クナを聞く 第146回
ヨハネス・ブラームス2−6 交響曲第3番
1956/11/4 Dresdener Staatskapelle
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King Seven Seas/KICC-2161(Japan)
Living Stage/LS 1014(Italy)2CDs
Living Stage/LS 4035180(Italy)2CDs
Tahra/TAH 303-304(France)2CDs
1956年11月4日の演目は、ブラームス:交響曲第3番とシューマン:交響曲第4番だった。シューマン:交響曲第4番もCD化されていて、クナを聞く 第30回で取りあげたことがある。
第2次大戦後、ドイツはアメリカ、イギリスなどの資本主義陣営、ソヴィエトなどによる共産主義陣営によって分割され、ドレスデンは東ドイツ(ドイツ民主共和国)に属し、ドイツ人であれ、おいそれとは入国できなかったようだ。ベルリンの壁が市民たちによって取り壊されるのが1989年、東西ドイツの統一は1990年だった。
東ドイツでのグローバル化が遅れたためか(グローバル化=幸福とは思えないが)、オーケストラもつい最近まで非常に特徴的な音色のオーケストラが多かった。シュターツカペレ・ドレスデンを筆頭に、ドレスデン・フィル、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、同じくライプツィヒの放送交響楽団、シュターツカペレ・ベルリン、ベルリン放送交響楽団など、実力を持つオーケストラも数多かった。その他、さまざまなオーケストラが存在していたようだが、東西ドイツ統一後、放送局の再編などもあり、名前が変わったりなくなってしまったオーケストラもあるようだ。
シュターツカペレ・ドレスデンはしっかりと生き残り、ドレスデン州立歌劇場の管弦楽団としても活躍している。本拠地ゼンパー・オーパーの佇まい(ゼンパーは歌劇場の設計者の名前。第2次大戦中爆撃によって瓦礫の山になったが、1985年に再建された)や、その独特の響きからファンは多い。
- Arkadia/GDCI 724-1
少しステレオプレゼンスがあり聞きやすい音だが、帯域自体はそれほど広くない。高域にクセがある。コンサートプレゼンスがあるのはいいが、少し箱庭的な印象。 - King Seven Seas/KICC-2161
Arkadia盤に比べると、ベールを剥がしたような音になっている。「Licensed by Music & Arts Programs of America,Inc」となっているので、ワルター協会からLPで出たものと同じようである。少し強奏でノイズが被るがかなり聞きやすい。 - Living Stage/LS 1014
2枚組CDだが、トラックの切り方が思いっきり変。1枚目にクレンペラーの交響曲第1番、クナの交響曲第2番の第3楽章まで、2枚目に交響曲第2番の第4楽章、交響曲第3番、悲劇的序曲が収録されている。ところが、音は大変素晴らしい。Living Stage盤はホント玉石混淆で困ってしまうが、この交響曲第3番はArkadia盤もKing Seven Seas盤も凌駕している優れた音。 - Living Stage/LS 4035180
Living Stageなのに、LS 1014とは比較にならない貧弱な音。音像は左に偏り、Arkadia盤をモノラルにして左に寄せたような感じ。同じ箇所からオーディエンスノイズの咳が聞こえるので同一録音で間違いがないが、なぜ同一レーベルから、これだけ音の異なるCDがリリースされるのか分からない。 - Tahra/TAH 303-304
Tahra盤はなかなかよい。大変聞きやすく、優れた復刻である。
困った。Tahra盤も大人しいながらも、かなり優れた音なのだ。小生何回も聞くことになるため、今回はTahra盤をリファレンスに選ぶが、Living Stage/LS 1014も交響曲第1番がクナの演奏ではないとは言え、購入してもまったく損はない。
