クナを聞く 第176回
リヒャルト・シュトラウス:「ばらの騎士」
1955/11/16 Wiener Staatsoper
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Der Baron Ochs auf Lerchenau...Kurt Böhme
Octavian,genannt Quinquin...Sena Jurinac
Herr von Faninal...Alfred Poell
Sophie...seine Tochter....Hilde Güten
Jungfer Marianne Leitmetzerin...Judith Hellwig
Valzacchi,ein Intrigant...Laszló Szemere
Anininamseine Begleiterin...Hilde Rössel-Majdan
Wiener Staatsoperchoir,Wiener Staatsoperorchester
(rec.1955/11/16 L)
Golden Melodram/GM 3.0025(Criatia)3CDs
RCA/74321 69431 2(USA)3CDs
演目は、
- ベートーヴェン:「フィデリオ」カール・ベーム
- リヒャルト・シュトラウス:「影のない女」カール・ベーム
- ヴェルディ:「アイーダ」ラファエル・クーベリック
- ベルク:「ヴォツェック」カール・ベーム
- ワーグナー:「ニュルンベルクのマイスタージンガー」フリッツ・ライナー
- リヒャルト・シュトラウス:「ばらの騎士」ハンス・クナッパーツブッシュ
クナはワーグナーとリヒャルト・シュトラウスのスペシャリストとしてそのキャリアを築いたが、「ばらの騎士」はことのほかお気に入りだったようで、その演奏会記録は残っているだけでも56回に上る。クナにとって十八番の演目だった。
RCA盤の解説によると、タイトなスケジュールをこなしていたオーケストラとのリハーサルに際して、クナは「何のためにリハーサルをする必要があるでしょう?あなた方は「ばらの騎士」を知っている。私も知っている。では今晩お会いしましょう」と言ってリハーサルをしなかったという逸話が載っている。多分その話の元になったのはオットー・シュトラッサーの著作で、オットー・シュトラッサー著「栄光のウィーン・フィル」(芹澤ユリヤ訳 音楽之友社刊)に、その逸話が載っている。これは本当の話だろう。シュトラッサーは「こんなことは彼だけに、偉大なる即興家であり練達の指揮者たる彼のみに可能であるのは勿論である」と書いている。クナは、金のかかった豪華な「ばらの騎士」の舞台装置にもいたく満足したらしい。
ウィーン国立歌劇場再建に関しては、その前年、音楽監督の地位を巡ってクレメンス・クラウスとカール・ベームの暗闘があった。カール・ベームがその地位を勝ち取り、失意のクレメンス・クラウスは「これで2,3年は長生きできる」と語ったのだそうだ。
その失意のクレメンス・クラウスは1954年にメキシコから招聘された。メキシコなどには行きたくないがために、クレメンス・クラウスは高額の報酬を要求した。
ところがメキシコ側はクレメンス・クラウスの要求をのんでしまい、クレメンス・クラウスはメキシコに行かざるを得なくなった。メキシコ・シティは高地にあり、循環機能の良くなかったクレメンス・クラウスは1954年5月16日心臓の発作で死去した…と、シュトラッサーは書いている。
めでたくウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任したカール・ベームだったが、ウィーンのお家芸たる国立歌劇場の運営を巡るゴタゴタに巻き込まれ(ベームはその声望が高まるに連れ、国外での指揮活動が多くなった)、またそのオペラ公演の評判が芳しくなく、1956年にウィーン国立歌劇場を追われ、1957年、カラヤンがその地位についた。
ホフマンスタールの台本にリヒャルト・シュトラウスが作曲した「ばらの騎士」は、モーツァルト:「フィガロの結婚」をめざして作曲された。その時代の雰囲気を濃厚に感じさせるセリフ、舞台装置である。それまで、リヒャルト・シュトラウスのオペラと言えば「サロメ」、「エレクトラ」で、ヤナーチェク「イェヌーファ」とほぼ同時代、ベルク「ヴォツェック」の先駆をなすような陰惨オペラの先駆的な作品だった。「サロメ」「エレクトラ」は古典的な題材を扱いながら、管弦楽は当時の最前衛に近いものだった。
そのホフマンスタールとリヒャルト・シュトラウスは、一転、喜劇的な貴族趣味のオペラを制作した。
録音としては、1944年のクレメンス・クラウス盤、1954年エーリッヒ・クライバーのDECCA録音、カラヤンの2種の録音、カルロス・クライバーの2種の映像記録など、かなり素晴らしい記録が残っている。
小生が初めて「ばらの騎士」に接したのは、カラヤン1960年の最初の映像である。シュワルツコップの匂い立つような元帥夫人が素晴らしい。その後は、カルロス・クライバーの来日公演をテレビで見た。なんだか、映像ばっかりで「ばらの騎士」に接してきたようなところがある。
小生は、元々オペラ聞きではなかったので、その「ばらの騎士」体験は貧弱なものだが、カラヤンやカルロス・クライバーの映像の後(実は、LP時代にレナード・バーンスタインの録音を持っていて聞いた記憶があるのだが、忘却の彼方にある)、エーリッヒ・クライバーのDECCA録音、クレメンス・クラウスの第2次大戦中の録音を聞き、クナ盤1955年盤を聞いたのは一番最後だ。
クナの1955年盤は、CDではまずGolden Melodram盤がリリースされ、RCAの「ウィーン国立歌劇場ライヴ」シリーズが後に続いた。この録音は、セナ・ユリナッチが長い間OKを出さなかったそうで(同じ役を歌ったエーリッヒ・クライバーのスタジオ録音があるのに、なぜ?という事もあったらしい)、RCA盤はそのことをクリアしてのリリースだったのだろうか。
まず、その音の比較。
- Golden Melodram/GM 3.0025(Criatia)3CDs
吉田光司著「Hans Knappertsbusch Discography」(キング・インターナショナル刊)で「HK1012/5(協会盤LP)では第1幕のオックス男爵が登場する場面での Selbstverständlig empfängt mich ihre Gnaden が欠落している。GM3.0025では何か別の録音を用いて修復している。74321 69431 2には欠落はない」と指摘されている。
1955年の録音としては、かなりのリアリティのある音。むろんハイファイではないが、低域から高域まできれいに音が入っている。高域では少しエッジが取れているものの、中域以下の音が充実しており、なかなか聞き応えがある。ライニングとユリナッチの歌声も高域はイマイチながら、ふくらみのある音だ。 - RCA/74321 69431 2(USA)3CDs
最初の拍手からサワサワした感じできれいな音。管弦楽の前奏曲が始まると、どこか小さな箱に音を押し込めたような印象になってしまう。特に低域の充実度が後退しており、全くないわけではないが、ウーファーのない3ウェイスピーカーで聞いているような感じ。そのため、歌劇場のざわめきや臨場感があまり感じられない。ライニングとユリナッチの歌声も、音にボリュームがないためか、スレンダーに聞こえる。高域はGolden Melodram盤よりもちゃんと聞こえるが、元々あった胴体を切り離されたような不自然さを感じる。デジタル・リマスタリングはオトゥマール・アイヒンガーとゴットフリート・クラウス。
