1952年 円熟の度を深める

1952年
 1月1日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、ワーグナー/「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
 1月4日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、ワーグナー/「神々の黄昏」
 1月9日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、ベートーヴェン/「フィデリオ」
 1月20日、21日 ベルリン、ティタニアパラストでベルリン・フィルの「うきうき気分のコンサート」。ウェーバー/「舞踏への勧誘」、ヨハン・シュトラウス2世/「こうもり」序曲、ヨハン・シュトラウス2世/「ウィーンの森の物語」、ヨハン・シュトラウス2世/「千一夜物語」間奏曲 、ヨハン・シュトラウス2世/「エジプト行進曲」、ランナー/「シェーンブルの人々」、ヨーゼフ・シュトラウス/「オーストリアの村つばめ」、ヨハン・シュトラウス2世/アンネン・ポルカ、コムツァーク2世/「バーデン娘」
 ヨハン・シュトラウス2世/「千一夜物語」間奏曲のみ録音が残っている。Tahra盤復刻で、ボルデマン「ラ・ダンツァ」と曲目が紹介され、混乱を招いた。

 ウィンナ・ワルツには後年のウィーン・フィルとのDECCAスタジオ録音があることから、どうしてもそのスタジオ録音の方が有名になってしまうが、クナッパーツブッシュはベルリン・フィルとも第2次世界大戦中から頻繁にウィンナ・ワルツや軽い楽曲を演奏した。1950年の録音はその代表のようなものだが、残念ながらクナッパーツブッシュの演奏の全部をいま聞くことができないし、1952年の演奏も1曲しか聞くことはできない。ワーグナーやブルックナーで喧伝されがちなクナッパーツブッシュは、実はクラシック小品の名手であったことを知っておかないと、大きな損失だと思う。

 1月23日 ベルリン州立歌劇場(アドミラル・パラスト)、リヒャルト・シュトラウス/「ばらの騎士」
 1月25日 ベルリン州立歌劇場(アドミラル・パラスト)、ワーグナー/「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
 クナッパーツブッシュとベルリン州立歌劇場管弦楽団との結びつきは古い。1924(もしくは25年)のスタジオ録音から始まり、いろいろと録音している。ただ、歌劇場そのものへの客演はそれほど多くなかった。ベルリンで、クナッパーツブッシュの指揮する歌劇を聞いたひとたちは、どのような印象を持ったのだろう?

 1月27日、28日 ベルリン、ティタニアパラストでベルリン・フィルとコンサート。ボルデマン/「ラ・ダンツァ」交響的序曲、ベートーヴェン/交響曲第8番 、シューマン/チェロ協奏曲(vc:ピエール・フルニエ)、ワーグナー/「トリスタンとイゾルデ」第1幕への前奏曲と「愛の死」
 ベートーヴェン/交響曲第8番の録音が残っている。

 2月23日、24日 パリ、エリゼ宮劇場でパリ音楽院管弦楽団のコンサート。ワーグナー/「リエンチ」序曲、ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第4番(p:アルド・チッコリーニ)、ブラームス/交響曲第2番
 第2次大戦後、クナッパーツブッシュは初めてパリで指揮をする。オーケストラもドイツのオーケストラを引き連れてではなく、パリ音楽院管弦楽団だった。この年はふたつのプログラムでもう1度パリを訪れているが、この年以降、毎年パリに客演することになる。
 クナッパーツブッシュはナチ政権下、たびたび占領地へのコンサートツアーでパリを訪れているが、この年の客演では思いもかけなかったような歓迎を受けたようだ。敵国の指揮者であったクナッパーツブッシュに対し、フランスの対応は極めて柔軟であったようだ。
 フランスは長い歴史の上でドイツの大きなライヴァルであったのに、ドイツ音楽に対し、ドイツ人以上とも言えるほど愛好熱が高かった(現在でもむろん高い)。特にワーグナー熱は相当なもので、ボードレールを始め、多くの詩人、むろん音楽家もその洗礼を受けている。

 クナッパーツブッシュはフィレンツェに向かう。
 3月2日 テアトロ・コムナーレ。フィレンツェ五月祭管弦楽団&合唱団。ベートーヴェン/交響曲第9番(エリザベート・シュヴァルツコップ、イーラ・マラニウク、ユリウス・パツァーク、ラファエレ・アリエ、合唱指揮:アンドレア・モリジーニ)
I found the following concerts in a book listing concerts and performances
given at the Teatro Comunale in Florence :from Mr.George Zepos 2011/5/23)

