1954年
1月3日 ミュンヘン、ドイツ博物館コングレス・ザールでミュンヘン・フィルの特別演奏会。ベートーヴェン/交響曲第4番、チャイコフスキー/交響曲第6番「悲愴」
1月5日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、ウェーバー/「魔弾の射手」
1月16日、17日 ムジークフェライン・ザールでウィーン・フィルの予約演奏会。ベートーヴェン・プログラムだった。ベートーヴェン/「コリオラン」序曲 、ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第4番(p:ウィルヘルム・バックハウス) 、ベートーヴェン/交響曲第7番 。録音はすべて残っている。
1月18日から22日 ウィーン・フィルとスイス・ツアー。ウィルヘルム・バックハウスが同行する。
- 1月18日 ジュネーヴ
- 1月19日 ローザンヌ
- 1月20日 チューリッヒ
- 1月21日 フライブルク
- 1月22日 チューリッヒ
プログラムは16日、17日と同じだった。
2月、Huntによると、2月にボルドーに客演、「ワルキューレ」を指揮したという記録が残っている。パリに向かう前の公演だったのだろうか?
2月27日、28日 パリ、エリゼ宮劇場でパリ音楽院管弦楽団のコンサート。ベートーヴェン/「エグモント」序曲、ベートーヴェン/ピアノ協奏曲 第3番(p:ユーリ・ボウコフ)、ベートーヴェン/交響曲第7番
3月11日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、新演出のリヒャルト・シュトラウス/「ばらの騎士」
3月12日 クナッパーツブッシュは66歳になった。
3月14日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、リヒャルト・シュトラウス/「ばらの騎士」
3月24日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、ウェーバー/「魔弾の射手」
3月31日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、ウェーバー/「魔弾の射手」
4月1日から5日 ウィーン・フィルとDECCAスタジオ録音。
5月 ルドルフ・ケンペはバイエルン州立歌劇音楽監督を解約される。
「バイエルン文化省は5月、音楽監督のルドルフ・ケンペを中途解約し、ハンス・クナッパーツブッシュをバイエルン国立オペラ(州立歌劇)の文化代表に任命する意向を表明した」(「指揮者ケンペ」)。
劇場側はクナッパーツブッシュに新音楽総監督就任を依頼したが、クナッパーツブッシュは断った。バイエルン州立歌劇場は、しばらく音楽監督がいないまま、クナッパーツブッシュが面倒を見てゆくことになる。そのため、クナッパーツブッシュは極めて忙しいスケージュルをこなしている。前年、バイロイトを辞したクナッパーツブッシュは、バイエルン州立歌劇に全面的に復帰してくれるものと劇場側は考えたのかも知れない。
ところが、5月16日、思いがけない方向に運命の歯車は回ってしまう。
バイエルン州立歌劇の次期音楽総監督は1956年にフェレンツ・フリッチャイが就任するまで不在となった。
5月16日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、ベートーヴェン/「フィデリオ」
5月16日 クレメンス・クラウスは客演先のメキシコ・シティで急死してしまう。
クラウスはクナッパーツブッシュの代演を務めた1953年に引き続き、1954年もバイロイトで指揮をする予定だった。
「彼はメキシコからの招聘に応じたい気持ちなど少しもなく、それを断るために高額の報酬を要求したのだと、そういう話を私は聞いた。ところが運命は皮肉で、メキシコ人たちはそれに応じたのである。そして彼はメキシコ・シティに行ったが、そこは彼の循環機能によくない高地であり、1954年5月16日、心臓の発作で死去した」(「栄光のウィーン・フィル」)。
クラウスがメキシコに行く前、第2次世界大戦で破壊されたウィーン国立歌劇場の再建に伴い、新たに選出される音楽監督の地位をクラウスはクライバー、ベームと争っていたが、結局、ベームにその地位を奪われている。クラウスの落胆は大きかった。
「(クラウスは)この決定からはずされたことでかえって2、3年は寿命が延びたかも知れないと語っていた。しかし実際は、彼は本心をいつわっていたのだ。というのは、思うにこの決定は、彼が自分で認めようとしていたよりも実ははるかにふかい心の痛手となっていたに違いない」(「栄光のウィーン・フィル」)。
祝祭音楽祭まで時間的余裕がない中で、バイロイトは焦る。特に「パルジファル」はクナッパーツブッシュに敵う指揮者がおいそれと見つかるとは思えなかった。
5月22日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、ワーグナー生誕記念。ワーグナー/「さまよえるオランダ人」
5月24日 ヴィーラントの弟ウォルフガングはさっそくクナッパーツブッシュに復帰要請の電話をかける。
クナッパーツブッシュはちょうどミュンヘンにいて、24日は空いていた。電話をとったマリオン夫人に向かって、「ヴィーラントなら出ないぞ」とぶつぶつ言っていたが、夫人の取りなしで電話口に出て、その夜ウォルガングに会うことを承諾した。ホテルのレストランで、クナッパーツブッシュはさんざんバイロイトへの復帰を渋った。