第1楽章
いつものごとく、最初の2小節は物々しいが、オーケストラの音色の特性もあるのか、全体にクナの優しさがにじみ出るような第1楽章が聞ける。シュターツカペレ・ドレスデンはクナの指揮にしっかりと付いており、その湿ったような弦楽器の感触やくすんだような金管楽器や木管楽器の音色ともども、楽曲に合った素晴らしい演奏を繰り広げている。前の1950年のベルリン・フィルや1955年のウィーン・フィルとの演奏録音よりも、むしろシュターツカペレ・ドレスデンとの演奏録音の方がニュートラルに聞こえるか。クナのブラームス:交響曲第3番を聞きすぎて、耳が変になってしまったか(^^;。
ニュートラルと言ってもやはり最初から物々しく、恐るべき劇性を孕んだ巨大なスケールの演奏が展開する。3小節からの下降音型はテンポが引き伸ばされたように遅く、ブラームスの楽曲に内在する悲劇性をえぐり出して行く。その下降する音型が7小節から大波のように小刻みに上昇し、頂点に達するかのような動きは、まさにこの演奏の巨大さを充分に知らしめてくれる。すこぶる激情に富んだ第1楽章冒頭だ。
15小節からは、その悲劇性を慰撫するかのように優しく、しかも引きずるような情感を露わにする。23小節から、その優しさがより音楽に落ち着きを取り戻して行く。
31小節から、クナは音楽を更に引き留めるかのようにブレーキをかけてゆく。このゆったりとした音楽は夢を見ているかのようで、幸福な幻想を感じさせてくれる。33小節からの引き延ばし方も凄い。35小節のフルートとバスーンがさらにリタルダンドし、36小節からの舞踏曲のような落ち着いた音楽へと進んでゆく。この辺りはまるで名優の緩急を自在に使い分けたセリフ回しのようで、クナならではの音楽を聞くことができる。
36小節からはワルツが引き伸ばされたような、東欧風というかロマ風というかゆったりとした舞踏曲だ。47小節から、その舞踏曲に別の方向性を与えるような弦楽器のメロディが挿入されるが、シュターツカペレ・ドレスデンの弦楽器群の音色は実に美しい。音楽は浮沈を繰り返しながら盛り上がり、クナの演奏では70小節までの繰り返しは省略され、展開部に入ってゆく。
76小節から、36小節からの舞踏曲風のメロディが拡大して聞こえ、音楽は情熱を帯びてゆく。ここでかなり速度を速める指揮者もいるが、クナの速度は幾分アッチェランドがかかっているとは言え、かなり落ち着いた速度だ。そして、高揚する波のような音楽がスケール感豊かに演奏される。100小節で大きくフェルマータがかかり、101小節から、かなりテンポを落としてそれまでの動きに大きな落差をつける。音楽は、巨大な哀しさとでも表現すればいいのか、もの凄い沈み込みを見せる。112小節からの、なだらかな下降音型が繰り返し演奏される辺りの低弦域の静かだが凄みのある音は、この音楽に、さらに巨大さを印象づける。
120小節から、第1楽章冒頭が想起されるが、クナは139小節から更にテンポを落とし、145小節でまた更にテンポを落としてゆく。楽器によっては、その落ち込んでゆくテンポについて行けていない演奏者もいるが、クナのもの凄い楽曲の把握と、聞く者を翻弄するかのような幻想性を獲得している。
149小節からの舞踏曲も静かに、そしてゆったりと流れ、徐々に高揚しながらもの凄いスケールの大きさで181小節までの巨大な波を作り上げてゆく。スケールは大きいが、クナのもたらしているテンポ変化やアーティキュレーションの指示は緻密だ。その緻密さが奔流のようになってクライマックスに達し、181小節からの第1楽章冒頭の金管楽器がさらに拡大されて盛り上がり、3小節からの下降音型が目の眩むような高みで爆発し、流れ下ってくる。187小節からその流れに逆行するように上昇音型が繰り返され、音楽は第1楽章最後のクライマックスを築き、そして沈静化するように平穏な世界に熔解してゆく。
1950年、1955年盤も凄かったが、この1956年盤もやっぱり凄かった(^^)。
第2楽章
馥郁とした情感が素晴らしい。クナの振幅の大きな音楽作りと、シュターツカペレ・ドレスデンの演奏はよく合っている。第2楽章の暗い淵の底に沈み込むような箇所から、宗教的法悦感を感じる箇所、明るく感謝をしているような箇所まで、実に落ち着いた音色で穏やかな演奏を繰り広げてゆく。
