ヨハネス・ブラームス2−8 交響曲第3番

1962/5/14 Kölner Rundfunk Sinfonie Orchester

DR 910013-2
KICC-2373
RM 544-M
Kölner Rundfunk Sinfonie Orchester
(rec.1962/5/14 L)

Disques Refrain/DR 910013-2(Pirate)2CDs
King Seven Seas/KICC-2373(Japan)
Rare Moth/RM 544-M(Pirate)
 クナのブラームス:交響曲第3番の演奏はさらに進化を遂げる。ブラームス:交響曲第3番の演奏として、すこぶる刺激的で優れているのは1950年ベルリン・フィルとの演奏記録や、1956年シュターツカペレ・ドレスデンとの演奏であるのは間違いがなく、小生も大好きだ。
 ところが、この1962年の演奏になると、どのような演奏がブラームス:交響曲第3番に相応しい演奏方法か、てな議論が虚しくなるくらいに音楽は深化し、ブラームス:交響曲第3番という、幾分軽めに見られがちな交響曲が、底なし沼に足を引きずり込まれてゆくようなとてつもなく深い音楽に変貌している。
 1962年というと、Philipsからバイロイトでの「パルジファル」の正規リリースが録音された年だ。「パルジファル」は、1951年から始まったクナの「パルジファル」よりもむしろテンポは少し速くなり、テンポを速めることでドラマティックな表現から抒情味が深まる結果になった。ブラームス:交響曲第3番では逆にテンポは引き伸ばされ、ドラマティックな表現と言うより、そのドラマを内含しての抒情が際立ち、巨大なひとつのうねりの中で表現してしまった音楽のようにも聞こえる。
 この演奏を聞いていると、リアルな時間感覚は音楽の中に溶解し、優しく哀しげな眼差しの揺籃の中で、ただひたすら音楽を聞いているしかない自分を発見する。
 Disques Refrain盤とRare Moth盤ではその音はほとんど変わらず、今回は最初に聞いたケルン放送交響楽団盤ということでDisques Refrain盤をリファレンスにすることにした。

第1楽章
 全編、弦楽器が主体となった、ゆったりと大きくうねるような音楽になっている。そして、そのスケールは「これがブラームス?」と思わず考えてしまうくらいに広大だ。ブラームス:交響曲第3番第1楽章から、哲学的な思索を引き出したような演奏である。
 冒頭からいつものクナのようにテンポは遅いが、これまでの演奏ではゆったりとはしていても隈取りはしっかりとしていたのだが、録音のせいもあるのか、この1962年盤はどこか全てが溶け込んでいるような響きである。しっとりとした情感と各楽器のアーティキュレーションが美しい。まず特徴的なのが、32小節でのフルートとクラリネットの上昇音型。今までもクナはゆったりと演奏させてきたが、1962年盤ではさらに音楽が止まってしまうのではないか、と思わせるほどゆったりと演奏させる。33小節の澱むような弦楽器、34小節から35小節に書けてのバスーンとクラリネットのゆったりと昇ってゆくような上昇音型も、クナはさらに遅く演奏させる。クナの楽曲に対する愛情と優しさがにじみ出ている。
 もし、この箇所を他の指揮者が同じようにやったら、あまりにも効果狙いのやりすぎた演奏に聞こえてしまうかも知れない。クナの演奏は、クナでしか成し得ない「かくあるべし」という確信と愛情の産物である。
 ゆったりと引き伸ばされた35小節から、一瞬のゲネラルパウゼの後、第2主題のメロディがゆったりと流れ出すが、滔々と流れるかのような演奏で、素晴らしい音楽を聞く時間を約束してくれる。44小節のオーボエの愛らしさなど、絶品に近い。
 限りなくスコアに書かれた各音を大切にしながら、その情感で押し包んだような演奏だが、ひとつの大きなうねりの中にしっかりと位置しているというようにも捉えられる。
 展開部、77小節からのヴィオラとチェロによるメロディも切々しながらも雄大なスケールを感じさせてくれる。そのメロディは第1ヴァイオリンと木管楽器群に引き継がれ、情緒タップリに盛り上がってゆく。100小節の壮絶な溜の後の深く沈み込んでゆくような101小節からの流れは、クナを聞くことの醍醐味を知らしめてくれる。110小節からホルンのさらに遅くなるような経過句があり、112小節からは大きく淵の底に沈み込んでゆくような音楽になっている。その音楽が再び上昇し、第1主題が繰り返されるのだが、クナの音楽のもたらす粘った精神的な迫力と、ゆったりと引きずるような音楽は聞く者に有無を言わせない。第3番第1楽章の豊かなファンタジーを聞かせてくれる。142小節からはもう神業としか思えない。通常言われる拍の概念から逸脱し、深い呼吸感を感じとることができる。
 Disques Refrain盤もRare Moth盤も176で音の大きな欠落があり、聞いていて心臓が止まりそうになるが我慢しよう。このCD化に際しての大きな傷はこの1カ所だ。
 183小節からの第1主題への回帰は、もうこの世のものとも思えない壮絶な音だ。187小節からも、クナは必要以上にアッチェランドをかけない。194小節からも同様で、その横の線の感覚は素晴らしく有機的で、なおかつ音楽に大きな意味をもたらしている。199小節からは感動している他はない。
 206小節からも凄いが、210小節からは更に凄みのあるゆったりとうねるような音楽になり、第1楽章はフィナーレを迎える。

