クナを聞く 第172回
リヒャルト・シュトラウス編 その2−6 「死と変容」
1964/1/16 Münchener Philharmoniker
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Golden Melodram/GM 4.0025(Croatia)
King Seven Seas/KICC-2378/9(Japan)2CDs
各CDの整理。
Disques Refrain/DR-920025(Pirate)
アジマスが狂ったテープデッキの音のようで、音に芯がない。そのため、かなりこもった音に聞こえる。荒れた音ではないのでそこそこ聞けるが、音に開放感がないので一般的とは言いにくい。ホワイトノイズもかなりある。Golden Melodram/GM 4.0025(Croatia)
傾向としてはDusques Refrain盤と同じだが、少し焦点が合っているかな?と言う音。やはり音に開放感がない。焦点が少し合っている分、源音源の劣化もDisques Refrain盤に比べてより感じられる。コンサートホールの、舞台からかなり遠いところで録ったような音。King Seven Seas/KICC-2378/9(Japan)2CDs
ミュンヘン・ハンス・クナッパーツブッシュ協会提供の音源。Golden Melodram盤とあまり変わらない。やはり焦点の合っていない締まりのない音。高域に工夫の跡が見られる。
演奏は独特である。タイミングは1962年盤とほとんど変わらないし、解釈も変わらないはずなのに、「死と変容」がひとつの有機的な生物になったかのような演奏になっている。これは、音があまり良くないという物理的特性によるものかも知れないし、クナバカの小生は特別な思い入れをもって聞いているからかも知れない。
とにかく、全編が切実な心情を持った演奏になっているのだ。それは演奏の巧拙を越え、クナの叫びと諦観に結びついてゆく。
冒頭、恐ろしく暗く無機質な音から始まる。その朦朧とした中での暗さの中から、明るめの覚醒への呼び声が木管によって奏でられるが、なかなか覚醒へとは結びついて行かない。やがて、哀しげなオーボエの旋律が聞こえるが、まるで泣いているかのようだ。その後のヴァイオリン・ソロも哀しげに響く。徐々に楽器が増え、盛り上がりながら覚醒への呼びかけが執拗に行われる。
覚醒のティンパニーの一発はCDの音もあり、それほど強烈ではないが、続くうねりながら起きあがるかのような低弦域は、凄まじく太い生命力を感じさせる。夢の中で完全に覚醒した病人の記憶との戦いが始まる。1962年盤もそうであったように、「死と変容」から凄まじい音楽が聞ける。CDの音がそれほど良くないので、こんなものかで通り過ぎてしまいそうだが、嵐のように、すべてを吹き飛ばして破壊してしまいそうな音楽が荒れ狂う。
その嵐が沈静化し、平和な夢の中へと音楽は進行する。クナは夢幻的に最後の追憶をするような演奏を繰り広げる。その平和な音楽はゆったりと重いテンポで奏でられてゆく。ひとに聞かせる音楽と言うより、クナとオーケストラがその中に埋没してゆくような音楽だ。
そして、音楽は勝利への闘争へと場面を変える。その英雄的な明るさから、渦を巻くような弦楽器の旋律がゆったりとしたテンポの中で、何かを求めるように響く。その渦はティンパニーと金管楽器に阻害されそうになりながらも、より巨大な渦に発展し、ティンパニーや金管楽器もその渦に巻き込むように発達してゆく。これでCDの音がよかったら、1962年盤以上の迫力を感じ取れたかも知れない。勝利の至福の音楽は、細部に至るまで実によく情感が込められている。そのため、音楽は巨大な生物が生きているかのようにのたくっているかのようだ。
病人の先を急がすかのようなティンパニがー、静かに、それでも残酷な音で時を不規則に刻み、勝利の音楽であったものが、実は壮大な悲劇であったかも知れない、という痛切な響きに変わる。
浄化への行進曲はゆったりと始まる。その盛り上がりは何ものも飲み込んでしまうように進行し、やがて浄化の成就がゆったりと盛り上がりながら、天上世界へ上昇するような音楽の美しさを聞かせる。ここでもまた、クナは聞き手を感動の中で涙させる。最後の余韻に浸る音楽は長く引き伸ばされ、至福に中に溶解する。
クナのどの「死と変容」も、小賢しい技を使わずに真摯にスコアと向き合っている結果だと思える。都会的な洗練とはほど遠いし、オーケストラのショーピースというよりも、より深みのある音楽を聞かせてくれる。
決定的に凄いのは、1962年12月16日のウィーン・フィルとのコンサート録音だろう。CDの音のせいもあるが、その音楽の迫力、気迫、静かな部分での意味などを聞かせてくれる演奏録音はそう多くはない。
リヒャルト・シュトラウスのスペシャリストでもあったクナは、他のリヒャルト・シュトラウスのスペシャリストとは別の方を見ていたのではないかと思えるような1956年からの5種類の「死と変容」だった。