しかし、多くのクナ・ファンはGolden Melodram盤から先に聞いてしまった。RCA盤の整音され、リアリティを殺がれてしまった音に不満を持たれた方は多いと思う。小生もそうだった。RCA盤の高域にGolden Melodram盤の中低域が聞けたら、これはかなり満足できただろうと思うが、想像でしかない。正規盤である、音の欠落がないなどの問題よりも、生理的な音に対する欲求度の満足感の問題だろう。とりあえず、小生はGolden Melodram盤をリファレンスにして聞くことにした。ただ、モニターをスピーカーにすると(小生、普段はSTAXのイヤー・スピーカーを使用している)、RCA盤の方が聞きやすかったことを告白しておかなければならない。
第一幕
拍手が収まりきらないうちに、前奏曲が始まる。目眩のするような華麗さが聞ける前奏曲だ。ただ、クナの演奏はそこここに人懐っこさを聞くことができる。木管の響きも独特で、他の指揮者にはない重い感覚が残る。テンポの速い導入部から、音楽はゆったりとまどろむようになり、鳥たちの啼き声で朝の場面であることが分かる。
前奏曲が終わったのか終わったのかわかないうちに、元帥夫人の夢のような歌声から第一幕は始まる。ライニングの古めの歌唱方法、絶えず細かに揺れ動くヴィヴラートが少し気になるが、Golden Melodram盤からは豊かな肉体が感じ取れるかのようだ。
元帥夫人とオクタヴィアンの情事の後の睦んでいる様子がこれでもかと描かれるが、クナとウィーン国立歌劇場管弦楽団の渦を巻くような低域が凄い。元帥夫人がオクタヴィアンをからかって笑う場面など、何が始まったのかと思わせる大迫力だ。
召使いが朝食を運び、ゆったりとした時間が過ぎる辺りの木管楽器の豊かな響きはクナならではか。ユリナッチは少しクナのテンポに乗り切れていないようだが、ライヴ録音特有の徐々に物語に没入してゆく歌手の姿が見えてくる。
夫が帰ってきたのではないか?という物音に、ドタバタする元帥夫人とオクタヴィアンのやりとりが面白い。オクタヴィアンはマリアンデルという女性の召使いの恰好に変身してしまう。Golden Melodram盤は、遠くから聞こえるオックス男爵のこえがかなりの迫力で迫ってくる。確かに、Golden Melodram盤では"Selbstverständlig empfängt mich ihre Gnaden(もちろん、奥様は お会いになる)"で変に音がこもり、別の録音をつぎはぎしたようだ。すぐに元の録音に継ぎ足されるが…。その辺りは残念だとは言え、このオペラの重要な場面ではないので、自然に聞いてしまえるだろう。なにより、RCA盤での低域のなさが致命的だ。弦の高域や歌手の歌声の響き具合はRCA盤の方がきれいだが。ただ、圧倒的にべーメの歌声はGolden Melodram盤の方がリアリティがある。
クルト・ベーメのオックス男爵は、エネルギーたっぷりで軽くユーモアのある役柄を的確に歌ってゆく。4拍子の舞曲に載って、元帥夫人とオックス男爵のやりとりが続く。小間使いの姿に女装をしたオクタヴィアン(元々、女性が演じるので不自然さはない^^;)にオックス男爵はしつこく色目を使うが、この辺りのやりとりはやはり映像があった方が楽しめる。