第2楽章
 第2楽章も大きくゆったりとうねる。前半部の平穏な風景への憧憬のような箇所が、実にシミジミと訴えかけてくるようでもある。
 4小節の一瞬現れる弦楽器に陶然となるが、15小節からのクラリネットの響きは実にゆったりと素晴らしい音楽を聞ける。音楽は粘り、24小節後半のオーボエの魅力的な響き、そしてゆったりと26小節のフルートとオーボエのメロディに彩られながら、素敵に盛り上がってゆく。33小節からの暗さも凄みがある。
 40小節最後からのクラリネットとバスーンによる孤独な響き、フルートやオーボエによるほんの少し華やいだ響き、その間をうねるような弦楽器が音楽に彩りを添え進行してゆく。音楽は沈み込んで行き、62小節後半から、ブラームスの天上の響きとでも言えるような、高貴で豊かなメロディが最初チェロで現れ、ゆったりと次第に弦楽器群全体の分厚い響きになって行く様子は、神々しいと言ってもいいくらいに美しい。
 第4楽章終結部を先取りしたかのような弦楽器による短い上昇音型の繰り返しの中で、同じメロディが木管楽器に現れるが、これだけゆったりとした粘るようなテンポの中で、そのメロディの緊張感が保たれているというのは、凄いことなのではないかと思えてしまう。88小節のクラリネットなど、素晴らしい情感だ。99小節のフェルマータ、その後のテンポの遅さも凄い。
 108小節からの第1ヴァイオリンの高域での絶唱は涙なくしては聞けないほど感動的だ。残念ながら、ブラームスはその感動を持続してくれないが(^^:。
 122小節からさらにテンポが引き伸ばされ、穏やかで起伏のある田園風景の中に、一カ所だけ陽の光が暖かく降り注ぐような平穏な明るさを獲得しながら、第2楽章は終わる。

