1953年 バイロイトと決別する

1953年
 1月6日 ミュンヘン、ドイツ博物館コングレス・ザールでミュンヘン・フィルの特別演奏会(「公顕の日コンサート」)。ブルックナー/交響曲第8番
 1月10日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、リヒャルト・シュトラウス/「ばらの騎士」
 1月17日、18日 ムジークフェライン・ザールでウィーン・フィルの予約演奏会。ワーグナー/「ジークフリート牧歌」、ザルムホーファー/ヴァイオリン協奏曲(初演)(vn:ウィリー・ボスコフスキー)、シューマン/交響曲第4番
 1月19日 ムジークフェライン・ザールでウィーン・フィルの新年舞踏会。ヨハン・シュトラウス2世/「こうもり」序曲
 1月25日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、ワーグナー/「さまよえるオランダ人」
 2月13日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、ワーグナー没後70年ワーグナー/「トリスタンとイゾルデ」
 2月25日、26日 ミュンヘン大学大講堂でミュンヘン・フィルの予約演奏会。ワーグナー/「ジークフリート牧歌」、シューマン/チェロ協奏曲(vc:ピエール・フルニエ)、シューベルト/交響曲第8番 D.944
 3月1日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、ワーグナー/「さまよえるオランダ人」
 3月4日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、ヴィーラント・ワーグナーによる新演出グルック/「オルフェウスとエウリディーチェ」
 3月5日 ソヴィエトのヨシフ・スターリン死去。
 3月11日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、グルック/「オルフェウスとエウリディーチェ」
 クナッパーツブッシュはこのとき、ヴィーラントのバイロイトと本当に決別しようと考えたのかも知れない。「オルフェオとエウリディーチェ」という古典的なオペラで、ヴィーラントはバイロイト張りの「何もない」舞台を現出させ、クナッパーツブッシュを幻滅させたことも考えられる。事実、バイエル州立歌劇場でオペラの新演出が行われたあとは、何回も再演されるのが普通なのに、クナッパーツブッシュは「オルフェオとエウリディーチェ」をこのときにしか振っていないからだ。

3月12日 クナッパーツブッシュは65歳になった。

3月28日から4月9日 ナポリに客演。ワーグナー/「ニーベルングの指環」チクルス
 ブリュンヒルデを初めて歌ったマルタ・メードルとの逸話が残っている。
「1953年、クナッパーツブッシュがナポリで『指環』を指揮したとき、マルタ・メードルは初めてブリュンヒルデを歌った。上演の始まる前日、クナーはメードルと町中に散歩に出た。当時若かったこの歌手は、ブリュンヒルデの役作りで重要なことは何か聞き出そうとした。彼女がこの難しいパートを初めて舞台で歌うことを、クナーはもう承知していたからである。しかし彼は問いにはまともには答えず、指揮台からの導きに委ねれば全てはうまく行くと言うだけだった。
 二人の行く手に大きな水溜まりが見えたとき、メードルはまた控えめにクナーに問うたので、彼はステッキで水溜まりの方を指して言った。『ご覧なさい。あそこでグラーネがおしっこをしたんですな!』
 これが彼の答えだった!
 何年も経って、世界的に有名になった「ブリュンヒルデ」は、賢く心理的に熟達したクナーが当時あえて彼女に何も言わなかった理由がわかった、と言う。デビューを前にした彼女に先入観を持たせたくなかったのだ」(アイトラー)。
 ただこの話には異説があり、クラシックジャーナル第23号で吉田真氏が紹介されている。
「メードルはクナッパーツブッシュから具体的なアドバイスを得ようとしたが、彼はなかなか答えてくれない。その劇場(ナポリ サン・カルロ劇場)の中には猫がたくさん棲んでいて、そこら中に小便の跡があったのだが、その一つを指してクナーは彼女に言った。『あれはグラーネ(ブリュンヒルデの馬)のおしっこだな…』。それが彼との稽古のすべてだったとメードルは語っている」。

