クナを聞く 第145回
ヨハネス・ブラームス2−4 交響曲第3番
1950/11/5 or 6 Berliner Philharmoniker
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(rec.1950/11/5 or 6 B)
Chaconne/CHCD-1005(Japan)
Istituto Discografico Italiano/IDIS 6362(Italy)
King Seven Seas/KICC-2411(Japan)
Rare Moth/RM 416-M(Pirate)
- Chaconne/CHCD-1005
ミュンヘン・ハンス・クナッパーツブッシュ協会盤LPからの板起こしか。もの凄いレンジの音が聞けるが、かなりダンゴ状態でもある。サーフェスノイズが感じられる。 - Istituto Discografico Italiano/IDIS 6362
音圧レヴェルが高く、Chaconne盤に比べると、やはりダンゴ状態ながら音の分離はかなりよい。ホワイトノイズというより、ピンクノイズに聞こえ、テープからの復刻かLPからの復刻か判然としない。強奏ではかなりヒステリックになる。 - King Seven Seas/KICC-2411
「Licensed from Affeteo,Italy」となっている。Knapparstbshのc抜けジャケットである(^^;。音は大変聞きやすい。IDIS盤の大暴れの音を落ち着かせた感じ。テープからの復刻のようでもある。 - Rare Moth/RM 416-M
放送録音かLPの板起こしか判然としないが、オープンリールのテープから取られた音。最初盛大なゴーストが聞こえる。他のどのCDよりもホワイトノイズが盛大で、ポツポツと音抜けがある。多少高域が金属的。第2楽章冒頭で強烈なテープの歪みがある(他のCDでも、Rare Moth盤ほどではないが歪みがある)。
第1楽章
冒頭から、クナのパッションとオーケストラのやる気に圧倒される演奏である。LP派の方は1944年盤を好まれる方が多いように感じるが、小生はどっちでもいい派、むしろCDの方が便利で楽(らく)派だし、初めて聞いたクナのブラームス:交響曲第3番がこの録音のKing Seven Seas盤だったため、その凄まじい演奏の威力の洗礼に会い、いまだに1950年盤のトラウマから逃れ出ていない。
この荒れ狂い、巨大な大波に翻弄されるような演奏は、初めて聞くとショックのあまり口が利けなくなるか、ブラームス:交響曲第3番のパロディに聞こえて大笑いするかのどちらかである。小生の場合、反応は最初後者だったのが、演奏を聞き進むうちに前者に聞く態度が変わってしまった。そして激しくクナの音楽にのめり込んでしまった。ブラームス:交響曲第3番から、クナは何という巨大で凄まじい感情の波を導き出したのだろう!
最初の2小節の金管はそれこそアインザッツは成り行きだが、これからもの凄いことが始まるのではないかという期待感がある。3小節目からの弦楽器が雪崩のように崩れ落ちるフレーズは、クナではいつものことながら、巨大なものがゆっくりと落ちてくるように表現する。クナ盤を聞いてしまうと、ほとんどの指揮者の演奏はこの最初の部分で既に物足りなくなってしまう。その最初の出だしがあってこそ、7小節からの上昇音型に意味が出るのだろうし、15小節からのゆったりとした感興が生まれるのだと思える。23小節からにもそのことが言え、ブラームスが以下に巨大な感情の渦をスコアに残したのか分かる…って、ブラームス自身がクナのような響きを望んだのかどうかは分からない(^^;。
音楽は徐々にその力を柔らかくし、31小節からは明るい夢幻的な音楽になる。34小節からのもの凄いリタルダンドが聞け、36小節からの牧歌的な音楽が、より牧歌的に馥郁と演奏される。47小節からの遅さも素晴らしいが、音楽は63小節から徐々に熱を帯び始め、68小節からの木管楽器の盛り上がり、それを引き継いでの弦楽器の盛り上がりも素晴らしく、第1楽章呈示部の繰り返しは省略されるが、熱さを保ったまま展開部に入ってゆく。79小節からの波に飲み込まれるような感情の翻弄の仕方も凄みがある。91小節から、その熱を冷ますかのような木管楽器の下降を主にした音型が奏でられる。