クナのさりげなく揺り動かすようなテンポ変化は健在で、14小節のオーボエの下降音型でのリタルダンドはシュターツカペレ・ドレスデンの木管のくすんだような音色もあり、素晴らしく美しい。第2楽章は弦楽器が積極的に動き出す24小節まで、木管楽器が主体だが、クナが木管楽器に要求する音色と、シュターツカペレ・ドレスデンの木管楽器の音色が、じつに幸福に結びついているかのようだ。音楽は弦楽器が高らかに歌い、情動的に盛り上がるが33小節から一旦沈み込む。その沈み込んだ時の、チェロとコントラバスの音がまたいいのだ。40小節まで、息を潜めてゆくようにゆったりと音楽が止まるかのように静かになって行く。40小節の最後からクラリネットとバスーンが孤独感の強いメロディを奏で始め、それに慰撫を与えてゆくようかのような優しいメロディが50小節から弦楽器に現れる。その弦楽器のメロディを木管楽器がなぞるように復唱してゆく辺りは、聖フランチェスコの鳥たちへの説教にも似て、徐々に幸福感と豊かな感情を獲得してゆく。ただ、その上昇感は長くは続かず、56小節の最後で、今度は弦楽器が何か希求するような短い2音のフレーズを奏で、音楽は再び、孤独感の強い静かな音楽になる。
62小節から弦楽器が、今度は幸福で上昇するような感情の動きを、今度は揺るぎないものとして拡大しながら演奏してゆく。特にヴィオラから下の弦楽器のうねるようなメロディは大変素晴らしい。スコアを見ると、67小節から豊かにクレッシェンドとデクレッシェンド記号がついているが、それまでもクナは弦楽器に豊かさを強調する。70小節から71小節に至る、メロディのブリッジの仕方は、もう奔流のように美しいとしか言わざるを得ないほどだ。
その奔流のような音楽が80小節後半から、ゆったりとした寂しさに彩られ始めるが、それでも84小節から木管楽器による豊かなメロディが、幸福になりかける感情を堰き止めないかのように奏でられる。92小節の後半で、クナのやりたかった豊かな山を築くようなリタルダンドをクラリネットが少しやりすぎるが、豊かで幸福になって行く音楽は変わらない。このクラリネットは独特で、98小節でも同じような動きを見せる。クナの創り出す強烈な磁場を持つ音楽に酔っているかのようでもある。
聞き物の108小節からは、期待を裏切らない。少しアクセントが強烈な箇所もあるが、音楽は宗教的とも言える感謝に満ちた音楽を奏で、静かに暖かな闇の中に帰ってゆくかのように、あるいは再び幸福な眠りの中に誘われるかのようにして終わる。
第3楽章
ゆったりと渋い第3楽章。くすんだ響きだが、そのオーケストラの響きは美しくはかなげで、もの凄い魅力を感じる。クナの何気ない優しさと、オーケストラの音色の特性が、そして生真面目さが優れて美しい演奏を聞かせてくれる。ホルンのなんと孤独で美しいこと!少し、オーディエンスノイズが喧しいが、オーボエも美しい。幻想的で夢見るような瞬間が訪れる。ヴァイオリン群の震えるような主題は寂寥感を湛え、震えが来るほどだ。
24小節からクナはテンポを落とす。そして、27小節からは幾分速めに切り抜けてゆくが、マーラー:交響曲第6番第3楽章アンダンテを思わせそのメロディに、ロマンの香りを聞くことができる。
54小節から、クナはテンポをゆったりと構え、細かな動きも逃さずに楽曲を捉えてゆく。そのため69小節からの第1ヴァイオリンによるうねるような小山が効果的に聞くことができる。同じ音型が87小節から現れるが、今度はゆったりとピアニシモの極限まで落ち込むような素晴らしい振幅で、第3楽章の再現部を用意する。もの凄い静けさが支配し、その静けさの中から第3楽章主題がホルンによって流れ始める。オーボエがその主題を孤独感を強調しながら、反復する。
138小節からの2部に別れた大ヴァイオリンの主題も美しい。158小節のゆったりとリタルダンドをしながらの終結部もはかななさを大きな振幅で演奏し、切実さを表現する。
第4楽章