 このナポリ遠征にはもうひとつアイトラーの逸話が残っている。
「クナーは1953年の春、『指環』のツィクルスを指揮するためにナポリに向かった。彼に同行したのはフランツ・リストの曾孫であるギルベルト・グラヴィーナ伯爵である。グラヴィーナは、イタリアとの関係が深いおかげで、この南国の言葉に完璧に通じていたからだった。ところで、列車がミュンヘン中央駅を出発してまもなく、クナーは伯爵に最初の質問をした。『イタリア語で”クソったれ”はなんて言うんです?』」(アイトラー)

 4月13日 ヴィーラントはクナッパーツブッシュから手紙を受け取る。

 クナッパーツブッシュはついにバイロイトのヴィーラントにあてて、その年のバイロイトへの出演の承諾を取り消す手紙を出した。よほど、ヴィーラントの演出にクナッパーツブッシュは鬱積していたのだろう。この年、クナッパーツブッシュはバイロイトで「パルジファル」と「ニーベルングの指環」2回のチクルスを振る予定だった。ヴィーラントは考えを翻すよう説得したが、うまく行かなかった。

 4月14日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、ワーグナー/「ラインの黄金」
 4月15日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、ワーグナー/「ワルキューレ」
 4月17日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、ワーグナー/「ジークフリート」
 4月19日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、ワーグナー/「神々の黄昏」
 4月25日 ムジークフェライン・ザールでウィーン・フィルの予約演奏会。ベートーヴェン/交響曲第2番 、チャイコフスキー/交響曲第6番「悲愴」。ベートーヴェン/交響曲第2番の録音が残っている。

 5月1日 ヴィーラントはクナッパーツブッシュを慰留していたが、結局クナッパーツブッシュからの電報を受け取る。
「親愛なるヴィーラントよ、私としては、別れは一時的なものにとどまってほしいし、厳しくうけとめないでほしいと思っている。私が去ることを承認してくれうよう、切にお願いする。リヒャルト・ヴァーグナーの精神が祝祭劇場に戻ってきた暁には、私はまっさきに戻ってくるでしょう」
 ヴィーラントは面識のあったクレメンス・クラウスに連絡、その年のクナッパーツブッシュのプログラムを引き受けてくれるよう依頼する。すでにクナッパーツブッシュが出演を拒否したときのことは、ヴィーラントにはある程度覚悟が出来ていたのかも知れない。
 クラウスはクナッパーツブッシュの代演を承諾し、 1953年のバイロイトは、「パルジファル」をクラウス、「ニーベルングの指環」第1、第2チクルスをクラウスとカイルベルトが分け合い、「ローエングリン」をカイルベルト、「トリスタンとイゾルデ」をバイロイト初登場のオイゲン・ヨッフムが担当することになった。(「クナッパーツブッシュ 音楽と政治」)。

 5月4日 ハイドン:交響曲第88番、ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」 ミュンヘン アカデミーコンサート(from Mr.野村)

 5月6日、7日 ウィーン・フィルとのDECCAスタジオ録音。

 5月8日 ケルン放送交響楽団に客演。ワーグナー/「ジークフリート牧歌」、ブラームス/交響曲第4番。録音が残っている。

 この「ジークフリート牧歌」の録音はライヴではなく、放送用録音である。なお、「ジークフリート牧歌」は7日の録音となっている資料が多いが、7日はウィーン・フィルとのスタジオ録音があり、すぐに移動して録音とは少し考えにくい(あり得るが)。なお、Huntでは7-8日となっている。

5月15日 エッセン市立管弦楽団 ブラームス/悲劇的序曲、ピアノ協奏曲第1番(p:エリク・テン=ベルク)、交響曲第3番(Thanks 野村さん)

 5月22日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、ワーグナー/「ワルキューレ」
 5月24日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、リヒャルト・シュトラウス/「ばらの騎士」
 6月7日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、ワーグナー/「さまよえるオランダ人」

 6月16日 東ドイツで重工業偏重の産業、農業の集団化、ノルマの増大に対して民衆の不満が爆発、大規模なストライキが発生する。翌17日、民衆蜂起。
 しかし、民衆蜂起は鎮圧される。
 そのような産業の偏重とノルマに対して不満を持つ市民が多く、東ドイツから西ドイツへの逃亡者の増大を招いていた。

