

このパリッシュの「頂上へ」の絵画をジャケットにあしらったCDは、小生にとって非常に懐かしい。
じつはこのCD、ロンドンで買ったCDなのだ。
シューリヒトのブルックナーは、交響曲第3番、第8番、第9番が入った3枚組CDボックスを既に持っていた。
LPからの買い替えだった。
ところが1991年か1992年頃、仕事でロンドン、パリに行ったとき、自由時間にロンドン、オックスフォード・ストリートのHMVで第8番と第9番が入ったCDを見つけた。
まだ日本には輸入されていなかった。
どうせ日本でも買えるようになるんだし...とも思ったが、なんだかとても新鮮に感じてしまった。
その時、ロンドンは12月のクリスマス・セール中で、CDの背に赤い丸いシールが貼ってある。
確か赤と黄色があり、クリスマスの割引中なのだった。
「じゃ、買っっちゃえ」でレジに持っていったら、ものすごく安かったことを覚えている。
1991年か1992年頃と言うと、阪神淡路大震災(1995.1.17)の前で、妻もまだ生きていた頃だ。
賃貸マンションに住んでいたっけ。
今回、久しぶりに第9番を聞いて、もちろんクナッパーツブッシュも含めた他のさまざまな指揮者の第9番へのアプローチが、シューリヒトは少し違ったのではないかと思った。
何と言ったらいいのか言葉に迷うが、シューリヒトのブルックナー:交響曲第9番はどこか雲の上の音楽に聞こえてくるのだ。
試しに使用している版は違えど、クナッパーツブッシュの1950年ベルリン・フィル復活コンサートの時のゲネプロでの放送用録音と聞き比べてみる。
どちらも名演だが際立つのが第3楽章で、クナッパーツブッシュの演奏は地上から天上に向かって祈っているような演奏録音だが、シューリヒト盤は既に天上にいて、その天上で様々なヴィジョンを見ているような演奏録音になっている。
どちらも19世紀を引きずっている指揮者(シューリヒトの方が8歳年長)、現代のような暇つぶしの娯楽がそれほど多くない時代、19世紀のヴィジョンや哲学に影響されていただろうということは想像できる。
現代のような機能的には優れているが、その中身はスカスカの演奏とは一線を画している。
指揮者の個性というより、その音楽を指揮者が自分の哲学として披露している...、シューリヒトのブルックナー:交響曲第9番を聞いていて、そんなことを思ってしまった。
