クナを聞く 第177回
リヒャルト・シュトラウス:「ばらの騎士」
1957/9/3 Bayerischen Staatsoper

Die Feldmarschallin,Fürstin Werdenberg...Marianne Schech
Der Baron Ochs auf Lerchenau...Otto Edelmann
Octavian,genannt Quinquin...Hertha Töpper
Herr von Faninal...Albrecht Peter
Sophie...seine Tochter....Erika Köth
Jungfer Marianne Leitmetzerin...Liesl Kadera
Valzacchi,ein Intrigant...Paul Kuën
Anininamseine Begleiterin...Ina Gerhein
Choir und Orchester der Bayerischen Staatsoper
(rec.1957/9/3 L)
Golden Melodram/GM 3.0058(Criatia)3CDs
Golden MelodramのCDには、自社音質表が付いていて、Distortion=3、Sound=3でそれほど高い評価はしていない。これはかなり正直な数字だ。ハイファイとはお世辞にも言えない音だ。
LPとCDを聞き比べると、LPの方が音の分離がよく、幾分聞きやすい。ただ、LPが目の覚めるような音かというと、それはそうではなく「それなり」だが(^^;。CDよりもグッと落ち着いた音である。ただ、強奏ではLPの音は辛くなる。RR-482では1957年3月3日録音となっているが、これはデータの間違いだろう。
第一幕
クナがオケピットに現れ、聴衆の盛大な拍手と足を踏みならしているところに演奏が始まる。いい音とは言いにくいが、オーケストラの音は予想以上によく録れている。何より、ウィーン国立歌劇場でのライヴ録音とは違い、オーケストラは元気いっぱい、思い切った音で演奏しているのが分かる。押し出しのいい音というのか、音が全面に出てくるのだ。
そして、そのテンポの良さ。前奏曲中盤の甘い旋律が夢を見ているように響く。やがて、朝を告げる鳥の啼き声に乗って元帥夫人の歌が始まる。マリアンネ・シェヒの歌声は貫禄充分で、シュワルツコップやライニングとはまた違った趣での元帥夫人が聞ける。実は、小生シェヒの元帥夫人が一番しっくりと聞くことが出来る。何より、そのヴィヴラートのコントロールが安心して聞ける。CDの音はフォルテで割れるようなところはあるが、なかなか健闘している。
ヘルタ・テッパーのオクタヴィアンもなかなか思い切った歌声が聞け、その余裕のある歌声は立派である。
そして何より管弦楽!木管楽器の楽しさ、弦楽器の甘やかさ、そしてその即興性の素晴らしさなど、ウィーン国立歌劇場管弦楽団とはまた違った味ながら、リヒャルト・シュトラウスのオペラには、この音の方が相応しいのかな?などと感じてしまう。ウィーン国立歌劇場管弦楽団の音よりも更にローカルで、楽団員が楽しみながら演奏しているのが分かる。
途中で挟まれるモーツァルトの音楽を模したような音楽の鄙びていて素敵なこと。その音楽が元帥夫人とオクタヴィアンの交歓の言葉に変わってゆくのだが、ユーモラスで実に味のある第一幕になっている。背後で鳴っている鈴の音もまた楽しい。
遠くから、オックス男爵の声が聞こえ、音楽は緊迫してゆく。音だけ聞いていても元帥夫人の慌てぶりとオクタヴィアンのコケティッシュなふざけぶりが分かって面白い。クナのこのバイエルン州立歌劇場盤で聞かせるテンポはまさにつぼにはまっている。結構早いテンポで、グイグイとオペラの面白さを描き出してゆく。大きな物音でやってきたのがオックス男爵だと分かった元帥夫人の安堵の具合とか、オクタヴィアンのふざけた小間使い振りなど、そしてオックス男爵の登場場面など、「ばらの騎士」が楽しさを先ず念頭に書かれたオペラであると言うことが手に取るように分かる。
