1958年 バイエルン州立歌劇への出演を1年間拒否する

1958年
 1月1日から クナッパーツブッシュは第2次世界大戦の空爆で破壊されたミュンヘンの国民劇場(ナツィオナル・テアター)再建の遅れに抗議して、一年間バイエルン州立歌劇場での指揮を拒否する。クナッパーツブッシュは頑固であった。
 1月6日 ミュンヘン、ドイツ博物館コングレス・ザールでミュンヘン・フィルの特別演奏会。レスピーギ/リュートのための古代の舞曲とアリア第2番 、リヒャルト・シュトラウス/「ドン・キホーテ」(vc:フリッツ・キスカルト) / (va:ジークフリート・マイネッケ) 、ブラームス/交響曲第3番
 レスピーギとリヒャルト・シュトラウスの録音が残っている。

 2月10日 ミュンヘン、ドイツ博物館コングレス・ザールでバイエルン州立管弦楽団の希望演奏会。シューベルト/交響曲第7番 D.759 、ブルックナー/交響曲第9番。両曲とも録音が残っている。

 3月12日 クナッパーツブッシュの70歳の誕生日に、ミュンヘン市から黄金の金メダル、ミュンヘン・フィルから名誉の指環が贈られ、さらに、すでにカラヤンから招聘拒否、クナッパーツブッシュから出演拒否状態になっているベルリン・フィルの名誉会員に選ばれる(「クナッパーツブッシュの思い出」)。

 ミュンヘン・フィルの名誉の指環にはクナッパーツブッシュの謝辞が残っており、マイヤーが「ハンス・クナッパーツブッシュ~生誕百年に寄せて~」で紹介している。
「『ありがとう』と書き送るべき先は千を優に超えているのですが、貴殿(当時の事務局長エミール・ヴェルデ)は、私の謝意を誰よりも早く受け取るべき人物の一人です。貴殿と貴殿のフィルハーモニーは私に大変な喜びを与えてくれました。指輪はたとえようもなく美しい。この指輪には特に御礼を申し上げます。私の安静期間が遠からず終われば良いのですが。そうすれば、私は貴殿と貴殿のフィルハーモニーのもとへ赴くことができます。私自身、それを千秋の思いで待っているのです」。
 クナッパーツブッシュはこの時期、体調を崩していたらしい。

 4月18日から5月5日 パリオペラ座に客演。幾度となく訪れ、名演を披露したパリ公演だったが、録音そのものがないのか不備があるのか、クナッパーツブッシュのパリでのライヴ録音はいまだに聞けないままである。

  • 4月18日 ワーグナー/「トリスタンとイゾルデ」
  • 4月25日 ワーグナー/「ジークフリート」
  • 5月5日 ワーグナー/「神々の黄昏」

 6月9日から11日 ジョージ・ロンドン、ウィーン・フィルとDECCAスタジオ録音。

 7月25日から8月20日 バイロイト祝祭音楽祭。
 この年もクナッパーツブッシュは「ニーベルングの指環」チクルスを2回とも指揮しているが、その第1チクルスは「パルジファル」初日と合わせて録音が残っている。

  • 7月25日 ワーグナー/「パルジファル」
  • 7月27日 ワーグナー/「ラインの黄金」
  • 7月28日 ワーグナー/「ワルキューレ」
  • 7月30日 ワーグナー/「ジークフリート」
  • 8月1日 ワーグナー/「神々の黄昏」 
  • 8月6日 ワーグナー/「パルジファル」
  • 8月9日 ワーグナー/「パルジファル」
  • 8月13日 ワーグナー/「ラインの黄金」
  • 8月14日 ワーグナー/「ワルキューレ」
  • 8月16日 ワーグナー/「ジークフリート」
  • 8月18日 ワーグナー/「神々の黄昏」
  • 8月20日 ワーグナー/「パルジファル」