オックス男爵は結婚のために、「銀のばら」を相手先に届ける人選を元帥夫人に相談に来たのだが、オクタヴィアンに秋風を送りながら、オックス男爵のあちこちの若い女性を手玉に取った顛末が、機嫌良く延々と流れてゆく。クナは管弦楽の面白さ、ふざけ加減を実に面白く聞かせてくれる。そんなに深刻な物語の音楽ではないのだ。元帥夫人、オクタヴィアン、オックス男爵の3重唱も景気がいい。
「銀のバラ」を届ける使者にはオクタヴィアンがいい、と思い立った元帥夫人から酔うようなワルツが背後で流れる。退場するオクタヴィアンと交替に、公証人や料理人たちと一緒に、3人の孤児、帽子屋、動物商、学者、ゴシップ屋のヴァルツァッキ、美容師たち、テノール歌手が賑やかに登場、舞台は混沌とした楽しさに溢れる。テノール歌手の歌声と情感は見事である。脇役であるのがウソのように舞台を独占する。クナとウィーン国立歌劇場管弦楽団の弦楽器も、ここぞとばかりにたっぷりとした伴奏を行う。
結納を花嫁から貰うという勝手なオックス男爵の発言に、公証人はそんなことはあり得ないと言い出す辺り、オックス男爵の人柄が偲ばれるが話がまとまらず「結納金としてだ!」とテーブルを叩き、テノール歌手が歌をやめてしまう辺りの迫力はもの凄い。
ヴァルツァッキ、アンニーナ、オックス男爵の訳の分からないやりとりの音楽も面白いが、いよいよオックス男爵が「銀のバラ」を従僕に持たせて、「ばらの騎士」の主題が浮かび上がる。
オックス男爵が下品な声を出して退場、元帥夫人の若さが失われてゆく自分を嘆く場面、リヒャルト・シュトラウスの管弦楽はあくまで甘美で美しい。管弦楽はすべてに光が当たっているように元帥夫人の嘆きを暖かく包んでゆくが、やがて、暗く落ち込んでゆく。リヒャルト・シュトラウスの「ばらの騎士」の主題は生と死であることが分かるような仕掛けである。ただ、ここで描かれる死は、老いへの悲しみであるが。
オクタヴィアンが再登場、元帥夫人の悲しみに同情を寄せ、「ぼくは永遠に君のそばにいる」と若者らしく激情的になるが、元帥夫人は残酷な自分の老いがオクタヴィアンを去らせることが分かっている。
元帥夫人の悲しみから、管弦楽の哀しい甘美さとオクタヴィアンの一途さがうまくブレンドされ、第一幕がただ賑やかなだけのドタバタ喜劇で終わらせないところに、ホフマンスタールとリヒャルト・シュトラウスの「ばらの騎士」でもたらそうとしたテーマが見え隠れする。
クナとウィーン国立歌劇場管弦楽団の演奏は極めて自然で、匂い立ち、陶酔するような音楽を格調高く、実に美しく描いてゆく。「ばらの騎士」の主題が美しく哀しく流れてゆく。リヒャルト・シュトラウスの面目躍如とした音楽が、かなりのリアリティを持って響く。この甘美な哀しい陶酔感はなかなか素晴らしい。Golden Melodram盤の少しこもり気味のライニングの歌声が残念であるが、それでも哀しく夢を見ているようで、管弦楽はさすがに立派である。
元帥夫人の悲しみの源を理解できないように、オクタヴィアンは元帥夫人の居館をもの凄い勢いで出ていったことが召使い達の言葉でもたらされ、元帥夫人は手紙をオクタヴィアンの元に届けるように指示をする。
物思いに耽る元帥夫人の憂い、ヨハン・シュトラウスの「ウィーンの森の物語」に出てきそうなメロディが管弦楽で奏でられ、第一幕の幕は下りる。幕の下りる前から、暖かな拍手が拡がる。
第二幕
かなり不器用でギクシャクした開始で第二幕が始まる。「ばらの騎士」のテーマが効果的に使用され、結婚への期待で胸が張り裂けそうになるゾフィーの父ファニナル、マリアンネ、執事の歌に続き、ゾフィーの真摯な結婚への期待が歌われる。
クナの伴奏は見事で、聞き物はヒルデ・ギューテンのゾフィーの清楚な歌声である。マリアンネの騒ぎ、焦る様子と対のような透明なゾフィーの歌声、執事の重々しい歌声など、性格描写が実にしっかりしている。