オットー・エーデルマンのオックス男爵は、ウィーン国立歌劇場盤のクルト・ベーメよりも軽い声質だ。ベーメやグラインドルのオックス男爵に比べると、その喜劇的な人物像がよりよく出ている。しかも、貴族の高貴さと猥雑さを両方とも聞かせてくれる。小生の趣味としては重い声のオックス男爵の方が好きだが、エーデルマンのオックス男爵もなかなか面白い。エーデルマンの巧みな歌が、重みの少ない声質を補って、オックス男爵の別の一面をしっかりと聞かせてくれる。
オックス男爵の登場からも、その管弦楽の素晴らしさは特筆できる!背後で伏線のようにオックス男爵のワルツが聞こえるのだが、実に美しい。
恐らく、クナはあまりリハーサルをしなかったものと思われるが、楽曲が手の内に入っているオーケストラの自発的な響きを効果的に引き出している。さらにそのテンポの良さ。クナのテンポはここでは決して遅くはなく、むしろ早い。その上で、綾をなすようなリヒャルト・シュトラウスの管弦楽が極めて効果的に面白く聞ける。「ドン・ファン」の動機があちこちで高らかに鳴り、オックス男爵の底地を見せるような下品な金管楽器も聞き物である。さらにクナはアンサンブルを必要以上に整える気はないようで、元帥夫人、オクタヴィアン、オックス男爵の三重唱の混乱ぶりは、ピタッとあった演奏よりもこの方が面白い。元帥夫人のシェヒは、オペラをそう多くは聞いていない小生には聞いたことがない歌手だが、その安定した歌いっぷりは安心して聞いていられる。
退場するオクタヴィアンと交替に、公証人や料理人たちと一緒に、3人の孤児、帽子屋、動物商、学者、ゴシップ屋のヴァルツァッキ、美容師たち、テノール歌手が賑やかに登場、舞台の混沌ぶりと各歌手の個性がバイエルン州立歌劇場盤ではより際立っている。3人の孤児の歌も面白い。その背後の心象までが分かるような歌声である。
テノール歌手がたっぷりと甘い歌声を披露する前、フルートが優しく美しく鳥の啼き声を模倣する辺りでかなり長時間航空機の爆音が聞こえるのも、ライヴならではの面白さだ(^^;。テノール歌手は声を張り上げすぎで、ウィーン国立歌劇場盤のような切なくなるような甘さには乏しい。まあ、劇中の名もない歌手による歌だもの、寛容できるレヴェルか。
ヴァルツァッキをパウル・クーエン、アンニーナをイーナ・ゲルハインが歌う。イーナ・ゲルハインはなかなかの役者巧者ぶりでうまい。バイエルン州立歌劇場盤は巧みな歌手が揃い、聞き応えのある「ばらの騎士」である。
明るい混沌が収まった後、元帥夫人の老いることへの嘆きと寂しさ、それを若者らしく強く否定し慰めるオクタヴィアンなど、シェヒ、テッパーとも分かり易く、しっかりとその背後の心象風景を明らかにする。クナの沈み込むような管弦楽も、元帥夫人の寂寥感をリアリティのあるものにしている。やがて、悲しい気持ちで元帥夫人の元を去らねばならないオクタヴィアン、明るく運命を受け入れようと諦観を語る元帥夫人の心情は凄みを持って迫ってくる。
多分、ホフマンスタールとリヒャルト・シュトラウスの「ばらの騎士」での主題は第一幕に集約されている。第2幕と第3幕は、その第一幕を成就するために辻褄を合わせるストーリーだと理解できなくはない。残酷に進行する時計の音を模したハープが印象的だ。過ぎ去りつつある「現在」の時間は誰にも止めることはできない。オクタヴィアンはその時間の経過に逆らうが、それは迫り来る加齢を実感できないからである。元帥夫人は、その時間の流れは誰にも止められないことを知っていて、お互いの関係を軽いものにしなければならないと哀しみの中にも達観している。
おもろうて、やがて悲しき「ばらの騎士」第一幕である。クナとオーケストラの寂寥感の表出、歌手たちの見事な歌が、「ばらの騎士」という華麗で面白いオペラの反面をしっかりと聞かせてくれる…もっとも、リヒャルト・シュトラウスの創り出す音楽は、どこまでも表面を滑ってゆくようであるが。
オクタヴィアンに「銀のバラ」を召使いの少年に届けるように言い渡す背後の「銀のバラ」の主題が美しく余韻を残しながら第一幕は終わる。
名演の第一幕だった。
第二幕
ドタドタした響き(これはリヒャルト・シュトラウスの意図したものだ)から、魅力的な「銀のバラ」の主題が聞こえ、期待と興奮に充ちたファニナル、マリアンネ、執事の声が聞こえる。背景の「銀のバラ」の動機と、堰を切るような管弦楽が見事である。
そこへ、清純なゾフィーの歌声が聞こえる。ファニナルをアルブレヒト・ペーター、ゾフィーをエリカ・ケートが歌う。マリアンネの乳母ぶりも大変面白い。リースル・カデラという歌手であるが名前の読み方に自信がない。エリカ・ケートの夢見る若い女性の表現として、その若々しく甘ったれた歌声は見事である。