「パルジファル」を全て自分の手に戻し4回。「ニーベルングの指環」2回のチクルスをクナッパーツブッシュが担当する。「ニュルンベルクのマイスタージンガー」と「ローエングリン」をクリュイタンス、「トリスタンとイゾルデ」を前年に続いてサヴァリッシュが担当した。
「パルジファル」でクンドリーを歌ったレジーヌ・クレスパンとは面白い話が残っている。
 リハーサルのとき、クレスパンはリズムがずれ気味であったため、クナッパーツブッシュは辺りが赤面するようなことばでこのフランス人ソプラノを罵った(吉田真著「肝心なのは芸術」録音でたどるバイロイト祝祭の黄金時代」第12章(クラシックジャーナル032)によると、クナッパーツブッシュの罵りの言葉は「シュレップ・クー」(のろまの牝牛)だったと紹介されている)。ところが、クレスパンにはそのドイツ語が通じず、「フランス語でお願いします」と言われ、クナッパーツブッシュはさらにドイツ語で「フランス(語)のシュレップ・クーめが!」と罵ったという(前掲書)。クレスパンは1960年にも、クナッパーツブッシュの指揮でクンドリーを歌っている。
 さらに前掲書にはもうひとつエピソードが紹介されている。ヴィーラントはこの年、バイロイト初登場となる歌手が多いことから、リハーサルをするようにクナッパーツブッシュに頼んだ。ところがクナッパーツブッシュの答えは、「あなたは司教が礼拝の練習をするなんて聞いたことがありますか?」、と言うものだった。結局、クナッパ-ツブッシュはヴィーラントの要求通り、リハーサルを行っていることは、クレスパンとの一件でも分かる。
 また、この年のバイロイト祝祭音楽祭を日本の銀行マンであった植村攻氏が「ニーベルングの指環」第2チクルスと「パルジファル」を観劇、さらにサヴァリッシュの「トリスタンとイゾルデ」を聞いている。
 植村氏は1996年に「巨匠たちの音、巨匠たちの姿」(東京創元社)を出版、その中でバイロイト体験について触れられている。当時、ほとんど未知の指揮者だったクナッパーツブッシュの音楽に感動した植村氏の姿が、素直な筆致で綴られている。クナッパーツブッシュ・ファンにとって必読の書だろう。クナッパーツブッシュの拍手嫌い、カーテン・コール嫌いのことも書かれている。
 この1958年、クナッパーツブッシュが聴衆の歓呼に応えてカーテンコールに現れたのは「ニーベルングの指環」最後の「神々の黄昏」だけだった。「パルジファル」は伝統的に最後の拍手はしないことになっているから、カーテン・コールはないわけだ。
「カーテン・コールが何度も繰り返されたあと、舞台の上にクナッパーツブッシュが現れた。観客の興奮はもうその極に達して、「ブラヴォー!ブラヴォー!」の掛け声はいつ果てるとも知れなかった。この日まで、彼が舞台に現れたことはなかったので、これが、私がこの指揮者の姿を見た最初でまた最後であった。かれは長身の堂々たる体格の偉丈夫で、金髪の顔は写真で見た通りであった。しかし彼はやっと出てきたものの、舞台の端の方に立ったまま、両手を前に広げるようなゼスチャーをしただけで挨拶らしいこともせず、そのまま引っ込んで二度と現れなかった」(植村攻著「巨匠たちの音、巨匠たちの姿」東京創元社)

 夏のミュンヘン・オペラ祭は、バイエルン州立歌劇への出演を拒否しているため、参加していない。

 11月 ソヴィエトのフルシチョフ首相は西ベルリンに駐留するアメリカ、イギリス、フランスの軍隊の撤兵を要求、ベルリン自由都市化構想を打ち出すも西側は拒否。「ベルリン危機」が始まる。

 11月8日、9日 ムジークフェライン・ザールでウィーン・フィルの予約演奏会。ハイドン/交響曲第88番、ベルガー/「ロンディーノ・ジョコーソ」、リヒャルト・シュトラウス/「死と変容」、ブラームス/交響曲第3番
 すべて録音が残っているが、ベルガー/「ロンディーノ・ジョコーソ」は8日の放送用録音、もしくは聴衆なしのリハーサルでの録音である。

11月13日から11月30日 ウィーン・フィルとコンサート・ツアー。

  • 11月13日 ベルン。ハイドン/交響曲第88番、ベルガー/「ロンディーノ・ジョコーソ」、リヒャルト・シュトラウス/「死と変容」、ブラームス/交響曲第3番
  • 11月14日 チューリッヒ。プログラムは同じ。
  • 11月18日 パリ。サル・プレイエルでのコンサートだった。「死と変容」に替えて、リヒャルト・シュトラウス/4つの最後の歌(セーナ・ユリナッチ)が演奏されている。他のプログラムは同じ。
  • 11月27日 ザルツブルク。音楽祭とは別の日程である。プログラムは同じ。
  • 11月28日 バーゼル。プログラムは同じ。
  • 11月30日 イタリア、ボーツェン(ボルツァーノ)。ブラームス/交響曲第3番に替えて、ベートーヴェン/交響曲第5番が演奏された。他のプログラムは同じ。

 例年なら、年末はバイエルン州立歌劇の指揮で大忙しのクナッパーツブッシュだが、この年は最後までバイエルン州立歌劇への出演を拒否しているため、コンサート記録がない。

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