 3月12日 クナッパーツブッシュは64歳になった。

 3月14日から3月28日 ナポリに客演。ワーグナー/「ラインの黄金」、ワーグナー/「ワルキューレ」
 4月6日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、ワーグナー/「さまよえるオランダ人」
 4月13日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、ワーグナー/「神々の黄昏」
 4月19日ムジークフェライン・ザールでウィーン・フィルの予約演奏会。ブラームス/悲劇的序曲、ハダモフスキー/木管楽器と管弦楽による舞踏組曲、リヒャルト・シュトラウス/「アルプス交響曲」
リヒャルト・シュトラウス/「アルプス交響曲」はアメリカ占領軍のラジオ局ロート・ヴァイス・ロートで放送された。その録音が残っている。CDはAltusからリリースされた。

 4月27日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、リヒャルト・シュトラウス/「ばらの騎士」
 5月4日 生まれ故郷ヴッパータール市に客演。ワーグナー/「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
 5月 西ドイツ、イギリス、アメリカ、フランスと「ドイツ条約」調印。西ドイツは敗戦国から脱却してイギリス、アメリカ、フランスと「対等の国」の立場を得る。
 6月11日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、リヒャルト・シュトラウス/「ばらの騎士」
 6月22日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、ワーグナー/「タンホイザー」
 7月30日より8月26日 バイロイト祝祭音楽祭

  • 7月30日 ワーグナー/「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
  • 8月1日 ワーグナー/「パルジファル」 この日の録音が残っている。
  • 8月3日 ワーグナー/「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
  • 8月5日 ワーグナー/「パルジファル」
  • 8月6日 ワーグナー/「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
  • 8月9日 ワーグナー/「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
  • 8月10日 ワーグナー/「パルジファル」
  • 8月17日 ワーグナー/「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
  • 8月19日 ワーグナー/「パルジファル」
  • 8月21日 ワーグナー/「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
  • 8月23日 ワーグナー/「パルジファル」
  • 8月24日 ワーグナー/「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
  • 8月26日 ワーグナー/「ニュルンベルクのマイスタージンガー」

 録音日は特定できていないが、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」にも録音が残っている。7月30日の録音だと考えられている。

 録音が残っている「パルジファル」、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」とも素晴らしい演奏録音である。
「パルジファル」は前年のDECCA録音とは異なり、リアルタイムにその舞台のもようを収録したバイエルン放送局のもので、楽劇全体を貫く緊張感が素晴らしい。
 また、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」も一夜の楽劇の記録で、さまざまな指揮者による数多くの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」全曲録音の中で、おそらくその舞台上の雰囲気、ノイズを含めてもっともすぐれた演奏録音である。この1952年クナッパーツブッシュの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を聞かずして、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を語ることは虚しい。同じくナッパーツブッシュの録音でも、DECCAスタジオ録音をはるかに凌駕した演奏録音である。

 この年、クナッパーツブッシュとカラヤン以外に、ヨーゼフ・カイルベルトが「ニーベルングの指環」で初登場する(といっても、第2次世界大戦後まだ2年目だが)。カラヤンは「トリスタンとイゾルデ」を担当した。カイルベルトの「ニーベルングの指環」、カラヤンの「トリスタンとイゾルデ」とも、録音が残っている。
 また、カイルベルトは年長のクナッパーツブッシュに対し、なぜか大きなライヴァル心を燃やしている。
 ただ、バイロイトではこの年に波乱が起こる。演出に対するヴィーラントとカラヤンの対立である。ヴィーラントの演出による「トリスタンとイゾルデ」の舞台装置はほとんど何もなくなっており、舞台はガランとしたままだった。後年、カラヤン自身が演出したワーグナーの舞台はヴィーラントの演出によく似ているのだが、このときは考えが違ったのだろうか?
 カラヤンはヴィーラントとの芸術的相違点のため、次年度からバイロイトに出演しないという方針を立てた。が、もうひとつの理由として、おそらくは出演料で折り合いが合わなかったのだろうともいわれている。クナッパーツブッシュは宿泊や食事を除いて無報酬でバイロイトに登場していた。カラヤンはそれに対してかなりの報酬を要求したものと思われる。2年目のバイロイトにはまだ潤沢な資金がなかった。ありがちな話だが、カラヤンは芸術的相違点を強調、経済的な問題には言及していない。
 もうひとつ、EMIウォルター・レッグの「ニーベルングの指環」録音に対する野望がある。レッグはバイロイトの公演を、録音をしやすいよう組めないかヴィーラントやヴォルフガング兄弟に働きかけたようだ。カラヤンの「ニーベルングの指環」を、スタジオ録音並みのクオリティで、しかもバイロイト録音であるということを銘打てば箔が付く。
 ただ、バイロイト側はそのようなレッグの働きには懐疑的で、ヴォルフガングはバイロイトを乗っ取られると危惧したようだ。
 バイロイト側とカラヤン、レッグのさまざまな確執があり、カラヤンはバイロイトを去ることになった。
カラヤンがバイロイトへ出演の辞退を決めたとき、クナッパーツブッシュは「『フォンのつくやんごとなきお方』はまったくドイツ音楽に向いていない、彼はただの『イタ公』だと思っていたが、それが証明されたと公言した」(「指揮台の神々」)という話が残っている。