 7月23日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)でミュンヘン・オペラ祭。ワーグナー/「ニュルンベルクのマイスタージンガー」

 7月27日 板門店で北朝鮮、中華人民共和国両軍と国連軍の間で休戦協定が結ばれる。3年間続いた戦争は一時の終結をしたが、現在も実は停戦中のままである。東西ドイツの分割と共に、朝鮮も北と南に国家が分かれ、大きな悲劇となり、現在も続いている。

 8月2日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)でミュンヘン・オペラ祭。ワーグナー/「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
 8月12日バイエルン州立歌劇(摂政劇場)でミュンヘン・オペラ祭。ワーグナー/「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
 この夏、クナッパーツブッシュは極端な暇をかこっている。バイロイトへの出演を拒否し、ザルツブルク音楽祭での予定もなかった。かろうじてミュンヘン・オペラ祭で「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を3回振っただけだった。ミュンヘン・オペラ祭への出演は、最初から予定されていたものか、クナッパーツブッシュがいきなり暇になったため、急遽指揮台に登ることになったのかについては分からない。

 9月29日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、リヒャルト・シュトラウス/「ばらの騎士」
 10月11日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、ワーグナー/「さまよえるオランダ人」
 10月17日、18日 パリ、エリゼ宮劇場でパリ音楽院管弦楽団とコンサート。ハイドン/交響曲第88番、ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第4番(p:ルドルフ・フィルクスニー)、ブラームス/交響曲第3番
 10月24日、25日 パリ、エリゼ宮劇場でパリ音楽院管弦楽団とコンサート。ワーグナー/「タンホイザー」序曲、ワーグナー/「ジークフリート牧歌」、バルトーク/ヴィオラ協奏曲(va:ウィリアム・プリムローズ)、シューマン/交響曲第4番
 10月29日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、ミュンヘン・オペラ300年祭芸術週間。リヒャルト・シュトラウス/「ばらの騎士」

 クナッパーツブッシュはイタリアに客演する。
 11月7日 ミラノ・スカラ座。ミラノ・スカラ座管弦楽団。リヒャルト・シュトラウス/「町人貴族」組曲、ワーグナー/「ヴェーゼンドンクの歌」、「神々の黄昏」より「ブリュンヒルデの自己犠牲」(sキルステン・フラグスタート)(第7回秋のシンフォニー・コンサート)
 11月8日 ミラノ・スカラ座。ミラノ・スカラ座管弦楽団。リヒャルト・シュトラウス/「町人貴族」組曲、ワーグナー/「ヴェーゼンドンクの歌」、「神々の黄昏」より「ブリュンヒルデの自己犠牲」(sキルステン・フラグスタート)
1. Carlo Gatti Il Teatro alla Scala nella storia e nell’arte (1778 – 1963). Cronologia completa degli spettacoli e dei concerti a cura di Giampiero Tintori. Ricordi 1964
2. www.teatroallascala.org
from Mr.George Zepos(2011/06/4)

 11月21日、22日 ムジークフェライン・ザールでウィーン・フィルの予約演奏会。モーツァルト/フルートとハープのための協奏曲 K.299 (297c)、フランツ・シュミット/交響曲第2番
 12月8日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、ワーグナー/「ラインの黄金」
 12月9日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、ワーグナー/「ワルキューレ」
 12月11日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、ワーグナー/「ジークフリート」
 12月13日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、ワーグナー/「神々の黄昏」
 12月16日、17日 ミュンヘン、ヘラクレス・ザールでミュンヘン・フィルの予約演奏会。ヴォルフ/イタリア風セレナード 、ザルムホーファー/ヴァイオリン協奏曲(vn:フリッツ・ゾンライトナー)、ベートーヴェン/交響曲第3番「エロイカ」

 12月27日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、ウェーバー/「魔弾の射手」
 12月30日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、ベートーヴェン/「フィデリオ」

この年のデータが不明の録音として、バイエルン州立歌劇場管弦楽団とのコーネリウス/「バグダッドの理髪師」序曲 が残っている。ただ、クナッパーツブッシュのレパートリーとしてはかなり珍しく、可能性としては1950年ウィーン・フィルとの演奏であることも考えられる。

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