やがて、勇ましい音楽に乗り、オクタヴィアンが登場、夢を見ているような幻想的な音楽を背景に「ばらの騎士」の口上を歌う。ヘルタ・テッパーのオクタヴィアンはなかなか素晴らしい。エリカ・ケートの舌っ足らずのような可憐な歌声と見事な対比をなしている。CDの音質はそれほど良くないのが残念だが、極めて美しい「ばらの騎士」第二幕の冒頭である。オーケストラの細かな破綻も何のその、クナはこの夢を見るような美しい場面の音楽を、優しく描いてゆく。オクタヴィアンとゾフィーのかみ合わない二重唱も立派である。徐々にゾフィーに心を奪われてゆくオクタヴィアンの心の動きを、見事なまでに再現している。クナの魔術的な指揮、その悠然とした進行に乗ったテッパー、ケートとも素晴らしい。夢なら覚めないで欲しい美しく優しい瞬間が流れてゆく。
ゾフィーの語るオクタヴィアンについて知っていることの場面も素晴らしい。ケートの更にコケティッシュな歌声と、テッパーのゾフィーの博識に驚く様子は、青春時代の甘酸っぱい想いが詰まっているかのようである。好悪はあるかも知れないが、ケートによるゾフィーの歌声を聞いているだけで、その夢を見ているような汚れのない不思議な歌声をきいているだけで、幸福な時間を過ごすことができる。出色のゾフィーである。
オックス男爵の登場。エーデルマンの歌声はその声質の軽さに不満は残るが、役作りの上では立派だ。男爵、ゾフィーの絡む歌声では、ふたりとも軽い声質のため、オペラが少し浮き上がるかのようである。その感覚もまた悪くはない。マリアンネの歌手の演技がより見事で、場面にユーモアを感じさせる。ファニナルのアルブレヒト・ペーターの方がエーデルマンよりも声質では重いか。
第二幕が進むと、男爵の傲岸ぶりが際立ち始める。貴族であるオックス男爵の淫蕩ぶりをエーデルマンはいやらしく歌ってゆく。貴族や大金持ちは、高貴であるが故にその猥雑ぶりは常人より抜きんでているのだ。
ゾフィーの怒りっぷりも可愛らしい。ご機嫌のオックス男爵が歌うワルツの楽しさと淫靡な美しさはかなりのものである。クナとオーケストラによる特徴のあるヴァイオリン群の歌い方がオペラの面白さを倍加する。
オクタヴィアンは男爵の非礼に腹を立て、男爵の男の召使い達がファニナル家の女の召使いに狼藉を働く。どこか本当に困っている風ではなく、ドタバタとした喜劇的な様相だ。そのドタバタから、オクタヴィアンとゾフィーの恋心が発展してゆく場面、ここでも第二幕冒頭のテッパーとケートの声の対比とオーケストラの各動機が見事に調和し、その恋情が舞い上がってゆくような歓びを奏でてゆく。
そこへ、ヴァルツァッキとアンニーナが登場、ヴァルツァッキのパウル・クーエンはワーグナーの楽劇のようにはあまり目立たない。
ヴァルツァッキとアンニーナの叫びに男爵が登場、オクタヴィアンをなじる。エーデルマンは貫禄に乏しく少し残念だが、テッパーのオクタヴィアンの激してゆく様子は名演技である。激したオクタヴィアンは決闘をオックス男爵に挑み、その腕を傷つける。大袈裟な音楽、喚く男爵、騒ぐ男爵の召使い達の合唱はバイエルン州立歌劇場盤の響きは、どこかおっとりしている。それでも場面は混乱し、男爵のうめき、ゾフィーの叫び、アンニーナのオクタヴィアンをなじる声などが入り交じる。
ファニナルのアルブレヒト・ペーターの驚きと、ゾフィーに対する怒り、男爵を気にかける様子は面白い。ケートの声とファニナルの声も見事に対比できる。「修道院に入れてしまうぞ!」というファニナルの怒り、さらに男爵の怒りと葬送行進曲を暗示する音楽は実に面白い。リヒャルト・シュトラウスの管弦楽の巧みさが見事だ。
怒り狂っている男爵だが、酒が入り段々とご機嫌になって行く。美しいワルツが下品な男爵との対比を、見事に演出する。クナのワルツの美しさとそのテンポの良さは素敵だ。そこへアンニーナがオクタヴィアンの計略の手紙を持ってくる。
すでにオクタヴィアンの味方になっているアンニーナは男爵の心をそそるように、元帥夫人の召使いマリアンデルの手紙を読み、男爵はワルツに乗って有頂天になって行く。ワルツが高揚し、男爵の気持ちを表現してゆく。「わしと一緒なら、夜も嬉しい」という言葉を何回も繰り返しながらワルツが上機嫌で盛り上がり、男爵のげひた声で第二幕は終わる。