 9月 バイエルン州立歌劇音楽総監督がショルティからルドルフ・ケンペに交代する。
 バイエルン州立歌劇場の音楽総監督が、ショルティからルドルフ・ケンペに替わった。ショルティはクナッパーツブッシュの重圧を感じるとともに、ミュンヘン出身のオイゲン・ヨッフムが次期音楽総監督になると思っていたようだ。
 クナッパーツブッシュが夏にバイロイトで指揮するようになり、「夏のモーツァルト=ワーグナー祭」の継承でもあるバイエルン州立歌劇の夏のミュンヘン・オペラ祭はひじょうに寂しいものになった。ヨッフムの噂は、そのような状況に対するドイツの伝統を守る指揮者が乞われていたからかも知れない。
 ヨッフムはドイツ・プロテスタントからカトリックに改宗した熱心なカトリック教徒で、バイエルン文化大臣フントハンマーは同じカトリック教徒のヨッフムを気に入っていた、とショルティは自伝に書いている。ショルティは降格と感じつつ、フランクフルト市立歌劇場に転出する。ところがバイエルン州立歌劇場音楽総監督になったのはヨッフムではなく、ルドルフ・ケンペだった。(「ショルティ自伝」)
 ケンペは、ゲオルグ・ショルティと劇場総監督ゲオルグ・ハルトマンが辞任し、ルドルフ・ケンペと劇場総監督ルドルフ・ハルトマンが就任したのは、クリスチャンネームを合わせるためだったとしか考えられない、と冗談を言っている。ただ、ケンペはルドルフ・ハルトマンとはうまくゆかず、後にはバイエルンを追われることになる(尾埜善司著「指揮者ケンペ」芸術現代社)

 9月5日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、リヒャルト・シュトラウス/「ばらの騎士」
 9月8日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、リヒャルト・シュトラウスの命日記念オペラ。リヒャルト・シュトラウス/「エレクトラ」
 9月20日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、リヒャルト・シュトラウス/「サロメ」
 9月28日、29日 ベルリン、ティタニアパラストでベルリン・フィルとベルリン芸術週間のコンサート。ヴォルフ/イタリア風セレナード 、シベリウス/ヴァイオリン協奏曲(vn:アリアーナ・ブローネ)、ブラームス/交響曲第3番
 ヴォルフ/イタリア風セレナードのみ録音が残っている。

 10月1日から10月12日 ベルリン・フィルとドイツ国内、スイスを回るツアー。演奏曲目などは伝わっていないが、28日、29日の演目をそのまま持っていったと考えられる。

  • 10月1日 ハンブルク(ドイツ)
  • 10月2日 ハノーファー(ドイツ)
  • 10月4日 ランダウ・イン・デア・プファルツ(ドイツ)
  • 10月6日 ローザンヌ(スイス)
  • 10月7日 バーゼル(スイス)
  • 10月8日 チューリッヒ(スイス)
  • 10月9日 ベルン(スイス)
  • 10月11日 フィールゼン(ドイツ)
  • 10月12日 バート・ピルモント(ドイツ)

 クナッパーツブッシュは、ベルリン・フィルとのコンサート・ツアーを終え、ミュンヘンに帰り、「ニーベルングの指環」を指揮した。バイエルン州立歌劇で、伝統的な演出による「ニーベルングの指環」を振ることで、バイロイトのヴィーラントの演出に対する嫌悪がますます募ったのだろうか?
 11月4日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、ワーグナー/「ラインの黄金」
 11月5日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、ワーグナー/「ワルキューレ」
 11月7日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、ワーグナー/「ジークフリート」
 11月11日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、ワーグナー/「神々の黄昏」

 11月20日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、リヒャルト・シュトラウス/「サロメ」

 11月29日、30日 この年2度目のパリ客演。エリゼ宮劇場でパリ音楽院管弦楽団のコンサート。シューベルト/交響曲第5番 D.485、ブラームス/ヴァイオリン協奏曲(vn:ミリアム・ソロヴィエフ)、リヒャルト・シュトラウス/「ドン・ファン」
 12月6日、7日 パリ、エリゼ宮劇場でパリ音楽院管弦楽団とコンサート。モーツァルト/セレナード第13番「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」、シューマン/ピアノ協奏曲(p:ヴェントシスラフ・ヤンコフ)、ブラームス/交響曲第4番
 12月10日、12日 ブレーメンに客演。ブレーメン州立フィルを指揮。ベートーヴェン/交響曲第2番 、ブラームス/交響曲第4番

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