外さんばかりだ。
第3楽章
恐ろしく独特の雰囲気を持った第3楽章だ。ヴァイオリンは、歌いすぎではないか?と思えるくらいにヴィヴラートをかける。その音が段々と純化されるような響きに変わり、15小節で最初のクライマックスを迎える。18小節で、えぐり込むような凄いコントラバスの響きが聞こえるが、まだ、普通の演奏だ。1961年盤において、第3楽章は徐々にその凄まじい表情を露わにしてゆく。
20小節のゲネラルパウゼは引き伸ばされ、21小節からの弦楽器群のメロディが、切実なフレージングとクレッシェンドで弾き出される。でも、まだまだだ。道程は長いのだ。24小節の最後の音で、フェルマータがかかり、次の小節からの純化されるようなハープのフレーズを導き出す。そのハープの上昇音型の下でゆったりとした、神秘的な和声進行を弦楽器群が奏でる。
音楽は再び冒頭に戻り、第1ヴァイオリンの不安定な音が、また徐々に上昇を始め、35小節からはその上昇の反動のような深いため息のような音楽が聞こえる。音楽は再びハープと弦楽器が神秘的な響きを奏でる。
その神秘的な響きの中を、ホルンが忍び込み、そのホルンに導き出されるように、チェロの感動的なフレーズがしっかりと弾かれる。58小節からも感動的だ。音楽はある種のトランス状態になりながら、オーボエとクラリネットによるなだらかな下降音型へと進行し、67小節からチューバによる滋味深いメロディが、かなりゆったりと奏でられる。70小節の極めて長いフェルマータ!
そこから、ヴィオラ、チェロと木管楽器群が絡み合いながら、音楽は盛り上がってゆく。78小節でクライマックスを迎え、その余韻は実に美しく、次の木管楽器による寂寥感のある音楽に引き継がれてゆく。
91小節から、本来なら意志の強い弦楽器群による音楽が聞こえるはずなのだが、クナの1961年盤の音は驚くほどゆったりと沈み込み、哀しみの色を濃く出している。94小節のリタルダンドには凄みさえ感じられる。
音楽は第3楽章の冒頭に戻る・・・なんだかこのヴァイオリンは年寄りが唸りながら祈っているみたいだ。その祈りが上昇して感極まり、107小節の木管楽器による緩やかな下降音型で慰められる。
116小節から執拗な8分音符による上昇が延々と続いてゆき、小さなクライマックスを迎える。129小節から、沈み込むように寂寥感を増して行き、133小節での嘆きは実に深い。弦楽器がラフに聞こえるほど、その音を揺らせている。135小節からの、木管楽器の下降音型の緩やかさも凄い。
クナ1961年盤第3楽章は、恐ろしいほどの寂寥感を聞かせ始める。141小節からの、ヴィオラとチェロによる2回目のメロディのなんと孤独でうら寂しいこと!151小節からも、かなり引き伸ばされた詠嘆が聞こえるかのようだ。
音楽は沈み込んで行き、161小節からのチューバによるメロディも、1回目に奏されたときよりもかなり引き伸ばされ、哀しみの色が濃くなってゆく。
そして、169小節からの時計の音に模したかのような響きに乗る寂しいメロディが暗く、静かに奏でられる。178小節からのディミュニエントしてゆくヴィオラの静かな響きは、堪らないほど透明で哀しい。
185小節から、さざ波のようなヴィオラの音型に乗って、第2ヴァイオリンがメロディを、第1ヴァイオリンが緩やかなオブリガードを付けるような進行では、クナはかなりその響きの透明さを維持しながら、フレーズを引き伸ばしているかのようだ。もの凄い切実な音がしている。
そして、イヤイヤをしているように205小節からのクライマックスを迎える。211小節からのいじらしいほどの美しい第1ヴァイオリンのメロディが聞ける。
音楽はさらに盛り上がって行き、第1ヴァイオリンのトリルが波の先端の白波のように、また流れに抵抗するような感覚を残しながら、それでも音楽の進行は止められないかのように、浮沈を繰り返しながら、339小節からの壮絶で巨大なクライマックスを築く。その響きは、CD化された音は残念ながら貧弱だが、そのは以後から聞こえてくるクナとオーケストラの迫力は並ではない。
音楽は沈静化し、第1楽章の終結部を鎮魂するような響きで、ゆったりと市井の平和な生活と祈りに戻ってゆく。しかし、その第1ヴァイオリンの音色は湿っていて、終わるのがいやで堪らないというような親密な響きを奏でてゆく。Rare Moth盤は、この余韻に浸る一番いいところで、音ヌケがある(-_-;。
静かに、静かに、ゆったりと、まだ終わりたくない、もっと演奏していたい、という余韻が長く長く続き、第3楽章は終了する。
第4楽章
かなりゆったりとした第4楽章冒頭のファンファーレだ。そのテンポに乗り切れていないのか、だれか音程の悪い金管奏者がいるのか、幾分1961年盤の金管はラフに聞こえる。この、1961年盤のファンファーレはあまり行儀がいいとは言えない。
金管よりも、弦楽器に焦点を合わせたような展開が聞ける。69小節からのゆったりとした音楽は、実に魅力的に、ブルックナー:交響曲第8番第4楽章の肝のような部分を聞かせてくれる。ただ、その弦楽器とて、プルトが少なく聞こえる箇所が多く、フルオーケストラの威力というより、かなり室内オーケストラ的な、親密な響きになっている。
16小節から17小節にいたるティンパニーは、ドコドコした響きながら決まっている。45小節から、長いデクレッシェンドを経てファンファーレが終息してゆくのだが、恐ろしく息の長い終息の音楽が聞ける。
前述のように69小節から、豊かな弦楽器によるメロディが奏でられる。73小節から74小節の、低弦域の膨らみのある、それでいて決然とした響きに、ああ、クナだなあ・・・という感慨に浸れる(^^)。84小節で、やはりクナの特徴的な低弦域の上昇音型が聞こえる。
111小節から、音楽は光で満たされたようになるが、クナのもたらす管弦楽の響きは透明で、このあまり音の良くない録音からでも、その透明な明るさを感じ取ることができる。一旦、第1ヴァイオリンが上りつめた後の、121小節のゆったりとした膨らみの素晴らしさ!