その熱を冷ますかのような音楽が100小節で強烈に粘り、101小節ホルンの感動的なフレーズが、非常にゆっくりとしたテンポで、しかも粘りながら演奏される。凄いとしか言いようがない。そこから、音楽は黄泉の世界に降りてゆくように、ゆったりと沈み込んでゆく。その黄泉世界から抜け出すかのように、120小節からの金管楽器による上昇する音型が吹かれ、124小節から、巨大な鉈を振り下ろすように主題が奏でられる。148小節までの動きは戦慄的で、142小節から徐々にそのテンポが遅くなり、145小節からのリタルダンドは強烈だ。
149小節からの牧歌的な音楽は平和だが、さまざまな修羅をくぐり抜けてきたかのような、後戻りできなような感情を宿している。183小節からの主題の3回目の変奏は、この巨大で抜き差しならない演奏を更に印象付ける。誰の、どの演奏録音からも聞けないような嵐に翻弄されるような音楽が続き、音楽は徐々に緩やかさを獲得してゆくが、その最後は決して平穏ではない。214小節からの波のようにうねる音楽はまるでその力に抵抗できないように低弦域が盛り上がり、220小節のフォルテが本当に意味を持つように演奏される。この第1楽章が明るさだけに支配されていない別の力と意志を感じさせるような盛り上がりだ。そして、静かに終わる。
第2楽章
スタジオの外を走る車の音が頻繁に聞こえる。収録は昼間だったのか。録音状態のせいもあるが、驚くべき大スケールの第2楽章である。1950年盤全体がそうだが、堂々たるテンポで、これほどうねりまくる巨大な演奏は聞いたことがない。翌年にバイロイトに招聘が決まったことへの自信の現れか。ベルリン・フィルの反応も凄いものがある。
かなり重い響きのする第2楽章だ。まるで巨大で重いボールがゆったりと弾んでいるかのようだ。ベルリン・フィルから、これだけゆったりとした質朴な響きを引き出してしまうクナにも恐れ入るが、ベルリン・フィルの奏者もその響きを出すことに、そしてアンサンブルをしていることに歓びを見出してくるかのような響きから第2楽章は始まる。
8小節の手前で、少し残念なテープのよじれが聞こえるが、そのよじれはこの1箇所だけだ(厳密にはもう一箇所あるけど)。我慢しないと仕方がない(^^;。13小節でオーボエが曲想の変化を予感させる。そのフェルマータのかけ方は、クナがどのように魔術のようなテンポとリズムを演奏者に伝えているのか、実に不思議な部分だ。
クラリネットの質朴とした響きが第2楽章の雰囲気を壊さずに、徐々に上昇してゆく。23小節から、曲想の変化を予感させたオーボエがいよいよ舞踏的なフレーズを吹き始める。ゆったりと揺られるような音楽が、27小節で第1ヴァイオリンが高域で強奏し、第2楽章はさらに別の次元へと進んでゆく。33小節からの低弦域はまるでうねるかのようで、静かな中にも迫力がある。40小節から、クラリネットとバスーンが孤独感の強いメロディを吹き、50小節後半からの木管楽器と弦楽器の応答もゆったりと粘りつくようだが、56小節から弦楽器、ホルン、木管楽器がどこか遠くを流れる鐘の音のような効果を出し、62小節からゆったりと弦楽器による法悦的なメロディが流れ出す。80小節から、そのゆったりとした法悦の流れは木管楽器の田園を流れる風の音のようなフレーズで途切れ途切れになるが、89小節からは舞踏的な要素も入り、より悦ばしげな感情の音楽に移る。
そして、108小節から、悦ばしげな牧歌的な表情が、クナの強烈な粘りのある音楽により、さらに宗教味を感じさせる魅惑されるような響きになる。その宗教的な感情が牧歌的な音楽に熔解し、より平穏を求めるようなオーボエのフレーズ、弦楽器の高域によって第2楽章は終わる。
第3楽章
印象としてはゆったりとしているが、幾分速めのテンポで開始される。当時のベルリン・フィルのテヌートやポルタメントが実に美しい。美しくも哀しい第3楽章が、続いてゆく。
51小節から、かすかにリタルダンドをはじめ、69小節の後半からは、夢幻的な世界が表出される。低弦域のえぐり方はもの凄い。90小節からのテンポの落とし方と何かを求めるかのような弦楽器の音は切実だ。97小節で極めて遅くなり、98小節からホルンが主題のメロディをなぞり、第3楽章を美しく哀しい世界に引き戻してゆく。クナのこの演奏は、美しくはないがその情感の表出と言うことに関しては、実に素晴らしい。139小節からの弦楽器の切実な響きであること!