「今からおめおめバイロイトに復帰なんかできるか」ということと、再び気にくわないヴィーラントの演出で指揮をすることが癪だったのだ。
それでもウォルフガング、マリオン夫人、クナッパーツブッシュの学生時代の友人が粘り強く説得し、クナッパーツブッシュはようやく折れた。1954年のバイロイトで「パルジファル」を担当することを承諾し、復帰が決まったのだ。散々ごねた頑固なクナッパーツブッシュだったが、内心は嬉しかったのかも知れない(奥波本)。
ただ、クナッパーツブッシュはヴィーラントの「パルジファル」の演出に、ひとつだけ注文を出した。
5月25日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、ウェーバー/「魔弾の射手」
6月6日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、ベートーヴェン/「フィデリオ」
6月18日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、新演出ウェーバー/「魔弾の射手」
6月22日 ミュンヘン、ドイツ博物館コングレス・ザールでミュンヘン・フィルの予約演奏会。ブルックナー/交響曲第5番
コンサートが終わった後、しばらく拍手がなかった。「水を打ったような感動に沈む会場に、数秒後、ぶっきらぼうな(クナッパーツブッシュの)唸り声が聞こえた、『おしまい!』」(「ハンス・クナッパーツブッシュ~生誕百年に寄せて~)」
7月25日 ザルツブルク音楽祭。ブルックナー/交響曲第8番
7月29日から バイロイト祝祭音楽祭に復帰。
バイロイトに復帰し、「パルジファル」を振ったクナッパーツブッシュだったが、この年はミュンヘン・オペラ祭への出演も決まっていためか、かなり変則的なスケジュールになっている。ルドルフ・ケンペがバイエルン州立歌劇を辞任してしまったので、余計にクナッパーツブッシュに対する重圧が増した。
この年、バイロイトでは1951年に続き、フルトヴェングラーが記念コンサートでベートーヴェンの第9を振った。「ニーベルングの指環」をカイルベルト、「ローエングリン」と「タンホイザー」をカイルベルトとヨッフムが分け合った。
7月29日 バイロイト祝祭劇場、ワーグナー/「パルジファル」
クナッパーツブッシュがヴィーラントに出した「パルジファル」演出に対する注文とは、第3幕最後の鳩だった。
パルジファルはアンフォルタスの傷を癒し、自らが新たな聖杯王を宣言する。舞台に並んだ一同が「この上ない救いの奇跡よ。救済者に救済を」 と歌われト書きに、
「光線、すなわち聖杯グラールの灼熱の輝きは、いまや頂点に達する。円天井から、このとき白鳩が舞いおり、パルジファルの頭上にとまる。クンドリはパルジファルを見あげながら、彼の前でしずかに息が絶え、床にくずおれる。譲位したアンフォルタス王と、長老騎士グルネマンツは、いやうやしくパルジファルのまえにひざまずく。パルジファルは、祈りをささげる騎士たち一同の頭上に聖杯をかざし、動かしながら、祝杯をつづける」(名作オペラブックス「パルジファル」高木卓・訳 音楽之友社)
と、書かれている白い鳩である。クナッパーツブッシュは鳩が出てこないと、「パルジファル」は完結しないと考えていた。ヴィーラントはヴィーラントで、象徴化した舞台に鳩が出てくるなど、マンガに等しいと考えていた。そこでヴィーラントは、指揮者が見える位置まで鳩を降ろすことにして妥協した。しかし降ろしすぎなければ客席から鳩が見えることはない。
終演後、ご満悦のクナッパーツブッシュはマリオン夫人に「鳩は見えたかな、子リスちゃん」と聞いたそうである。むろん、マリオン夫人に鳩は見えなかった。クナッパーツブッシュは「まったく女ってやつは……」と言ってはみたものの、機嫌の良さはそのままだった(奥波本)。
8月5日 バイロイト祝祭劇場、ワーグナー/「パルジファル」
8月12日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、ミュンヘン・オペラ祭。ワーグナー/「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
8月17日 バイロイト祝祭劇場、ワーグナー/「パルジファル」
8月21日 バイロイト祝祭劇場、ワーグナー/「パルジファル」
この年のいずれかの日程での「パルジファル」は録音が残っている。
8月24日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、ミュンヘン・オペラ祭。ワーグナー/「ラインの黄金」
8月25日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、ミュンヘン・オペラ祭。ワーグナー/「ワルキューレ」
8月27日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、ミュンヘン・オペラ祭。ワーグナー/「ジークフリート」
8月29日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、ミュンヘン・オペラ祭。ワーグナー/「神々の黄昏」
9月2日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、ミュンヘン・オペラ祭。リヒャルト・シュトラウス/「エレクトラ」