追い込むような管弦楽、召使い達のざわめきから、「銀のばら」の使者であるオクタヴィアン到着のワクワクするような情景が見事に描かれる。ティンパニーのドコドコという音の効果が面白い。クナの音楽の盛り上げ方は、それほど作為を持っていないように聞こえて、かなりの大迫力で盛り上がる。細かな木管楽器の動きの美しく質朴なこと!クナの木管楽器への要求が、見事に結実していることが分かる。
やがて、オクタヴィアンが登場、不器用に口上を述べる。夢を見るような美しい瞬間である。ギューテンの歌声がことのほか素晴らしく、その歓びの感情が自然に伝わってくる。その歓びの表情を見せるゾフィーに、オクタヴィアンは心を奪われる。ゾフィーとオクタヴィアンの歌が、バラバラのようでいて見事に溶け合い、若いふたりを祝福するような恋の生まれる瞬間が音楽になる。ギューテン、ユリナッチ、管弦楽の演奏がそれぞれ自己を主張しながら、しっかりと結ばれてゆく。ギューテンの夢を見ているような歌声と、幻想的な管弦楽が素晴らしい。クナの即興的な演奏の側面が、一瞬一瞬に新たな音楽を生み出してゆくかのようである。クナの1955年盤は、幸福でファンタジックなリヒャルト・シュトラウスの音楽が、今そこで自然に生成しているように聞こえる。
ゾフィーとオクタヴィアンの愉しい会話が続く。オクタヴィアンは自分が全部覚えていない洗礼名を、ゾフィーが本を読んですべて覚えていることや、「カンカン」というあだ名まで知っていることに驚き、更にゾフィーに惹かれてゆく。この辺りのホフマンスタールの台本は、日本語で読んでいても見事である。
ゾフィーは自身の結婚観を披露し、オクタヴィアンはますますゾフィーに惹かれてゆく。クナはここでも木管楽器とメロディの歌わせ方が独特で、実に美しい音楽を形作ってゆく。
ファニナルとオックス男爵が登場、オックス男爵はゾフィーをまるで買い取った馬のように愛で、ゾフィーは敏感に、この人は自分を愛して結婚するのではない、ただ財産を得て、自分を慰み者にしたいだけだという、オックス男爵の心象を理解する。ここでのオックス男爵はスケベで嫌らしくなければならないが、べーメのオックス男爵は貫禄充分に、若く美しいゾフィーをいたぶってゆく。
景気よく、オックス男爵の放埒振りが魅力的なワルツになる。オックス男爵にはもったいないようなワルツだが、実に魅力的だ。クナ得意のワルツが素晴らしい音楽として響く。
オックス男爵は結婚にための財産分与の相談のため、ファニナル、公証人、書記と退場、ふたりきりになって困惑するゾフィーをオクタヴィアンが慰めていると、オックス男爵の従者達がファニナル家の女性の召使い達に狼藉を働き、大騒ぎになる。
ゾフィーとオクタヴィアンは愛を誓い、音楽はプラトニックな官能を奏でるが、オックス男爵の音楽と対をなすような清らかな響きで盛り上がる。
そこへ、ゴシップ屋のヴァルツァッキとアンニーナが登場、ふたりが仲良くしていることをオックス男爵に告げ口する。オックス男爵はオクタヴィアンを青二才となじり、オクタヴィアンは真正直にゾフィーが男爵を嫌っているとオックス男爵に迫るが、男爵はまったく取り合わない。オックス男爵はさらに自分の従僕を後ろに従え、オクタヴィアンの対抗するが、オクタヴィアンはひるまない。ついにオクタヴィアンは決闘を挑み、男爵も剣を抜く。ところが無様な男爵はあっという間にオクタヴィアンに腕を切られる。大袈裟に騒ぐオックス男爵。さらに火に油を注ぐように、ファニナル家の召使い達が大騒ぎを始め、管弦楽はその混乱を見事に描いてゆく。ファニナルもその騒動に驚き慌てる。