その切実な響きが尾を引くように第3楽章は終結する。
第4楽章
第4楽章も、物々しい。19小節後半からの静かな部分での弦楽器の蠢くような音楽はかなり引き伸ばされ、その物々しさを倍加させ、29小節最後の音からの爆発を効果的なものにする。
46小節あたりの跳ねるようなスコアを、クナはゆったりと粘りつくように演奏させ、52小節からのチェロの響きのうねりも凄いものがある。70小節からの2回目の爆発も強烈だ。クナはテンポを煽らず、逆にテンポを落とすように長大な呼吸感でクライマックスを築く。91小節からの音楽では、クナは馴染ませずにギクシャクと演奏させるが、もの凄い真実味を獲得している。130小節辺りの音楽も凄い。140小節からのフォルテも強烈な響きだが、149小節からは金管のトッカータ風旋律が吹き鳴らされ、ブラームス:交響曲第3番って、こんなに意志力が強く、悲劇的な曲想を持っていたのかと改めて知らしめてくれるような音楽になっている。嵐がうねりまくるような弦楽器が聞ける。その嵐のような音楽に翻弄されながら、172小節からの更に強力なクライマックスがゆったりと奏でられる。188小節辺りの音楽の強烈なこと。
216小節と217小節でのティンパニーはまさにこの演奏の強烈さを強調する…あれ?スコアにはこの部分にティンパニーは書かれていないが…(^^;;;;。
とにかく有無を言わせない、もの凄い音楽が展開する。
強烈な音楽はそれでも徐々に静まって行き、53小節からその音楽を更に鎮めるように、ヴィオラの豊かで哀しげで魅力的なメロディが奏でられる。音楽はさらに夢幻的な響きを弦楽器が奏でる中、神秘さを感じさせながら木管と金管がコラール風旋律をゆったりと響かせ、弦楽器がその神秘さを別次元に移してゆくかのようなメロディを奏でて、第4楽章は終結する。
いやはや、この1950年盤の凄みをまた味わってしまった。この1950年盤の演奏を聞いて、他の指揮者によるブラームス:交響曲第3番を平和な気持ちで聞くことなど、まずできないだろう。小生、実はブラームス:交響曲第3番ではこの1950年盤が最フェヴァリッツで、他のどの演奏を聞いても物足りなく感じさせてしまった恐るべき演奏録音だ。初めて聞かれて、デフォルメとかパロディという言葉が浮かぶかも知れないが、その演奏のもの凄さと真実味に接すると、もうそんなことは言えなくなってしまう。
クナの演奏魔術は凄いと思う。こんな演奏が、他の誰に可能だろうか?爆演といえば爆演だが、それが第1楽章から第4楽章まで、意味を持って持続してしまうところに、ブラームス:交響曲第3番という一般には平穏な音楽が実はそうではないと言うことを知らしめてくれる壮絶な演奏録音であると思う。
クナの超絶的名演のひとつである。
次回は、1955年7月26日ウィーン・フィルとのライヴを取りあげる。