9月11日、12日、13日 ベルリン音楽大学コンサート・ホールでベルリン・フィルのコンサート。ハイドン/序曲、ブルッフ/ヴァイオリン協奏曲第1番 op.26(vn:アリアーナ・ブローネ)、ブルックナー/交響曲第3番
9月17日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、ベートーヴェン/「フィデリオ」
バイエルン州立歌劇場は音楽監督がいないため、シーズンが始まるとクナッパーツブッシュは例年になくバイエルン州立歌劇を振ることになった。
9月19日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、ワーグナー/「ワルキューレ」
9月23日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、ウェーバー/「魔弾の射手」
9月26日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、リヒャルト・シュトラウス/「ばらの騎士」
9月30日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、ワーグナー/「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
10月7日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、ワーグナー/「さまよえるオランダ人」
10月8日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場、)ウェーバー/「魔弾の射手」
10月11日 ミュンヘン、ドイツ博物館コングレス・ザールでバイエルン州立管弦楽団の希望演奏会。トラップ/管弦楽のための協奏曲第3番(初演)、ブルックナー/交響曲第3番。トラップ、ブルックナーとも録音が残っている。
バイエルン放送局のアーカイヴからテープが発見され、2007年、音楽評論家平林直哉氏の手によって復刻された。世界初演である。
曲はできたてのホヤホヤだったようで、インクの匂いがまだ残っているような演奏。あまりリハーサルができなかったのか、しなかったのか分からない。
ただ、クナッパーツブッシュはオーケストラに馴染みのない曲目の場合、リハーサルをかなりしたようなので、トラップの作曲がギリギリで、リハーサルの時間が取れなかったと考える方が自然だろう。
1955年4月9日、ベルリンでの再演では、見違えるような音楽に対する共感に溢れた演奏を行っている。
10月17日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、ワーグナー/「トリスタンとイゾルデ」
10月23日、24日 ムジークフェライン・ザールでウィーン・フィルの予約演奏会。トラップ/管弦楽のための協奏曲第3番、ブルックナー/交響曲第4番
10月30日 ムジークフェライン・ザールでウィーン・フィルとロート・ヴァイス・ロート・コンサート。ベルガー/ 「ロンディーノ・ジョコーソ」、シューマン/ピアノ協奏曲(p:マリア・オーガスタ・メンツェス・デ・オリヴァ)、ワーグナー/「神々の黄昏」 ジークフリートのラインへの旅、ワーグナー/「ワルキューレ」 ワルキューレの騎行
11月12日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、リヒャルト・シュトラウス/「ばらの騎士」
11月14日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、ワーグナー/「さまよえるオランダ人」
11月17日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、ベートーヴェン/「フィデリオ」
11月21日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、ワーグナー/「神々の黄昏」
11月29日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)会員制非公開公演。ウェーバー/「魔弾の射手」
会員制非公開公演とは、銀行員や保険会社の社員とその家族に向けて企業が行った公演のようだ。この年以降、毎年1回のペースでクナッパーツブッシュはこのようなオペラ公演を振っている。
11月30日 フルトヴェングラーが68歳で死去する。
12月4日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、ベートーヴェン/「フィデリオ」
12月15日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、ウェーバー/「魔弾の射手」
12月21日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、新演出ワーグナー/「ローエングリン」
12月25日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、ワーグナー/「ローエングリン」
12月29日 バイエルン州立歌劇(摂政劇場)、ワーグナー/「ローエングリン」