カラヤン マーラー:交響曲第4番を聞く

カラヤンのマーラー、お次は交響曲第4番。
Rec:1979.1.22.-1.24、2.22.-2.24、ベルリン・フィルハーモニーでの録音。
カラヤンはコンサートで第4番をもっと取り上げていたのかな?と思ったら、このレコーディングの後に数回取り上げただけだった。
小生、この録音の印象があまりなく、どんなんだったっけ?状態だったが(あまり聞いてこなかったのね)、カラヤン盤は非常にファンタジーが豊かで、最後まで夢心地で聞いていられた。
第4楽章のエディト・マティスの歌唱も、大人の歌唱だが素敵だ。
ところで、第4番はありがたいことに、マーラーと親交のあった複数の指揮者が録音を残している。
ウィレム・メンゲルベルク、ブルーノ・ワルター、オットー・クレンペラーで、どれも聞く価値が高い。
特にウィレム・メンゲルベルクの1939年の演奏録音は古いながらも、必聴だと言える。
てな偉そうなことを書いてみたが、小生は最初からそれが分かっていたのか?というと、まったく分かっていなかったのだが。
第1楽章から大げさなテンポ変化、過度とも思える表情付けで、ものすごく古臭くて大時代的な演奏だと思っていた。
それが「え?!こんなにすごい演奏だったの?」と気付かされたのは、大昔に今はなきsyuzo.comでテンシュテットのページを作っていた時だったと記憶している(そのページはもう見ることはできないが)。
その時にスコアと首っ引きでいろいろな指揮者の演奏録音を聞いていたのだが、マーラー独特のト書きや、微に入り細に入りのテンポ変化、また強弱変化の指定を、これだけ忠実に演奏していたのは、メンゲルベルク盤だけだった。
そうなのだ、マーラーもメンゲルベルクも20世紀まで生きたとは言え、19世紀を大量に引きずった音楽家で、その音楽は表情が豊か過ぎるほどなのだ。
現代とはまるで違う。
映画もテレビも、ましてやインターネットもない時代、灯りも電気がないから夜は暗い時代、当時のヨーロッパ人の精神の在りようを想像してみればわかる。
現代の演奏は、機能的で当時よりもオーケストラの演奏水準は高く、演奏としては優秀なのだが、おしなべてその感情表現を蒸留してしまい、19世紀を引きずった演奏に比べて、無味乾燥さを売り物にしているともいえる。
19世紀の音楽を理解するなら、一度古臭い録音を聞いてみる必要はあると思うのだ。
音はどれもあまりよくないけど。
カラヤンも19世紀を引きずってはいるが、メンゲルベルクほどではない。
その演奏は意外にも、気持ちいいほどにファンタスティックで、カラヤンに連れられて気持ちの良い田園風景の中を散策しているような気分に浸れる。
スコアに忠実というより、これはカラヤンでこそ可能になったファンタジーの世界と言えるのかも知れない。
第4番の全編が、交響曲第3番第3楽章の音楽の延長だともいえる。
カラヤン盤は今回聞いて、小生、割と好きになった。
よかった。

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