ゾフィーは男爵との結婚は嫌だと言い張り、ファニナルは修道院に入れてしまうぞ、と怒る。「ばらの騎士」は歌手の動作や仕草と密接に結びついた音楽なので、実際の舞台や映像がないと、なんでここでこんな音がするのか分からない場合もあるが、クナの音楽は重く、スケールを大きく第二幕の混乱を描いてゆく。飲み物を欲しがる男爵の背後で、まるで葬送行進曲のような重々しい行進曲が鳴り響くが、この音楽がなかなか素晴らしかったりする。管弦楽は悪漢オックス男爵に対し、より魅力的だ。オックス男爵は差し出された酒を飲み、徐々に酔っぱらってゆく様が、管弦楽、べーメによって見事に音化されてゆく。そのオクタヴィアンに対する怒りが爆発するが、もの凄い迫力である。
やがて、更に酔っぱらい、ベッドの用意を医者に頼むと、アンニーナが手紙を持って男爵に差し出す。オクタヴィアンがマリアンデルに化けて男爵に出した手紙だった。
オックス男爵のご機嫌になる様子が、ワルツのメロディに乗って愉しげに演奏される。チップをせがむアンニーナもなんのその、オックス男爵は美しいワルツのメロディに乗って、その期待をどこまでも膨らませてゆく。よく聞くと、ワルツのヴィヴラートがいびつで、クナとオーケストラはそのワルツがまがい物であることを知らせてくれているかのようだ。とにかく、オックス男爵の夢を見ているような音楽で第二幕は終わる。ベーメのスケベったらしい笑い声が面白い。聴衆はヤンヤの喝采を送っている。
第三幕
動きがあり、ひじょうに愉しい前奏曲である。質朴な木管楽器と渦を巻くような弦楽器の対比が見事で、終幕への期待が膨らむ。
舞台は安物の食堂兼宿屋。オクタヴィアンの味方になったアンニーナは不気味な未亡人のメイクをし、ヴァルツィッキは怪しげな男達にこれから起こるイベントを仕込んでゆく。オクタヴィアンの心付けでヴァルツァッキとアンニーナは動いている。金の力で、オクタヴィアンに加担するようになったのだ。
やがて、舞台裏からダンス音楽が聞こえ、オックス男爵が食堂に入ってくる。オックス男爵はろうそくが明るすぎるとひとつひとつ消し始め、音楽も邪魔だという。給仕達も邪魔だという。オックス男爵は淫靡な目的のためにここで食事をするのであり、余計な飾りは要らない。ところが、その飾りや音楽はオクタヴィアンの策略でもあるのだ。
マリアンデルに化けたオクタヴィアンは、「いやいや」と駄々をこねる真似をしたり、巨大なダブルベッドを見つけて驚いた振りをする。
マリアンデルを座らせ、オックス男爵は食事を摂りながら口説きにかかろうとする。男爵はマリアンデルの顔がオクタヴィアンにそっくりなことに気が付くが、マリアンデルに扮したオクタヴィアンは取り合わない。イベントの出を間違えた怪しげな男が床から顔を覗かせたりして、オックス男爵は少し不安になるが、外からオックス男爵のワルツが聞こえてきて、男爵は上機嫌になって行く。
上機嫌な男爵とは逆に、マリアンデルは悲しみに沈んでゆき、男爵を困惑させる。「人間誰でも死ぬ」と悲しんだ風を装うマリアンデルに、男爵は「酒を飲ませすぎた」とグラスをマリエンデルの前から遠ざける。
愉しげなワルツが響き、「蒸し暑い」と男爵がカツラを脱ぐと見事な禿頭が現れる。マリアンデルを介抱しようとすると、壁や鏡から不気味な顔が覗き、男爵は錯乱する。さらに、不気味な寡婦に扮したアンナーナが登場、男爵を「私の夫だ」と指さす。ベートーヴェンの交響曲第5番のモットーが鳴り響く。食事の続きをしようとする男爵だが、周りは男爵を平和な状態に置かない。四人の男爵の子供が現れ、「パパー、パパー」と男爵にまとわりつく。そこに、ヴァルツァッキが店の主人と、重婚罪は重罪だ、風紀警察が許さないと、言う。かなり混乱した場面で、舞台や映像を見ているとかなり面白い。音だけでは、なかなかその面白さは伝わってこない。