123小節から、鳥の鳴き声の模倣がさまざまなに聞こえる中で、シミジミとしたメロディが弦楽器で奏でられる。クナのゆったりとした呼吸が生きていて、質朴とも言える木管楽器の音色ともども、豊かな音楽を聞くことができる。
ティンパニーの足音のような音型の後、音楽はしっかりと小さな山を登って行くような音楽に変わる。そして、159小節から、その頂から辺りを見回すような音楽が奏でられる。183小節から、どこか挑戦的な音楽になり、どこまでも行進をしているようだ。その前、1951年盤、1955年盤と同じ箇所で、クナの足音が一発鳴る。
231小節の弦楽器群による分厚い響きでの下降音型では、クナはいつものようにかなりのアクセントを置く。そして、その意志の力を、力強く演奏させる。かなり人間くさい表現だ。そして238小節の最後の音を長く引き伸ばし、次の楽想へと引き継いでゆく。
265小節からの、オーケストラの震えるようなヴィヴラートでの歌は、他の指揮者の演奏ではなかなか聞けないもので、これはクナの要求なのか、オーケストラの自発的な響きなのかよく分からないが、寂寥感が少し漂う中にも、実に人間くさい暖かな音楽を聞かせてくれる。284小節のリタルダンドもしかり、その後のどこか揺れているような弦楽器群による展開も、暖かく人間くさい。
301小節から、第4楽章ファンファーレが再帰されるが、他の弦楽器や木管楽器はまったく異なる気分の音楽を奏でている。309小節から、第1ヴァイオリンとオーボエが魅力的な音楽を形作り、やがて再びファンファーレが聞こえ、そのファンファーレが力強く、ゆったりと吹き鳴らされる。このゆったりさかげんもクナならではか。最近の他の指揮者による演奏も充分遅いが・・・クナの遅さとは少し意味が違うようだ。しかも、その響きの質が異なるというか、クナのもたらす1961年盤の響きは、どこか土の香りがする。
その後の静かな展開も素晴らしい。静かな響きなのだが、この第4楽章の本当のクライマックスは363小節から368小節の、透明で美しい瞬間なのではないかと思えるほどだ。
386小節から素朴な音楽になり、平穏で幸福な世界が表現される。ブルックナーは、この辺りでボウイングを厳しく指示している。
437小節から、3度第4楽章のファンファーレが鳴り響くが、それまでよりもさらに粘り、物理的には強大なクライマックスを築く。クナのゆったりとしたテンポに金管楽器は弛緩しそうだが、クナはなんのその、その堂々としたテンポで細部まで光を照射するように演奏させてゆく。
音楽は再度、69小節からの音楽が再現される。ただ、演奏では寂寥感がさらに増し、571小節から572小節のオーボエ、573小節以降のフルートによる鳥の鳴き声など、かなり静けさの中にある響きだ。577小節からのオーボエとクラリネットのフレーズは、かなり寂しく、長く引き伸ばされるようにリタルダンドされる。
そのオーボエとクラリネットによるフレーズの後、音楽は明るさを獲得して行き、徐々に響きが分厚くなってゆく。597小節から、不思議な光で照らされているような雰囲気になり、どんどんと音楽は膨らんでゆき、618小節から第1楽章の動機が強大な音で鳴らされる。ただ、1961年盤では強大な音、というより、その背後に流れる木管楽器と弦楽器による流れの方が強調されているようで、627小節からティンパニーの静かなロールに乗って、寂寥感を感じるメロディが第1ヴァイオリンで演奏される。ウィーン・フィルのヴァイオリンの音はよく歌い、しかも切実さを聞かせてくれる。音楽は静かにゆったりと、フィナーレを準備する。
この1961年盤のフィナーレがかなり強烈で、恐るべきゆったりとしたテンポ、強大なクレッシェンドがかなり続き、限界かと思われる響きで最後に到達する。
1961年盤はライヴ盤として実に面白く、かつブルックナー:交響曲第8番に新たな到達点を示した演奏録音だった。音が悪い、オーケストラのアンサンブルが悪い、たまにミスがある、などのマイナス面は無論あるが、それを越えたクナの同曲にかける愛情がひしひしと感じられる。
恐らく、クナの健康状態やその練習嫌いから、前日のゲネブロがリハーサルの全てではなかったかとも考えられる。その演奏は即興性に富み、クナの膨らみのある表現を現実の音にしている。フルトヴェングラーやカラヤンにとはまた違った愛情を、オーケストラはクナに感じていたのではないかと思える。
次回は、いよいよWestminster盤を取りあげる。