実に優れた意味深い第2楽章である。

第3楽章
 恐ろしくその情感が引き伸ばされた第3楽章。ただ、第1主題はテンポは幾分速めで、その切々とした音楽がクナの音楽では滔々とした流れのように進んでゆく。
 ゆったりと引き伸ばされるのは、第1主題のメロディがチェロ、ヴァイオリン、木管楽器で3回演奏された後、52小節からだ。そのゆったりとしたテンポとクナの指示するフレージングのためか、68小節からの木管がすこぶるつきに素晴らしく、70小節からの弦楽器による厚みのある演奏が大きな魅力のあるものになっている。73小節後半からのゼクエンツの迫力も凄みがある。78小節から、さらにほんの少しテンポがゆったりとし始め、97小節までその情感が静かに引き伸ばされる。
 98小節からのホルンによる第1主題、オーボエによる同じメロディは、やはりウィーン・フィルのソノリティは凄かったんだなと、変な関心を1958年盤にしてしまった。クナは1962年盤でも、切々としたブラームスの嘆き節をその大きな呼吸感で高貴な感情を損なうことなく進行させてゆく。151小節からの流れ、特に終結部直前の154小節からのひとつの呼吸で大きな丘を描いてしまうかのような音楽は素晴らしかった。

第4楽章
 この第4楽章の重い慟哭と叫びは一体何事かと思えるくらいに、深く激しい。クナの愛情が楽曲の隅々まで行き渡っているからでもあるが、その哀しみの深さは計り知れないほどだ。ブラームス:交響曲第3番第4楽章が「慟哭の歌」であったのか、と思われる凄まじさだ。その大地に巨大なくさびを打ち込むような歩みは遅いが、演奏が獲得している凄みと真実味は比類がないほどに素晴らしい。
 蠢くように進行する第4楽章冒頭から素晴らしいが、それまでの動きと30小節のフォルテの強さがより際立つようなもの凄い落差が聞ける。クナの多分凄みのある形相と足音一発の威力が分かる。51小節まで、その進行では落ち着いたテンポではあるものの、迫力のある音楽を形作っている。
 52小節からは、疾走させる演奏も可能だが、クナは寄り落ち着いたテンポで弦楽器のメロディをしっかりと弾かせたりしている。そして70小節からの2度目のクライマックスは、迫力を伴いながらまるで崩れ落ちるかのようだ。90小節から、クナはゆったりとよりギクシャクと演奏させ、第4楽章の本当の意味での切迫感を露わにする。
 そして、109小節からはまるで第4楽章終結部への伏線のようにして響く。細かな動きのある楽章だが、クナはその細かな動きをおろそかにせず、141小節のクライマックスをより真実味を持って聞かせてくれる。149小節からの嵐が吹きすさぶかのような音楽も、クナは決して急がせない。その遅さのまま、とてつもない迫力を持って167小節からのより大きなクライマックスを築き上げる。恐らく、宗教的な意味を持つと思われるフレーズが、極めて大きな意味を持って鳴り響き、この第4楽章の性格を知らしめてくれる。
 208小節や209小節の膨らみのある木管楽器のフレーズなど、クナバカの小生には嬉しいフレーズを挟みながら、212小節で再びティンパニーが轟き、クライマックスを築く・・・というか、その後、崩れ落とすために積み木細工を重ねているようなものか。216小節の四分休符でクナの足音一発が響き、より音楽は切迫感を持ち、疾風怒濤の音楽を、重く暗く演奏してゆく。
 音楽は徐々に静けさに支配されるようになり、249小節から、黄泉の世界に入ってゆくかのような音楽が聞ける。ホルンとトランペットが静かに終焉を予告し、静かに密やかに終結を迎える。
 最後のゆらゆらと立ち上るような弦楽器の音型は、勝利による昇華なのか、慟哭と哀しみの末に打ち倒された英雄が昇天してゆくさまを描いたものなのか。いったい、どっちなんだろう?

 クナのブラームス:交響曲第3番はどれも凄いと8回書かなければならないが(^^;、小生は今のところ、この1962年盤が最も好きである・・・と言って、ブラームス:交響曲第3番のクナとしてのリファレンスを選ぶなら1950年盤か1956年盤を選ぶが、一方的な聞き手である自分が、否応なくクナの創り出す一種幻想的な世界へ引きずり込まれる演奏録音と言えば、この1962年盤であるからだ。  次回はブラームス:交響曲第3番の最後、1963年シュトゥットガルト放送交響楽団との演奏録音を取りあげる。