すると、本当に警察がやってくる。警察はカツラを着けていない男爵が本当に貴族なのかどうか分からない。マリアンデルに化けたオクタヴィアンは「身投げをする」などと言いだし、混乱に更に拍車をかける。警察は若い娘と何をしていたのか?と男爵に問いただすと、私は保護しているだけだ、これは婚約者だとうそを付く。リヒャルト・シュトラウスのオペラは、モーツァルトの畳み込むようなオペラの面白さはあまり感じないが、その性格描写や情景描写は大変優れている。細かなフレーズの意味を書いてゆくと一冊の本が出来そうなくらいに微に入っている。クナは、その細部を徹底してあからさまに再現してゆく。舞台と管弦楽が、一緒になってオペラを作り上げてゆくスリリングな瞬間を体験できる。
オクタヴィアンの策略で、ファニナルとゾフィーも食堂兼宿屋に到着、男爵のスキャンダルにファニナルは気を失ってしまう。男爵は帰ろうとするが、警部に引き留められる。オクタヴィアンは警部に耳打ちする。男爵が焦っていると、主人は元帥夫人の到着を告げる。驚くオクタヴィアン、逆に男爵は自分の身分が保障されると喜ぶ。
父親の介抱をしていたゾフィーは結婚のご破算を男爵に告げる。元帥夫人は、貴族の品格を持って引き下がるように男爵に諭すが、男爵は引き下がらない。元帥夫人はすべて茶番劇だったと、元元帥の部下であった警部に言う。
真相を元帥夫人とオクタヴィアンに聞かされても、男爵はまだ釈然としないながらも、自分がはめられたことに気が付く。元帥夫人の「これでもう終わり」という言葉に葬送行進曲が被り、徐々に音楽は暗く沈んでゆく。
が、景気よく帰ろうとする男爵に、集金をしようとする人々や偽の子供達が押し寄せる。男爵の愉しげなワルツが大袈裟に鳴る中、男爵は逃げ去る。男爵が燭台を持ち、辺りに振り回すドン・ジョバンニの地獄落ちのような演出もあったっけ。
親密そうな元帥夫人とオクタヴィアンを見て、ゾフィーは自分はオクタヴィアンとは関係がない人間だったと思うが、元帥夫人の腹はもう決まっている。寂しさを隠しながらオクタヴィアンとゾフィーを結びつけ、「ばらの騎士」は寂しげな大団円を迎える。
クナが「ばらの騎士」のリハーサルをしようとしなかった理由がよく分かる。オーケストラが優秀で楽曲に慣れ、歌手陣も信頼できればテンポを与えるだけで演奏は可能なのだ。さらにオペラに緊張感と親密感が生まれる。クナはこの緊張感と、よりメロディの流れを重視した歌に充ちた演奏を好んだようだ。「タンタカタン」と縦に合わせた演奏よりも、演奏者の自発性と、そこから生まれる失敗をも含めた即興性を愛したようだ。
むろん、すべての楽曲でクナはリハーサルをしなかったわけではない。バイロイトのリハーサル映像や、ミュンヘン・フィルとのブルックナー:交響曲第8番のリハーサル録音も残っている。
ただ、ウィーン国立歌劇場での「ばらの騎士」という、演奏者の誰もがスペシャリストである楽曲から、新鮮な感興を音楽にもたらしたかったのではないか、と考えることが出来る。
クナによるリヒャルト・シュトラウスのオペラ全曲録音は、その演奏記録の多さにもかかわらず、この1955年の「ばらの騎士」とバイエルン州立歌劇場での1957年「ばらの騎士」だけが現在聞くことの出来る録音だ。
1955年盤でのオペラ終盤の元帥夫人、オクタヴィアン、ゾフィーの3重唱は宗教的法悦感にまで高められたゆったりとした愛情に充ちた音楽が聞ける。
オットー・シュトラッサー「栄光のウィーン・フィル」に、1955年再建成ったウィーン国立歌劇場のこけら落とし公演は、あまり芳しいできではなかったが、クナの「ばらの騎士」がそのハイライトであったと書いている。その通りの延々と続く熱狂的な拍手と歓声がGolden Melodram盤、RCA盤とも収録されている。