交響曲第3番がひとつの感情に支配されたかのような第4楽章だ。重く沈み込み、引きずるような第4楽章だが、ブラームスの交響曲によく合った素晴らしいアーティキュレーションと音色が聞ける。
やはりゆったりとした第4楽章で、20小節からは引きずるようなテンポと管弦楽のバランスが独特だ。28小節からクライマックスを用意するかのようにリタルダンドし、30小節で巨大なクライマックスを築く。ただ、いつものクナのように、30小節の大きな山はどこかずれるように演奏される。まるで華々しくないクライマックスで、第4楽章の最初もまた、どこか悲劇味を孕んでいる。一旦爆発した後の32小節のピアニシモは蠢くようで効果的だ。
36小節のフォルテから、ようやく第4楽章はその歩みを始めるかのようだが、クナは決して音楽を煽らず、極めて自然体でゆったりと46小節のフォルテシモまでを演奏させる。70小節からフォルテシモは、その爆発の巨大さはクナならではのものだが(録音のせいもあり、それほど爆発的な音ではないが)、そのフレージングとテンポに、どこかほのぼのとクナの優しさがにじみ出ているようでもある。弦楽器群が引きずるようで、リズムと合っていないような気もするが(^^;、それがまたこの演奏に何とも言えない味のようなものを感じさせる。あばたもえくぼなのではない。その微妙なずれが、もの凄く巨大な響きの中で人なつっこい情感を感じさせてくれている。
怒濤のようなクライマックスの音楽が続き、木管楽器がなだらかに下降してくる演奏の後、114小節からのクナの処理はさすがだ。音楽を慌てさせず、第4楽章をスケール感豊かなものにしている。141小節の途中まで、どこか波乱を予想させながらも静謐な音楽が続くか、クナのピアニシモは実に素晴らしい。141小節後半からのフォルテが生きていて、叫ぶように聞こえる。
149小節から、まるでブルックナーの交響曲のような唐突なトッカータのようなフレーズが現れるが、この辺りのクナの演奏はさすがに凄みがある。187小節までそのトッカータ風のクライマックスは続き、182小節からは叫喚するような音楽に変化してゆくのだが、クナの息の長いテンポとクレッシェンドは空恐ろしくなるほどの迫力とスケールの大きさを獲得している。209小節でほんの少し息を抜く箇所があり、もの凄く効果的に、音楽は更に高みに昇り始める。クナの足音一発が聞ける(^^)。
226、227小節で誰が付け足したか分からないティンパニーの決め方はもの凄い度迫力で、音楽は登り続ける。その登り詰めた音楽が徐々に静かになり始め、252小節からの第1ヴァイオリンのメロディを、クナは極めてチャーミングに寂しげに歌わせる。
260小節から、夢幻的な短い上昇音型がチェロに現れ始めるが、まだ音楽はリアリティを保っている。そして、音楽は徐々に速度を落としながら、弦楽器軍に現れる短く夢幻的な上昇音型の中で、彼岸への浮かぶような上昇を続けてゆく。273小節で一瞬正気に戻るのかのような動きを見せるが、再び彼岸への動きが強まり、280小節からの金管と木管の動きは、まるでその彼岸への動きを容認したかのようでもある。287でスコアにはないティンパニーが最後の最後での小さなクライマックスを築き、293小節の木管のフォルテは既に彼岸を受け入れているかのような響きだ。
そして、静かに熔解するように、フィナーレは終了する。
1950年のベルリン・フィル、1955年のウィーン・フィルの演奏録音に比べて、シュターツカペレ・ドレスデンとの演奏録音はそのオーケストラの響きは地味である。どこかローカルですらある。
しかし、第4楽章の意味をこれだけ雄弁に知らしめてくれる演奏であることは、シュターツカペレ・ドレスデンとの演奏が相応しいのかも知れない。ここで聞かれるブラームス:交響曲第3番の演奏録音は、「ブラームスの英雄」とか「小規模な親しみやすい交響曲」と言う呼称がまったく相応しくないことが分かる。ブラームスはこの交響曲に「死」とその意味を塗り込めている。その彼岸への音楽は、宗教的な意味さえ持っていると言ってもいいのではないかと思えた。
次回、1958年11月9日の、ウィーン・フィルとの演奏録音を取りあげる。