第三幕
聴衆の歓呼が収まらないうちに第三幕は始まる。オクタヴィアンの計略を準備する前奏曲はウキウキと楽しい。これから始まる物語をザワザワした雰囲気の中で聞くことができる。
ワルツが背後で奏でられるが、クナのワルツは本当に楽しい。食堂兼宿屋の主人や給仕達、オックス男爵のやりとりは音楽のパースペクティヴが生きていて、臨場感がある。
マリアンデルに化けたオクタヴィアンの"Nein,Nein"から第三幕は本格的に始まる。テッパーはかなりしっかりとした歌を聞かせてくれる。オックス男爵とオクタヴィアンの背後で聞こえる管弦楽はオペラの楽しさを満喫させてくれる。しっかりとメリハリを効かせながらも、リズムは時に曖昧になり、雄弁に場面を描いてゆく。そのコラージュのような管弦楽は音があまり良くないことが幸いしているのか、歌手の声に負けない音でその動きを聞くことが出来る。ハイファイだったら、きれいすぎてこれだけしっかりとは聞こえてこないことも多い。クナの指揮は魔術的である。
その動きに乗ってオックス男爵の淫靡な企みや、オクタヴィアンのマリアンデルに扮したコケティッシュな魅力が余すところなく音化されてゆく。オックス男爵のワルツも楽しい。
マリアンデルに扮したオクタヴィアンが酒を飲んで泣く場面のテッパーの演技と歌唱は素晴らしい。それに対するオックス男爵は声だけを聞いていると幾分若々しい雰囲気。
カツラを脱いだ禿頭のオックス男爵をからかうようないくつもの禿頭が床や壁から幾つも現れ、オックス男爵に捨てられた哀れな女を演じるアンニーナが不気味に登場、オックス男爵の子供だと称する子供達が現れ、オペラは喜劇的な混沌へと入ってゆく。
背後の管弦楽はよく聞くと、けっこうシリアスな部分も含んでいる。ベートーヴェンの「運命」のモットーがそれらしく鳴り、リヒャルト・シュトラウスの管弦楽法が面白く聞ける。
どんちゃん騒ぎの中、宿屋の主人、ヴァルツァッキに「重婚は罪だ」と驚かされているところに巡回中の警察が登場、さらにファニナルが登場して場面は錯綜する。
Golden Melodram盤は音がそれほどよくないという反面、AMラジオで聞いているような臨場感があり、クナの音楽作りと相まってあれよあれよと面白い場面をしっかりと聞くことが出来る。
元帥夫人が登場、物語と音楽は収束するように落ち着き先を得る。騙されたと知ったオックス男爵と仮面劇の終わりを告げる元帥夫人の落ち着いた悲しい響き。請求書を突きつけられ、ドタバタのうちに退場するオックス男爵は実に迫力があり、やけくそのようなワルツが楽しい。
オックス男爵が退場して、元帥夫人、オクタヴィアン、ゾフィーの絡み合う三重唱とワルツは、リヒャルト・シュトラウスの天才としての作曲能力と3人の歌手による声質に違いにより、実に魅惑的だ。歌手たちの実力は相当に高い。しっかりと各役どころの性格が出ている。シェヒの元帥夫人は是非目で見たかった。この人の元帥夫人は本当に魅力的だ。エリカ・ケートは、後年バイエルン州立歌劇場でのクナのエピソードを語ったテレビ・インタビューがあるが、陽気な面白い人であったことがその歌声の明るい美しさからも分かる。きっと、クナに愛された歌手なのだろう。終盤の三重唱の美しさはある種の法悦感を伴い、極めて美しい天上世界のような響きを聞くことが出来る。管弦楽の盛り上がり方も素晴らしい。酔うような音楽が連なってゆき、クライマックスを迎える。その感動的なこと!
オペラは、元帥夫人の諦観、オクタヴィアンとゾフィーの恋愛の成就という背反する心理描写の中で、オクタヴィアンとゾフィーの幸福感がうち勝ち、第二幕の「ばらの騎士」登場の音楽が夢のように静かに鳴り、最後のコケットな場面で終結する。
足を踏みならして拍手をする聴衆の様子が、ほんの少し収録されている。
クナ1957年のバイエルン州立歌劇場盤「ばらの騎士」は、現在聞けるGolden Melodram盤の音の悪さからあまり一般的とは言えないが、「ばらの騎士」の録音としては独特の位置を確保している。これで音がよかったら、「ばらの騎士」のベスト録音のひとつだろう。音は悪いが、クナファンは是非盤で聞くべき「ばらの騎士」である。

Doscocorp/RR-482(USA)3LPs